法則の書き換え師・TOSHI

法則の書き換え師・TOSHI

「今まで当たり前だと思っていた事は、実は違う見方ができる」という視点の転換を、あなたの魂に刻み込みます。




人や物などに対する依存症。


その正体とは?





まず、依存症とは、


「あなたが居ないと私は生きていけない」


「これが無いと私は生きていけない」


という【思考(信念)】の事である。



そしてその背景には必ず【恐怖】がある。



恐怖があるからこそ、誰かや何かにすがるわけだ。


自分では恐怖から自分を守れないと信じ切っているのだから。




しかしながら、これらは全て恐怖からの逃げであり、真実としては恐怖から逃げ切れない。


なぜなら、恐怖が実存しないからだ。


幽霊からどうやって逃げられる?


実存しないものからどうやって逃げるというのか?


※「実存」とは、永久に変化・消滅しないものの事を意味する。




依存の正体とはこのように、【無いものを怖がり、そこからの逃避】なのである。



依存は別名【執着】である。



あなたが執着しているものは全て【依存】である。



あなたは【恐怖】から自分を守りたいのだ。


だが、何を頼っても無駄だ。


あなたを救い出せる人も物も無い。


あなたが誰かや何かに依存する限り、あなたが救われる事は絶対に無い。


ただ苦しみが続くだけだ。


いや、苦しみは拡大する。




あなたは一体、何(幽霊)を怖がっているのだろうか?


そんな自分の状態に気づいていないのではなかろうか?



【追記】


過去にアルコール依存症のクライアントが個人セッションに訪れた。


潜在意識を観ると「人から認められない恐怖」があった。


その恐怖から逃れる為に浴びるほど毎晩酒を飲んで気を失っていた。


通院しても治らなかった。

(薬で治るはずがない)


私が初対面でクライアントに伝えた事。


「酒で恐怖から逃げ切れるものなら、逃げ切ってごらん。逃げ切る前に肉体的に終わるから。そしたらあなたの負けだ」と。


クライアントの目つきが一瞬で変わった事を今でも覚えている。


個人セッションを続けてクライアントが本来の自分に戻った事は言うまでもない。



常識。


社会のルール。


義務。


競争。


獲得。




多くの人々は眠りながら生きている。


だがその事に気づいていない。


その証拠に「恐怖」がある。



そのまんまの生き方で肉体を離れていくつもりなのか?


