タイトルでは曖昧にしてしまいましたが、この平凡な子は私(かめちゃん)です。
自分のことを書くのは、ちょっと恥ずかしいですねデレデレ
このブログは、娘の中学受験の記録ブログですし。

でも、私が娘の地頭について感じること、私の中学受験の伴走のしかたにも、「…兄が神童だったことが影響してるなー」って思うことがしばしばありました。
今までは書くつもりはなかったのですが、言語化してみるのもいいかもしれないと思えてきまして。
中学受験話と絡めることもできるかなと思ったので、書いてみますね。


こんなことを書くつもりです。


神童「じゃない方」のきょうだいが…

→子どものときに、神童に対してどう思っていたか
→子どものときに、親・周囲から、どんなことを感じていたか
→大人になり、神童に対する感情の変化はあったか
→大人になっても、神童のきょうだいがいたことによる影響を感じるのはどんなとき
→親になり、子育てをする中で、子どもにどういうことを感じるのか
→夫婦になり、パートナーにどういうことを感じるのか

※一般論ではなく、ただのn=1の話であることを、ご了承ください。


ちなみに、私のきょうだい構成は、姉・兄・私。
姉とは歳がかなり離れており、兄とは3歳差。

兄の『神童ぶり』がどのレベルかというと、大天才(世の中にない素晴らしいものをゼロから生み出すレベル)ではありません。
でも、私から見ると、天才ではありました。

人生で一度も塾に通ったことはなく、母が良かれと思ってとっていた通信教材も、未開封のまま山積み。
学校では勉強していたのかもしれませんが、少なくとも家ではびっくりするくらい勉強せず、よく洋楽を聴きながらギターをつまびいていました。
なのに、最難関大学にさらっと現役合格。
私から見ると、「ノー塾・ノー勉で、地方最難関高校→日本最難関大学にストレートで合格した兄」でした。

私のきょうだいは全員、運動センスも芸術センスも持ち合わせていなかったので、「勉強がんばるコース」が人生のメインロードだったんです。
(親は元教師ですし)
そして、きょうだいって身近なライバルでもあります。
そのライバルが、先にメインロードをさらっと駆け上がっていく…笑い泣き
兄の後を行かねばならない私は、すでにメインロードを終えていた姉が心底うらやましかったです。


(幼少期)に続く