プロローグ・幼少期からの続きです。





兄も私も公立小学校、中学受験なし、塾通いもなし。

なので、特段、学力を比較される環境ではなかったです。

(もし、中学受験をしていたら、もっと早期に、兄との学力の違いを感じていたのかもしれません。)


その一方、兄は「自由研究で表彰」「朝礼で合唱の指揮」など、時々、全校生徒の前で注目を集めることがありました。


苗字と、あと、顔も似てたんですよね…だから、「あれ、お兄ちゃんだよね?」って同級生に気づかれる。

このときの私の心境は…ちょっと恥ずかしかったけど、嬉しかったです。

なんでしょう、「虎の威を借る狐」に似た感覚?!

兄の活躍は、私の功績でもある、みたいな。


そういえば、クラスメイトが

A君「俺のとーちゃん、部長!」

B君「オレんちは、社長!」

A君「うおー!負けた〜!」

と、やりとりしていたことがありますが、よくわからない家族自慢、私の小学校時代にはありました。


さて、小学生高学年頃の兄で印象的なのは「時刻表」

今のように、乗り換えを簡単に検索できる時代ではなく、紙の時刻表で調べなければなりませんでしたが、

・より、効率的に乗り換える方法

・より、いろいろな路線を乗れる方法

など、時刻表で調べまくっていました。


当時、火曜サスペンスドラマなどで、乗り換えの抜け穴ルートを使って、アリバイを作って殺人をする、というのがありました。

兄はそれの検証をしたり、もっとよいルートを探したりしていました。


さて、この頃、父との思い出で、よく覚えていることがあります。

私と父が、一緒にテレビで歌番組を見ている時に、歌詞に revolutionが頻出してたんですよね。


父「このrevolutionって、どんな意味が分かる?」

私「んー、わかんない。なんて意味?」

父「…お兄ちゃんなら、自分ですぐに調べるんだけどなあ


ちょっと残念そうな父。

もうすでに、小学校時代には、親は気づいていたと思います。

1つのインプットから学びとる質・量が、兄と私で、全然違うということを…。

知らないことを、私は「受け身で教えてもらいたがった」、兄は「自分で納得するまで調べたがった」。


ところで、私の同級生の中にも、「物知り博士」がいましたが、中学校以降の成績が伸び悩んでいた子もいました。

兄とはどこが違ったんだろう?


推測ですが、「知る」と「理解する」の違いだったのかもしれません。

物知り博士くんが、広く浅く知っているとしたら、兄は守備範囲は物知り博士より狭かったかもしれませんが、めちゃくちゃ深く、歴史・関連事項含めて、説明できる、といった感じだったのではないかと。


私の小学校後半時代は、兄は中学生。

ずっと成績トップで、軽やかに、地域最難関の公立高校に合格。

姉の受験のときは、願掛けで、珈琲断ちをしていた母は、兄のときは何もしていませんでした。まず間違いなく受かる状態だったので、する必要を感じなかったんだと思います。


でも、中学時代が被らなかった私には、この時点では、まだ兄のすごさが実感できませんでした。

あとから、思い知ることになるのですが…。



結論。


学童期のきょうだいから見た神童


↑ さりげなく「虎の威を借りてるコスチューム」w



(中学生期)に続く