『病い』というものについて一言だけ。 | この世の真理の伝達者☆TOSHI

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僕が自分自神からダウンロードした【この世の真理】を、ご縁のある方々へお伝えしています。
【2025年2月頃、本の出版予定】

こんにちは。

TOSHIです。


今朝はマイナス21.6度まで下がりました。

今季最低気温です。


さすがに出勤する前にエンジンをかけておきました。(そうしないと走らない)


関東で丸20年暮らしていた僕にとりましては、このマイナス20度以下の体感はキツい…


子供の頃はマイナス30度以下も体感しているはずなのに…



【『病い』というものについて一言だけ】


体の病気になった場合、『病体』とは言わない。

何故、『病気』と言うのだろうか?


日本においては東洋思想の影響もあってか、『気(エネルギー)』という存在について暗に認めているところがあるのだろう。


『病気』とは『エネルギーが流れていない』、または『エネルギーが滞っている』という状態だと言える。


では、何故、エネルギーが流れないのだろうか?



結論から言えば(この結論を信じなくても良い)、【感情】が滞っているからである。


それは【過去の感情】の事である。


あなたにも思い出される【感情】が在るのではないだろうか?


あの時、寂しかった

あの時、怒りを覚えた

あの時、罪悪感を感じた

あの時、恥じた

あの時、不安だった

あの時、不満だった


など。


そういった【過去の感情】が今でもそのまま滞っているのである。


それが【病気】の最たる要因、いや、【病気】というものの本質なのではないだろうか。



私は医師ではない。

医師免許など無い。


私が病気に関してとやかく言う事は自由だろうが、それを治そうとする事は法律にも触れるのかもしれない。(詳しくは知らない)


あらゆる事を知った結果、今となっては人様の『病い』を治そうとする事はしていない。


『病い』とは、その当人が気づくべき事があって、然るべきタイミングで現れるものが大半であると私は感じている。


気づけば治るし、気づかなければ治らない。

ただそれだけの事である。


要は思考ではなく意識の次元なのである。



果たしてあなたは【過去の感情】を持ち続けていないだろうか?


それがやがての『病い』の要因になるかもしれないのでネ。


《完》



★本日より『講義⑥「精神的自由」を得る為には?』公開です。

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