何度繰り返すつもりなのだろう。






私への連絡はこちらからどうぞ。

友だち追加

私は小学生の頃、団地に住んでいた。


団塊ジュニア世代の為、とにかく子供が多く住んでいた。



小学校にも友達は居たが、団地の友達と遊ぶ事の方が多かった。


小学1年生から6年生まで年齢は様々だったが、皆んなで遊んだ。



いろんな遊びをしたが、やはり野球は欠かせなかった。


少し広めの公園で毎日野球をした。



ある日、野球をしながら私はふと思った。


「バッターが打った後、一塁側ではなく三塁側に走ったら面白いかも?」と。


それを皆んなに提案し、早速試しにやってみた。



これがなかなか上手くいかない。


なぜなら、身体が一塁側へ走ると覚えてしまっているからだ。


「頭」では分かっているものの、打ったら自然と一塁側へ走ってしまうのだ。



一塁側へ走りかけて慌てて三塁側へ行こうとして滑って転ぶ。


そして皆んなが爆笑する。


とにかく皆んなが笑っていた。




野球を「普通」にやっていた時、エラーをした人は怒られたり文句を言われたものである。


また、チャンスの時に打てなかった場合にも同様だった。


私もそれを何度も経験した。


好きな野球が嫌いになりかけた日もあった。



でも、三塁側へ走るルールに変えてからは、エラーをしても皆んなが笑っていた。


三振しても「三塁側へ走れなかった〜」と笑いながら皆んなの元へ戻って行った。


どうなっても皆んなが笑っていた。



いつの間にか知らないうちに隣の団地にも広がっていて、やはり楽しそうにやっていたのを目にした。



子供だった私は嬉しくなり、その後も幾つかの遊びのルールを変えた。


どれも好評で、やはり近所に広まった。




そんな私も高校に入ったくらいから徐々に「常識」の波に飲み込まれていった。


周りは皆んな大学を目指していたし、そういう風潮だった。


なんとか「常識」に逆らおうと、授業を抜け出し喫茶店でタバコを吸って過ごした。


それが精一杯だった。



結局、「常識」の波に逆らい切れず、浪人してまで大学を目指した。


あの頃の私はもう笑っていなかった。


もちろん周りも笑っていなかった。



大学に入ってからも笑っていなかったし、就職してからも笑っていなかった。


起業してからも笑っていなかったし、少し金持ちになってからも笑っていなかった。


なんだか全然笑っていなかった…




もう一度子供の頃の原点に戻って「常識」を変えようと思う(決めた)。


確かに私の人生は側から見れば「非常識」に映るかもしれないが、私の中では「常識」の範疇の中で生きてきたつもりだ。


それを「破壊」してやろうと思っている。



そして「新しい世界」を世の中にも広めてやろうと。


皆んなが笑って生きられるように。





私への連絡はこちらからどうぞ。

友だち追加

失望や絶望をする理由は明確だ。



それは【希望】を持っていたからだ。



希望と言えば聞こえはいいが、それは単なる【欲求】に過ぎない。



分かりやすく言えば、「自分の思い通りにしたい」という欲求の事である。



そしてその欲求が叶わないと感じた時、人は失望や絶望を感じるのだ。




さて、では何故、「自分の思い通りにしたい」という欲求が生まれるのか?



それは「怖いから」である。



これが全ての原点だ。



いつも何かに怯えており、だからこそ「自分の思い通りになれば、この恐怖から逃れられる」と考えるのだ。



そんな訳がないだろう?



内面に恐怖がある時点で、何を得ても無駄なのだ。



真の安心など得られないのだ。



この事実に気づいていない。



だからこそ【希望】という名の【欲求】を抱くのだ。



「自分の思い通りになれば安心できる」という幻想をね。



この幻想(信念)を捨て去れば、もう失望も絶望もする事は無くなる。



そりゃそうだ。



下手な期待(希望という幻想)をしなくなるのだから。



繰り返すが、自分の内面に恐怖がある限り、何を得ようが無意味なのである。



試しに、あなたの【希望】を叶えてごらん。



その無意味さに気づけるはずだから。



真の安心感など感じられないから。



やってみるといい。

(時間の無駄だけどね)



自分の内面にある恐怖から逃れる手段として、お金、物質、家族、パートナー、仕事、健康、地位、権力などを利用しても無駄である。



本当に意味が無い。



そんなものを追い求めるより、自分の内面にある恐怖を何とかしたらどうだろう?



その恐怖の正体に気づいたらどうだろう?



少なくとも「自分の思い通りにしたい」という欲求が薄れるだろう。



そうなれば失望も絶望も感じなくて済むでしょ?




「自分の力で生きている」と考えた時点で、もうその人は終わりに近い。



また来世でやり直すといい。



自分がこうして生きていられるのは自力なんかじゃない。



よーく覚えておくといい。



もう一度言う。



よーく覚えておくといい。



どれだけの人たちのお世話になっているのか。



どれだけの人たちの温もりのお陰なのか。



そんな事も日々認識していない人間は、もう終わりが近いな、うん。




何があっても驕り高ぶってはいけない。



常に謙虚で、常に感謝を忘れず。



そして、いつか世の中に恩返しをすると決めて生きる事。



今はできなくてもな。




「自分の力で生きている」と思い込んでいる人間を【馬鹿者】と言うんだ。



そんな人間は世の中に腐るほど居る。



この世に善人も悪人も実在しないが、馬鹿者は実在するのかもしれないな(笑)



あなたも【馬鹿者】にはならないようにな。



私も肝に銘じて生きていくからさ。