私の写真だ。
AIチャッピーに依頼したら、たちまちアイキャッチ画像を作ってくれた。
ほう……
凄いなぁ。
そもそも、来ている服は半袖だしね。
頬杖ついてないしね。
この手、どこから持って来たんだろう。
さらに、障子がガラス窓って。そうよね。
素敵な暮らしは、明るいガラス窓だよ。
庭付きのさ。
部屋の雰囲気も光の感じも、かなりグレードアップしててびっくりだ。
写真の加工が得意な人にとっては、なんてことない技術なのかもしれないけれど、Photoshopに四苦八苦して、静かに遠ざかった身としては、あっという間のこれは、実に驚きだし、ありがたい。
そして、ちょっとドキドキもする。
ごめん。「本物はちょっと違うの」と。
それ以前に、加工技術が進化しすぎて、実際に会った時に「あれ?」っていう戸惑いは、これから増えて行くんだろうな。
ま、写真に関しては昔も今も、そんな感じか。
若かりし頃のオーディションで「写真は、可愛いのにねぇ」と面と向かって言われたことあるし。
バーチャルリアリティと現実、実物とAI制作画像、実写とCG、何が本物で何が仮想なのか、もう区別は難しい。
数年前、アリーナのJO1のライブに参戦したとき、メンバーが私の目の前を通ってくれたのだけれど、光を浴びて超絶キラキラしながらも、髪の毛に滴る汗とか、皮膚の感じとかが「普通」の質感の若者だったので、いたく安心した記憶がある。
「良かった。人間だった。普通の。身体、気を付けて頑張るんだよ」
と、近所のおばちゃん的に素直に思えた。
「普通」の質感の若者という言葉が出るくらい、ネットの世界では「普通」じゃない質感の人間たちであふれかえっている。
時々、ふっと「怖いな」と感じることもある。
同じ空間で会うということは、実はとても大事なことじなんじゃないかと思う。
昔、会えない時間が「愛」育てるのさという歌があったけれど、実際に会わないと、相手を美化しすぎたり神格化しすぎたりするかもしれないし、逆にモノのように扱っても罪悪感を感じなくなりそうなので要注意だ。
同じ空間にいると、言葉以上の情報がお互いにやりとりできる。
なんとなくの「感覚」で離れたり、近づいたり。
まとっている空気に不穏なものを感じ取れるのも、同じ空間にいるときの方が確かだと思うし。
肉体は、受信体であり発信体であると思う。
アンテナの精度を高めるためには、肉体を通しての経験とメンテナンスを大事にしたい。
これは、AIにはできないことだから。
それでもだ。
ワードプレスのホームページ制作の時も、画像加工の時も、小説を書く時の、40年前のデータを検索するときも、AIはアシスタントとして恐ろしく優秀で良い仕事をしてくれていると思う。
仲良く上手に付き合えればそれでいい。
その上で、愚直に足を運び、人に戸惑い、ぐちゃぐちゃと考え、ここの助詞は「は」か「に」かなどと、頭を抱えながら悶々として行きたい。
だって、それがコミュニケーションや創作において一番美味しくて楽しい要素なのだから。

