ゆっこです。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
年が明けたら直ぐに、はまさんのお命日が来ます。
1月6日㈯
2回目のお命日が来ました。
年末から……
あ~
2年前はこうだったなぁ~
あ~だったなぁ~
……と色々と思い出されます。
その時に話した会話の内容もおぼえています。
全てではないけど、こんな話をしたな~と。
大晦日は体調が思わしくなく、少し暗いはまさんでした。
毎年大好きで見ていた年末の歌番組も見る気が起こらなかったようで、テレビもつけずお通夜みたいな時間を2人で過ごしました……
テレビ好きなはまさんがテレビをつけないなんて……
初めての経験でした。
年が明けてお正月は、いつものようにお節や、お餅を小さくしたお雑煮をゆっくり食べたな~
時折、手が震えて食べるのが大変そうでした。
年末に1つ薬が増えて、眠そうな時間が増えていました。
1月2日の夜はグラタンを食べたな~
(はまさんが食べた私の最後の手作りはグラタンになった。
それ以来1月2日はグラタンの日になりました)
その夜に体調が悪くなり、訪問診療の先生を呼ぼうか、どうしようかと話したな~
1月3日の朝になって訪問診療の先生に来ていただき、はまさんの希望でがん研の主治医に診て貰いたい事を相談し、訪問診療の先生からがん研に、はまさんの状況を説明して貰い、休日診療を受け入れて貰えるか電話で聞いて貰いました。
訪問診療の先生とがん研のやり取りがあり、がん研で診て貰える事になりました。
酸素吸入をしている事や、体調が悪いので、病院の受け入れ体制が整った時間に合わせて救急車を呼んで行くようにとの指示がありました。
家を出て行く際にリビングの部屋を見渡し『必ず帰って来るからね』と約束をして、一緒に救急車に乗り込みました。
その言葉を信じていたんだけどな~
(今でも信じたいよ)
愛犬プリンとブランとは、その瞬間が最後ですね。
がん研に着いたら、2022年1月3日は、やはりコロナ禍の真っ只中ですので……
時間外出入口から担架で病院の中に入るはまさん。
まずは、コロナの検査をして陰性が確認出来ないと何も検査は出来ない事と、そのコロナの検査も結果がでるまで時間が掛かるので、今日は個室で入院になります、と言われました。
付き添いの家族も時間外出入口の受付よりも先に入る事は出来ず、そこではまさんとお別れになります……
お互いに不安がつのるままお見送りしました。
もしかしたら入院もあるかもしれないと思い、とりあえず荷物を持参したので、お迎えに来た先生に預けました。
姉夫婦が車で駆けつけてくれましたが、すでにはまさんは病棟に上がってしまったので、はまさんと会う事は出来ませんでした。
無事を祈りながら私は姉夫婦と帰路につきました。
その日はラインを送っても既読にならず、ヤキモキした夜を過ごしました。
1月4日のお昼前。
主治医や、看護師さんから電話を頂き、はまさんの状況を教えて貰いました。
ご飯も食べている事を聞き、安心しました。
午後になり、はまさん本人からも元気な声で電話がありました。
ご飯も食べているし、声もいつも通りで明るく元気。
『明日5日は11時に先生から説明があるから来てね』との事。
コロナ禍で一般病棟の付き添いは出来ないけど、もし緩和ケア病棟に移るならば制約があるが付き添いが可能らしく、はまさんも奥さんのサポートが必要と望んでいるので、その説明と申し込みに行く事になりました。
明日持って来て貰いたい物があるとリクエストされました。
時計
カレンダー
ひげそり
メガネ2つ
タオルをたくさん
とても前向きなリクエストで体調が良くなっているんだな~と安心しました。
タオルは、食事の際に手がふるえて食べこぼしてしまうので、拭くためにたくさん欲しいって。
食欲が有ることがとても嬉しかったです。
明日、5日の11時、病室に行けば元気なはまさんに会える事が楽しみでした。
直ぐに退院出来ちゃうかな、いつかな?
点滴をしたら元気になるよね、って思っていました。
……あれから2年か……
早いな。
その時に戻れないかな、戻れたら良いのにね……
いつもそばに居ると思うけど、姿が見えないとね……
どこに居るのかな?
この続きはまた今度、いつになるかな……
2024年1月6日㈯晴天 17:18 自宅ベランダからの夕景
2年前のこの時間、東京は大雪でした
〈今日の一言〉
2年が経つけど、その時の光景は覚えているものですね…
いつまでも忘れたくない大切な思い出です
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