花の墨通信4巻1号 ――エッセイ「時間問答」――
For the true Buddhism 2014年1月1日発行
〈文責) 花の寺世話人 花墨汎潤
時間のすがたを仏法哲学から
探求する試み その25
Q142 確かに、わずか500年足らずの間にここまで機械文明が高度な発展を遂げるとは、草葉の陰からデカルトも驚いているでしょうね。しかし自分がそうした自然科学の大発展の基になったとは、╌╌╌╌まさか数学が大きな原動力だとは思ってもみないことではないですか?
A143 もちろんのこと、死せるデカルト自身も夢想だにしてはいないでしょう。いや、20世紀の代表的な数学者すらここまで、つまりは、存在論的数学によって切り開くべき可能性を、まったく予見できなかったわけですから。この人は幅広い言論活動でノーベル文学賞を受けたのですがね。
Q143 ええ? 数学者でそんな人がいたのですか? もっとも『第2次大戦回顧録』で政治家チャーチルがノーベル文学賞を受けたのは知っていますがね。
A144 バートランド・ラッセルという数学者です。原爆反対で立ち上がった例の『ラッセル・アインシュタイン宣言』で有名ですね。少し小説も書いていますが、この人の真価は『数学の基礎』という名著で近代科学の基をなす合理的な知の意味を啓蒙的に論じたところにあります。
ところで、ラッセルがケンブリッジ大学の教授だったときに、或るユダヤ人青年が訪ねてきます。数学について議論しているうちに、このウントゲンシュタインという若者が大変な天才であることに気がつき、深い交友をするようになります。その後青年は『論理哲学論稿』という名著を表し、20世紀の代表的な数理哲学者になります。けれども晩年のラッセルは言葉の構造にこだわり、論理実証主義という狭い技術論的立場に拘泥するこの後輩とは袂を分かたざるを得ませんでした。
私が言いたいのは、ラッセルは現代機械文明の危機を訴え、世紀を代表する最高の知性になったわけですけれども、数学そのものの根幹に眼を向けて、その技術論的性格の危うさを指摘するまでには至らなかったという点ですね。つまり哲学と一体化してイデア学だったはずの《存在論的数学》という深い地下層にまで降り立たなければ、核の危機とか環境破壊とか言っても、その根源を改革することはできないのではないか? ピタゴラスのイメージしたような《宇宙の神秘の根源にまでせまる数学》というところにまで、ラッセルといえどもそこまで掘り下げて考えてはいなかった。╍╍╍╍けれども私はこれこそは《存在論的数学》の究極であり、この地平にまで降り立たなければ技術中心の機械文明をヒューマンな方向に、つまり物質文明と精神文明とが調和し、人間と自然環境とがほんとうにうまく共存できる方向に流れを誘導できない、と言いたいわけですね。
Q144 どうも聞いただけで気の遠くなりそうな話です。あまりにも気宇壮大過ぎて、自分の思索の限界を超えていますよ。一言でいえば、神のようなまなざしで数学を考えようというわけなのでしょうか?
A145 ええ、おそらくデカルトの《普遍数学》のイメージはそうした構想の一端だったに違いありませんね。だけれども、今のわれわれをとりまく情況をちょっと振り返ってください。
ごく最近のニュースでは、3Dプリンターを使って工作するアメリカの学校の話、それに将棋ソフトとプロ棋士との対抗でなんとか団体戦で引き分けたのですが、トップのプロがたまたま苦杯をなめた報道がありました。この2つのニュースから何を感じましたかね?
Q145 そうですね。私は起業家ですので、3Dプリンターの登場には非常な興味をそそられました。これは物つくりの地道な努力を無にしかねない、まるでコンピューターの側からわれわれ人間の側へ挑戦をされたみたいな衝撃すら感じましたよ。ともかく画期的な技術新時代に入ったのは間違いありません。
A146 2つの話はいずれもコンピューターが主役ですね。ところがもう数年前にテレビで見たのですが、東大の研究室には今のコンピューターより性能が1万倍も優れる次世代型がすでにあるようですよ。
Q146 それは初耳です、いったいどんな性能なんでしょう?
A147 2進法ではなく6進法で、それも液体の化学変化を使って計算するもので、アメリカで開発されたという話です。商品化についてはコスト面でクリアーするまでにまだだいぶん時間がかかりそうですがね。
Q147 液体による化学変化を利用するとなると、もうわれわれの脳の働きと同じ次元になるわけですよね。こんな最新の技術情報を耳にしますと、ますます10年後が読めなくなります。あまりにも進歩が急激すぎて、過去に学んだ知識が役に立たなくなる。膨大な努力をつみあげてきても、あっという間に競争に負けて努力が徒労に終わりそうなリスクも,われわれ企業人は背負っているわけですね。
A148 先が読めない時代には、逆算法というのも役に立つことがあり得るのではないでしょうか? 私が存在論的数学というのを考え出したのは、逆算して1万年後の数学はどうなっているのだろうか? それを予想してみてたまたま思いついたんです。
Q148 はあ、いったいどんな発想をしたわけですか?
A149 1万年後ならば、このまま技術中心で文明が進歩していく限り、高度な電脳ロボットにわれわれ自然人類は勝ってこない。どう考えても疑似機械人類にわれわれは依存したり、下手すると従属して奴隷になりかねないでしょう。《高度電脳ロボット依存症候群》などという事態が蔓延しかねない。あらゆる能力がわれわれ自然人類よりも優れているとしたら、われわれは劣等感にさいなまれ無気力になって、ひたすら逃避し閉じこもり、人生を楽しもうとしなくなる可能性がある、と。╍╍╍╍そう思ったんですね。
それゆえに、技術論的数学一辺倒から脱却し、存在論的数学を開発して、両者の調和が進まなければならない、と考えたわけですね。物心分離の自然科学の手法、つまり自然を征服すべき対象として機械論的・技術論的にしかみない、資源収奪型の一方通行的な近代科学の方法では、もはや輝かしい未来などないのではないか。それをどう打開し、誘導できるか? 科学力にしろ軍事力にしろ、いまアメリカが唱導するような技術中心のやり方だけでは、もはや限界にきているのではないか?╍╍╍╍というふうにね、強く思ったのです。
Q149 現状についてはなんとなくわかります。けれども、肝心の存在論的数学の方はさっぱり理解できませんよ。もう少し具体的に教えていただければ。
A150 ええ、╍╍╍╍存在論的数学の方はまだ地球上に存在してはいない、まったく未知の《未来数学》なんですね。これから現代文明の危機を打開するイデア学の根幹部分として、技術論的数学と存在論的数学の融合を新たに創造しなければならない。このイデア学を根幹にして物質文明と精神文明の調和した世界を構築しなければならない。これが現代の危機打開のための王道ではないか? こう思ったわけなのですよ
だけれども皆目見当がつかないというわけではなく、その痕跡なり予兆なり、いわゆるシーニュ(しるし)はどこかに転がっているはずですよ。╍╍╍╍われわれが見逃さずに、時代に先駆けて《存在論的数学》をいかに創造できるのか? これはデカルトですら構想したままに終わった物心統合の数理イデア学です。こんな大それた偉大なるチャレンジがいったいわれわれ凡人に可能なのか? これはいわば文明の根底と対峙する大変な大事業ではないのか? われわれの力では到底叶いそうにもみえませんけれども、奇跡を起こすのですよ。
Q150 ええ? 奇跡ですって? まさか、╍╍╍╍あり得ますかね? (以下次号)