こんばんは。
月一の整体の帰りの夕方、ドッグランのある大きな公園に寄って、一通り散歩を終えてからハナとランの外のベンチに腰掛けながら休んでいた時の事。
閉園近くになったドッグランの小型犬エリアは、グレーハウンドを連れた方達だけ残っていた。同犬種を飼っているランの常連さんみたいで、お互いに知り合いのような感じだった。
これまで色々なドッグランや近所で見かけた中で、グレーハウンドはどちらかといえば気が小さくて臆病な傾向にあるかな?と思えている。
といってもテリアの様に相手に向けて吠え立たり、和犬の様に相手を凝視する行動はそんなに見ないから、そういう意味では首都圏で共に生活する上で扱いやすい犬種と思える。
そのラン内でグレーハウンドのある1匹が甲高い不安な感じのトーンの吠え声を上げると、その場に居る他の何匹かがそれに同調し始めた。
犬達が群れと認識する程であれば、こうした同調もまた起きやすい。
これだけ複数の犬が吠え合ってしまうと、離れた場所にいても「ドッグランの中で何かトラブルでも起きているのかしら?」と心配になる程のものでした。
そんな合唱的吠え合いではあるものの、犬達が乱れてパニック行動にまで至っている訳でもなく、それぞれの犬達はある程度近い距離感の中で過ごしていました。
ある飼い主さんの様子を見ていて「自分の犬の気弱さ」を認識されている…のは間違いない。
その気弱さや不安をシグナルとして示している愛犬に対して「(ウチの子はビビりで)しょうがないわね~」とその子を見ながら笑っている、喜んでいる…
う~ん?
・それって「しょうがないわね~あはは」と嘲笑する類のもの?
・何だか…どこか歪(イビツ)な感覚ではない?
・気弱で不安な様子の愛犬を見て、飼い主はなぜ喜べるのか/楽しいのか…?
・もし、ご自身が不安を感じている時、それを見て嬉々とする親をいざという時頼ろうと思うか…?
これ…集団でイジメられている子を嘲笑しながら指さして見ている感覚とあんまり差が無いように私には思えました。
自分の犬の気が弱い事を内心で歓迎してしまう、求めてしまう⇒私がいないとダメなんだわ!
(メサイアコンプレックス、アダルトチルドレン、共依存症)
自分の家族の一員が不安(ピンチ)を感じている時、どこか下に見た気持ちで嘲笑して済ませていない?と穿って見てしまう…人間目線で見たら、和気あいあいと楽しまれてる犬飼いグループなのに
もし、これで喜んでしまう感覚でいれば、そりゃ~…いざという時に愛犬が信頼を寄せてくれる見込みは低くなります。犬だって、それくらい悟ります。
身内が不安を抱いているのにそれを喜んで笑う感覚でいて、何かの局面で不安で吠えたり取り乱す態度の愛犬に対して、リードを引っ張って怒鳴ったりすれば、そりゃ犬に見限られても仕方ない。
しかし人間目線で見たら、彼ら彼女らは”普通にどこにでもいる愛犬家”という存在。
不安や臆病が分かっているにも関わらず、犬の抱える気持ちに寄り添えないなら、仮にどんなに何かしら知識やテクニックを会得したとしても、愛犬の心の拠り所という存在には決してなれないんじゃないかなぁ…そう思えてなりませんでした
また、気持ちの悪い光景を目に入れてしまった…。
ではこのへんで