1985年制作の「西米良の焼畑」
焼畑農業は昭和30年代まで日本各地で行われてきたが、なかでも九州山地は日本有数の焼畑地帯だった。戦後も盛んに行われていたそうだ。
更に遡って、政策により主食とする穀類が水稲に傾倒していく前は、ヒエ、アワ、キビ、アズキなどが主食となる穀類として、焼畑によって全国で栽培されていたそうだ。
現在はごく一部を除いてほぼ焼畑耕作は行われなくなったが、実は焼畑こそ農業の主な生産機構だったのである。
よって、文化的価値、社会的関わり、歴史上の諸問題などを紐解く上で、この映像資料には大きな意義がある。
観賞後の感想。
映像では三穀飯と呼ばれる米、ヒエ、アズキで作った主食に、海の幸である塩イワシを主菜にしていたことから、広い範囲での経済交流が活発に行われていることがうかがえた。
だが焼畑で生産する農作物は、その家庭で消費する量しか作っていないようだ。
集落単位で営農するわけでもなく、商品作物を作ることもせず、一家で消費するだけの面積しか拓かないというところに、銀鏡のシシ猟と同様のバランス感覚が感じられた。
また、人工肥料や農薬を一切使わない農法であるため、万一虫害が発生すると大被害となる。
そのため、夏場に虫よけの神事をとり行うのだが、その行事の最後に捕まえた虫(イナゴ?)を畑の隅に逃がしてやる。
自然と共生するアニミズム的な精神を垣間見ることができる。
なお、今も小規模に焼畑を続ける宮崎県椎葉村の椎葉クニ子さんの映像がドキュメンタリーとしてDVDになっている。
NHKスペシャルで放送されたもので、こちらも非常に資料的価値の高い作品。
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以下、「西米良の焼畑」の概要。
西米良村は、熊本県と宮崎県の県境に位置している。
この土地の隼人と呼ばれる強い山地集団は、日本の歴史に大きな影響を与えてきた。
隼人は菊地氏に統合されて九州の大きな勢力となって、拠点を現在の西米良村の中心地である村所に置くようになった。
村所は東西を睨むことのできる、天然のようがいに囲まれた重要な中世の村である。
隼人とは、ハエ(なだらかにどこまでも続くこと)に住む人という意味で、ハエビト-ハエト-ハヤトになったそうだ。
九州山地には八重という名前が多いのも、これが由来とのこと。
焼畑は木を焼いて耕地を作り、灰だけを肥料にして作物を育てる。
ヒエ、アワ、キビ、大根、小豆などを栽培する。
伐り拓いた畑は3年ほどすると地力が衰えるので、そこを放棄してまた新たな土地で焼き畑をする。
ここでは栽培する作物別に、主に穀物を植える「秋コバ」と小規模に大根などを育てる「夏ヤボ」と呼ばれる二種類の焼畑が行われている。
秋コバで30~40年、夏ヤボで10~20年で山全体を一周する。
人が木を切り焼くことで森が若返り、山の恵みを生みだしているのだ。
映像には秋に焼畑を行う前の行事「クチアケ」から、春に行う焼畑の様子、夏の虫よけの行事や収穫、脱穀などの様子が収められている。
