これまでのブログでも書いてきたように、僕は今年の7月から突然喉がおかしくなり、話す事も外出する事も出来なくなった。
とにかく身体が怠く、一日中寝ている日も多々あった。
当然ながら仕事もほとんどしていない。
この5ヶ月間、ただひたすら内観を続けていた。
自分の内側に入り込み、無になって思考や感情を観てきた。
時には過去世の記憶や場面なども現れた。(直感的に過去世だと感じたのだ)
過去世記憶が現れた時には泣いた。
そのどれもがとても辛い場面だったので。
そして今世との繋がりを理解できた。
「だからあの体験をしたのか」
「だからこんな人生だったのか」
と。
僕は25歳の時からいろんな会社や事業を立ち上げたり経営したりしながら生きてきた。
同時に、26歳の時からカウンセラーを始め、その後もライフコーチを加えながら活動してきた。
更には、4年半前から突如インスピレーションが降りてくるようになり、それを基に意識変容の為のプログラム製作をし、講座を通じて真理などを伝えてきた。
そんな僕がこの5ヶ月間、喉が詰まり、嘔気で苦しみ、身体も動かず、自宅で寝たきりという暮らしになった。
ただ内観だけを頼りに生きてきた。
そして気づいた固定観念や信念、価値観などは次々と手放していった。
それでも喉は一向に回復しなかった。
そのうち喉の回復に対する執着さえも手放した。
もうどうでもいいと思った。
治らんでもいいと思った。
とは言え、嘔気の発作は苦しかった。
いつ始まるかも分からないし。
いつ終わるのかも分からないので。
日常生活も仕事も思考も全てがリセットされた。
まさに強制終了のように。
完全にこれまでの僕が居なくなったのだ。
いや、感覚的に言えば、僕自体が無くなった。
すると、執着や抵抗も自動的に消えた。
僕は長きに渡り意識トレーニングを続けてきた事もあって、執着や抵抗はかなり少ないと思う。
ただ、この5ヶ月間によって、執着や抵抗の残骸までもが無くなった感覚がある。
何もしていない日々なのに不安や恐怖、焦りが起きない。
生きていられるだけで満足できる。
水が愛しく感じられる。
無理して生きようとも思わない。
長年抱えてきた罪悪感や怒りなども消えた。
「生きるという事」や「人生」というものの真意みたいなものを感じ取れたような気がする。
もう僕には肩書きが無い。
社会的身分や役割も無い。
人から見れば依然としてあるのだろうが、僕の内面においてはもう無いのだ。
これらの感覚を言葉にするのは難しい。
感覚を言葉にすれば変化してしまう。
感じた人にしか理解できない領域なのだろう。
「空(くう)」を生きる事は本当に穏やかであり、静けさそのものである。
思考が働かないのだから当然だ。
雪が積もった日、僕は「ただ」雪かきをする。
何一つ考える事もなく、「ただ」雪かきに没頭する。
気づけば全て終わっている。
しかも綺麗な仕上がりで。
(以前は雑だった)
そんな僕が久しぶりに年末調整業務なんかをしたものだから思考の世界に引き戻されて喉がおかしくなったのかとも思う。
前回のブログはこちら
そんなかんだで、今の僕だからこそ伝えられるものがある。
数ヶ月前の僕では不可能だった事。
もうプログラムテキスト【自分自神】はとっくに出来ていたのだが、伝える側(僕)の意識エネルギーが見合っていなかったのだろう。
だからまだ誰にも伝える機会が得られていなかった。
ボチボチ始めていくとするかな。
この【自分自神】は内容的に口伝となる。
これまでの講座のようにプログラムテキストデータはお渡ししない。
それも全てインスピレーションに基づいて決めた事だ。(僕の思考で決めた事ではない)
そして何より、意識変容の準備が整った人しか受けられない講座内容である。
準備が整っていない人が受けてもちんぷんかんぷんだろうし、腑に落ちる事は無いと思う。(つまり変容が起きない)
逆に準備が整った人が受けた場合には、今世におけるこれまでの体験の意味や、不安や恐怖などの真の原因や意味、今世の目的(カルマの解消も含め)、今後どのような在り方で生きていけばいいのか(気づき)などが深く腑に落ちるだろう。
講座の話までする予定ではなかったけど、「何か」が僕に書かせているのだろう。
「空(くう)」を生きてみて感じた事。
それは、何も無いからこそ純粋に幸せを感じられ、何も無いからこそ真の精神的自由を感じられ、何も無いからこそ心から感謝できる。
そんな感じ(笑)
では、また。
長くなりました。
【自分自神】概要はこちら
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