2024年8月18日発行

「花の墨通信」14巻8号・号外  

           (回答)花 墨 汎 潤

ー 相談室「パンセ・ソバージュ」

    第91回     

全体知をどう回復するか」 

            その(4-1)

A17 経典の文言を学び仏道に精進(しょうじん)して<仏道に目覚めよう>というのがこの<文上(もんじょう)>の修行です。これに対して<文底(もんてい)>とはその学びを生活に活かし、苦労を体験して自分に与えられたミッション(使命)に生きようという立場です。つまり文上主義は<理論的理解中心>であるのに対して文底主義は<実践的体験中心>と言えるわけです。

 そこで時間座標=略称(修行座標)>はヨコのX軸に<文上主義>をとり、タテのY軸に<文底主義>をとります。これで日本史のなかにひそむ<最大の謎(なぞ)>にいどんでみよう、というのです。実はなんと! 歴史学者はたくさんいるけれども、未だかつて<日本史の完成にチャレンジ>した人はそう多くはいません。仮説すら充分に出ていないんですね。その<埋(う)めるべき空白>とは何だと思いますか? 

Q18 さっぱりおっしゃってる意味がわかりません。いったいどういうことでしょうか? 

A18 要するに問題は<日本史の空白が4世紀にある。まったくの謎だ>というわけです。考古学の関連発掘もそう多くはありません。古事記・日本書記にも明らかではないのです。その空白の謎に<時間座標(歴史座標)によって肉迫>してみよう、ということなんです。

Q19 なるほど、面白いです。まるで《猫が目が覚めたら虎に変身》していたような、奇想天外の話ですよ。ぜひお話しください。

A19 では、その前に時間座標(略称・歴史座標)>をタテ・ヨコに見てみましょう。歴史事象を捉えるのに、考古学と文献学とがあります。考古学は<現場での発掘>が中心であり、これはX軸による<部分知の探究>と言えます。文献学は<古文献資料の解読>が主になります。こちらの方は述べた人物の見解なども見ながらデータの信ぴょう性を問い時代背景との関連を考察するなど、読みぬく人の幅広い<洞察力が必要になってきます。

 ゆえに比較すればX軸は考古学的分析=部分知の寄せ集め=<現場主義>の探求と言えます。これに対してY軸は文献学的分析=古文献の解読による全体知の構成=<超現場主義>の探索ともいえます。どちらかといえば、前者は<自然科学的>であり、後者は<人文科学的>な探求ファクター(要因)が強くなります。

 そこでY軸たる<文献学的分析>についてみると、さらに<時間座標>を考える必要が出てくるんですね。これが先ほど紹介した<時間座標(略称・修行座標)>です。ヨコのX軸に<文上主義>をとり、タテのY軸に<文底主義>をとって、<日本史最大の謎(なぞ)>にいどんでみよう、というわけなんですね。歴史学者に<一泡(あわ)吹かせてやろう!>という魂胆(こんたん)です。

Q20 これはすごいチャレンジですね。ぜひ聞かせてください。

A20 ではまず<4世紀の謎>にいどんだ歴史学者の見解を紹介しましょう。  (4-2ヘ続く)