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フードコーディネーターの仕事

地域や商品の魅力を引き出す・伝える・広げる

おなじみの民俗学と食シリーズ。
記録映画やドキュメンタリー映像を観て、フードコーディネーター目線で感じたことを述べていきます。
今回は「食」と関係の深い、「コミュニケーション」の観点から考察してみます。

2008年ささらプロダクション制作
「オオカミの護符~里びとと山びとのあわいに~」


川崎市土橋の古い土蔵に貼られた護符に魅せられて、武蔵御嶽山、調布市、埼玉県三芳町、そして秩父とオオカミの護符を求めて謎めいた旅を繰り広げる。首都・東京のすぐそばで土地に根ざした生活を貫く人々と、何百年にもわたって彼らに大きな影響を与える信仰の存在を記録。(紹介文より)


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代参講。
まず、このような風習が今でも存続していることに驚かされる。
同じ時代、ITで管理された住宅地で暮らすわれわれと同じ生活圏に、数百年前と変わらぬオオカミ信仰とその代参講がひっそりと根付いているのだ。

オオカミ信仰は農業との結びつきが強いが、現在は村で灌漑や治水を行ってきた時代とは、農業の形態も共同体のあり方も変わってきている。
また、講の持つ本来の意義は、宗教的、経済的な機能にある。
しかし現代においては、そのどちらも意味を成さなくなっていると言える。

では、いまも続いているこの代参講は、いったいどんな役割りを果たしているのだろうか。
伝統を守るための単なる奉仕活動によって存続させられているのだろうか。

映像を観ていて、会合を開くのに入念な準備をしていたり、その地域独特の締め方があったり、講のメンバー間でかなり密接な関係が築かれている点に興味をひかれた。

このような現代の講には、切り離された存在となりがちな個を、相対的な関係のなかに寄り戻す機能が求められているのではないだろうか。

地縁や、伝統ごと先祖から受け継いでいる血縁など、網目状になった関係性のなかに自身を定義づけることで、精神的な身の置き場所を確認することができる。
そういった、精神面での役割りが大きいように感じられるのである。

「講」は、その本来の機能が必要でなくなっても、他者との関わりの中で生きていたいという、無意識の欲求によって、意義を変えながら受け継がれているのではないかと考えられるのである。


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以下、概要

当日は書籍「オオカミの護符」の著者でプロデューサーの小倉美恵子さんもいらして、上映後に座談会が行われた。

神奈川県川崎市宮前区土橋の、農家の土蔵や台所などの家屋に貼られたオオカミの護符は、毎年新しいものに貼りかえられる。
護符にはオオカミの絵とともに「大口真神」と書かれている。
オオカミは農作物を荒らす鹿やイノシシを捕食するため、猪鹿除け(いじかよけ)の神とされているのだ。
現在も関東周縁の農家で静かに続いている信仰なのである。

このオオカミ信仰の風習のひとつが、御嶽講である。
これはクジで選ばれた村落の代表者が、青梅の武蔵御嶽神社へ代参する神事である。
神社周辺には御師(おし)と呼ばれる神主の役割りをする人々が今でも200軒ほど暮らしている。
映像には、260年続く土橋講の人々による御嶽講のならわしの詳細や、古事記にも登場する占いである太占(ふとまに)による作柄の占い方、各地のオオカミ信仰を追った記録が収められている。

はじめまして!
フリーランスでフードコーディネーターをしている、はにこと申します。

フードコーディネーターってどんな仕事なの?としばしば聞かれます。

食に関する仕事とはいっても、確かに馴染みがないかもしれません。
どちらかと言うと裏方の仕事であるというところが、雑誌やテレビに出てくる料理研究家さんとの違いでしょうか。

例えば、「指定の食材を使ったスーパーマーケット向けのお惣菜レシピをつくる」「食品メーカーさんと一緒に、小売店へ向けた販促を考える」「飲食店のメニューブックに載せる料理写真を撮影する」など、一般のお客様とは直接の接点が少ない仕事が多いのです。
企業向けの食品展示会や販促イベントに関わることもよくあります。

