プロローグからの続きです。
幼少期って、目に見えないものって、意識化しにくいですよね?
顔の違いとか、足の速さとかは、見えるから、なんとなーく違いを認識していた気がします。
でも、頭のできの違いは見えないので、幼児期の私には、全く認識できませんでした。
親から見ても、幼少期〜小学校低学年までは、生まれ月や気質による差が大きい時期なので、まだよくわからない時期かもしれません。
さて、兄は、車や電車が大好きな子でした。
車は、通りをずっと眺めて、車種や色、ナンバープレートにある地名、ひらがななどをカウントしたり、調べたりしてました。
電車も、図鑑で調べたり、地図でどこを走るのか、確認したりしていました。
興味を持ったことに、とことんハマるタイプ。
私は、そういうことに全く食指が動かなかったので、
「お兄ちゃん、オタクだなあ」
って感じで見てました。
親から見ると、どうだったんでしょう?
兄と私に、すでに地頭の違いを感じていたんでしょうか?
最近、母に聞いてみました。
「うーん、ごめん!
毎日を生きるのに精一杯で、どのエピソードが誰のだったかとか、覚えてないわー…。
ただ、小さい頃、お兄ちゃんのマニアックな趣味には、よく付き合ってたね。
でも個性の違いかなって思ってたかなあ」
あー、そうだった、そうだった…!
それを聞いて思い出しました。
私の母子手帳は真っ白。
姉のアルバムは、0歳児だけで1冊分あるのに、私のアルバムは誕生後すぐ1歳、そしてすぐ七五三…1冊で小学校を卒業してました
3番目の子あるあるでしょうか?
「とにかく、元気に育ってりゃいいや」モードだったようなので、そりゃ覚えてないですよねー。
結論。
幼少期のきょうだいから見た神童
親から見た神童
(学童期)に続く