民俗文化映像研究所の記録映画を観てきたので、フードコーディネーターの視点で感想を記します。
概要も、忘れないうちにメモ。
1970年制作の「山に生きるまつり」
この記録のなかで印象に残ったのは、シシ猟のコントロールについて。
シシの数が増えれば大猟となるが、畑も荒らされてしまう。
シシの数が減れば畑は豊かになるが、不猟となる。
増えすぎても減りすぎてもいけないのだ。
人もその土地のバランスに均衡を保つ役割りを担っている。
まつりではイノシシを解体して左耳を神に供え、血液を犬に分け与え(イヌタマスと言う/たます・分け前)、肉を人びとで分かち合う。
部落がひとつになって、3日間にも亘る盛大なまつりを執り行う。
人口密集地ではなく山間部にも関わらずここまで社会性を高めた生活をすることも、すべては豊かに生きるため。厳しい環境のなかで、食べていくためであろう。
山に生きること。自分の生きている場所こそが、生きるための手段のすべてなのだ。
「生きること」と「食べること」が、現代よりもずっと近い意味を持っていることが窺えた。
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以下は映像の概要。
宮崎県の山村、銀鏡(しろみ)で旧暦11月に催される厳粛なまつりの映像。
500~600年前、中世の時代に各地で広く行われていたまつりの影響が残っており、1977年には重要無形民俗文化財に指定されている。
銀鏡のある米良(めら)山地では、焼畑と狩猟の生活をしてきた。
今は焼畑に代わって植林や椎茸作りが行われているようだが、このまつりにも農耕と狩猟の文化の色が反映されている。
まずは、銀鏡の生活についての紹介。
古墳時代には既に、山のけもの猟をしている人たちがこの地域に住みついていたそう。
猟をする場所は決まっており、そこは仮倉(かくら)と呼ばれて狩りの神が祀られている。
また、この地域は竹の多い場所で、竹を求めて移住する人々が訪れていたそうだ。
彼らは孟宗竹で扇子の骨などを作る職能民である(サンカとはまた違うようだ)。
その土地の竹の使用料を払うので、部落の人々にとっては収入源になっていた。
そして、彼らから村の外の話を聞くことを楽しみにしていたということだ。
樫の実で出来たコンニャクのような食品の作り方も紹介されていた。
実をすりつぶして布の袋に入れ、水に浸けてさらす。
水を換えながら灰汁抜きをして、3日目にやっと加熱する。
ちょうど葛餅を練っているようなイメージだ。
それを型に流して固める。薄い赤茶色のコンニャクのように見えるが、コンニャクよりも味が良いとのこと。
韓国料理の、どんぐりで作られた「ムク」のようなもの?映像を観終わった後の座談会では、そんな話題も出ていた。
そして、霜月まつり。
新暦の12月14日の朝、銀鏡神社の境内に設けられた神楽の場(神屋・こうや)に、神の依代である「オシメ」が立てられる。
その下に、荒御霊(あらみたま)であるイノシシ、和御霊(にぎみたま)である米や餅などが安置される。
そして、各集落からお面様(神面・しんめん)を捧げた行列が集まる。
この神社に祀られているのは、住吉大神。
生産手段や文化とともに、別の場所から運ばれてきた神である。
夜になると、祝人(ほうり)と呼ばれる部落の中心的役割の人々が、オシメの前で33の神楽を舞い、神を迎える。
神楽には3つの構成要素がある。
ひとつめは面を着けないで舞う、神々の降臨を願う神楽。
ふたつめは神々の降臨の神楽。これは真夜中から夜明けにかけて行われる、面を着けた神楽である。
三つめは夜明け以降に行われる、生命の誕生や作物の豊穣を表す神楽である。
なかでも30番目のシシトギリの神楽は、古風な狩人の装束をつけた二神が、シシ狩の所作をする。
「とぎる」とは、足跡を追うという意味である。
この祭りの最後の日、16日の朝には、銀鏡川の岩場を祭場として「シシバまつり」が行われる。
イノシシの左耳の肉片7切れを串に刺した「七切れ肴」を神に供え、その年に獲れた獣の霊を慰めるとともに、これから始まる狩の豊饒を願うのである。