浜ロンの花の美しさ
花の美しさは異常だな。ポエムを書きたいのではない。何であんな、茶や緑しか無い物から、急に白やら黄やら紫が出て来るのだ。色素はどっから持って来てるんだ。いくら見せ場とは言え凄過ぎだろ。
恐らくの話になるが、人間が人間になるより前に、花は存在していただろう。そして人間や他の動物にとって、花が不快な物ならば、今日まで生き残れずに淘汰されていた筈だ。だから今日までに淘汰された花も無数にあるのだろう。
という事は、今在る花は、オーディションを勝ち抜いた美しき花達なのだ。執念だ。美しさのみに賭けた執念なのだ。
そう考えると美しいだけでは無い、力強さがある様に思えてくる。淘汰されない、抹殺されない美しさ。本物だ。
しかし今日がゴールという訳でも無いだろう。500年後には無くなってる花もあるかも知れない。つまり生きるという事は、ただそれだけで自ずと闘いなのだ。そりゃそうだ。常に有限の物を食べたり食べられたりしているのだから。
だから人間は、なるべく争いを減らす為にルールを作り、飯を作り、やりくりしている。願わくば争いにならぬよう、常にゆとりある状態で居たいのだ。人間は、己自身が美しくなくとも淘汰されないシステムを作り上げた。ならばそこが厳しく無くなった分、ルールには美しさが必要だろう。もしくはルールを守る美しさか。この文章を拡大解釈すれば、世界の政治の話にも出来るし、身近な解釈をすればレジで横入りをするなって事だ。
思い付くままに書き殴るのがこのブログだが、花を一輪見て、ここまで無駄に飛躍させる事が出来た。まさに大輪の花を咲かせたといっても過言では無いだろう。