特に私は日本各地の歴史や基層文化に興味があるので、その地域ならではの伝統や特産品、農産物の魅力を引き出して伝えるような商品開発をして、たくさんの方に喜んでいただければ、と思っています。

新しいものを追究するだけではなくて、私たちがあたりまえに受け継いでいる丁寧な暮らしのなかに、大切なものがあると信じています。
自然からの季節の恵みやその土地で暮らしを楽しむ知恵などを、このBlogを通じて皆さまと共有できましたら嬉しいです。

フードコーディネーターのお仕事に興味を持ってくださる方や、食いしん坊の皆さまに楽しんでいただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします!
民俗文化映像研究所の記録映画、本日の2本目。


1985年制作の「西米良の焼畑」


焼畑農業は昭和30年代まで日本各地で行われてきたが、なかでも九州山地は日本有数の焼畑地帯だった。戦後も盛んに行われていたそうだ。
更に遡って、政策により主食とする穀類が水稲に傾倒していく前は、ヒエ、アワ、キビ、アズキなどが主食となる穀類として、焼畑によって全国で栽培されていたそうだ。
現在はごく一部を除いてほぼ焼畑耕作は行われなくなったが、実は焼畑こそ農業の主な生産機構だったのである。
よって、文化的価値、社会的関わり、歴史上の諸問題などを紐解く上で、この映像資料には大きな意義がある。

観賞後の感想。
映像では三穀飯と呼ばれる米、ヒエ、アズキで作った主食に、海の幸である塩イワシを主菜にしていたことから、広い範囲での経済交流が活発に行われていることがうかがえた。
だが焼畑で生産する農作物は、その家庭で消費する量しか作っていないようだ。
集落単位で営農するわけでもなく、商品作物を作ることもせず、一家で消費するだけの面積しか拓かないというところに、銀鏡のシシ猟と同様のバランス感覚が感じられた。

また、人工肥料や農薬を一切使わない農法であるため、万一虫害が発生すると大被害となる。
そのため、夏場に虫よけの神事をとり行うのだが、その行事の最後に捕まえた虫(イナゴ?)を畑の隅に逃がしてやる。
自然と共生するアニミズム的な精神を垣間見ることができる。

なお、今も小規模に焼畑を続ける宮崎県椎葉村の椎葉クニ子さんの映像がドキュメンタリーとしてDVDになっている。
NHKスペシャルで放送されたもので、こちらも非常に資料的価値の高い作品。

NHKスペシャル クニ子おばばと不思議の森 [DVD]/出演者不明


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以下、「西米良の焼畑」の概要。

西米良村は、熊本県と宮崎県の県境に位置している。
この土地の隼人と呼ばれる強い山地集団は、日本の歴史に大きな影響を与えてきた。
隼人は菊地氏に統合されて九州の大きな勢力となって、拠点を現在の西米良村の中心地である村所に置くようになった。
村所は東西を睨むことのできる、天然のようがいに囲まれた重要な中世の村である。
隼人とは、ハエ(なだらかにどこまでも続くこと)に住む人という意味で、ハエビト-ハエト-ハヤトになったそうだ。
九州山地には八重という名前が多いのも、これが由来とのこと。

焼畑は木を焼いて耕地を作り、灰だけを肥料にして作物を育てる。
ヒエ、アワ、キビ、大根、小豆などを栽培する。
伐り拓いた畑は3年ほどすると地力が衰えるので、そこを放棄してまた新たな土地で焼き畑をする。

ここでは栽培する作物別に、主に穀物を植える「秋コバ」と小規模に大根などを育てる「夏ヤボ」と呼ばれる二種類の焼畑が行われている。
秋コバで30~40年、夏ヤボで10~20年で山全体を一周する。
人が木を切り焼くことで森が若返り、山の恵みを生みだしているのだ。

映像には秋に焼畑を行う前の行事「クチアケ」から、春に行う焼畑の様子、夏の虫よけの行事や収穫、脱穀などの様子が収められている。