ロシア連邦イルクーツク州「第7収容所第1小病院」。
私の祖父は、終戦の年の暮れに、その強制収容所で亡くなった。
厚生労働省に、旧ソ連政府より提供された「抑留中死亡者名簿」には、344名の名前と埋葬場所の地図が記されていたそうだ。
遺骨の収容が始まったのが、平成14年夏。
名簿や日本政府の保管資料を照合した結果、祖父の長男である私の父の元に、連絡が届いたのが昨年春。
DNA鑑定用の検体が採取できた287柱のご遺骨の中に、祖父と思われる人の遺骨もあるとのことで、父は鑑定を希望した。
祖父は、集団埋葬されていたのだけれど、DNA鑑定の結果、該当の遺骨は間違いなく、私の父と親子関係があると確認された。
遺骨収容は、北方でも南方でも、亡くなった方を出来るだけ遺族の元に帰そうと、今も地道に活動が続けられている。
気の遠くなるような仕事。
本当に頭が下がる。
戦争は、まだ終わっていない。
そして、今日。
雪が降りしきる中を、厚生労働省の担当の方が二人、祖父の遺骨を、我が家に届けて下さった。
約束の時間に、スーツ姿で出迎えた78歳の父。
「ようやく、親父が、戻って来た」
と言って、泣いた。
それ以上は何も言わなかったけれど、戦後、苦労を重ねて生きてきた父の人生を思うと、私は、かける言葉がみつからない。
祖父は、町の文房具屋さんだった。
奥さん(私の祖母・故人)とは、ケンカばかりしていたようだけど、とても真面目な人だったそうだ。
戦争で、人生を奪われた人が、たくさんいた。
たくさん、いた。
けっして、忘れちゃいけない。
多くの人たちの力を得て、69年振りに家族の元に戻って来た祖父。
おじいちゃん、おかえりなさい。
どうぞ、ゆっくり休んでください。