将棋と私(鹿耳さんに捧ぐ)
鹿サポブログの大先輩、【鹿耳】さんが最近将棋にハマっているそうだ。ゲームとしての将棋はともかく、棋士という存在に限りなく憧れと畏敬の念をもっているらしい。アントラーズがなかなか調子が上がらない今般、自分にとってもかなり嬉しい出来事だったので、自分も将棋をテーマに少し書いてみようと思う。
将棋と出会ったのは、小学校6年生のとき。当時父の仕事の関係でフィリピンにいた。反日感情の強い国で、当時は戒厳令がしかれていた。日本人の子供は必然的に室内遊戯で過ごすことが多かった。将棋は弟の同級生に教えてもらった。ウチに泊まりに来てもらって、徹夜で100番指した。個性的な駒の動き、持ち駒が使える不思議なルールに魅了された。パソコンなどまだなく、日本からの情報は船便でひと月以上遅れて届く新聞だけだった。家に残っている古新聞から将棋欄を切り抜き、棋譜を何回も並べた。王様を守るのに『矢倉囲い』とか『美濃囲い』とかの囲い方があるのを知った。連結した守備駒の機能美に虜になった。定跡書などなかったから、どうやったらあのような美しい城を築き、王様を入城させられるか知りたかった。将棋欄で大山康晴名人を中原誠挑戦者が倒して、中原時代が到来したことを知った。
帰国して名古屋の中学校に編入した。その中学は将棋部がなかったので、毎週土曜日、下校途中の弟に学校カバンを渡し電車に飛び乗り、栄にある板谷進八段の将棋教室へ行った。昼食・夕食も取らず、家に帰ると夜11時を回った。空腹で胃が吊るほどだったが、それでも思う存分将棋が指せて楽しかった。
高校入学して将棋部に入部しようとしたら同好会すらなく、愛好会しかなかった。ただひとりの3年生の部長と生物実験室で対局したが、簡単に勝ってしまった。その3年生が受験で来れなくなると一人になり活動休止、運動部で遊んでいた。しばらくして将棋が好きな他のクラスの男と知り合い、生物実験室で二人で将棋を指し始めた。京大医学部を目指す秀才の相棒は私より少し強く、二人だけで【名人戦】【王将戦】7番勝負をしてタイトルを争った
翌春、二人で一世一代の新入生勧誘パフォーマンスして新1年生が6人入った。生物実験室の机に将棋盤を6面並べ、相棒と二人で3面指しして『俺たちに勝ったらミスドでおごる』と餌で釣って鍛えた。半年位したら一人K君が強くなった。3人になったので、東海三県高校将棋団体戦に出場した。ダントツに強い私立東海高校には負けたが準優勝した。相棒が生徒会にも顔が利いたので、実績をアピールしてもらい同好会に昇格した。予算が4倍になって部費で盤駒購入できたのが嬉しかった。
83年、谷川浩司八段が史上最年少の名人になり、将棋界が変わり始めた。当時の『谷川フィーバー』(フィーバーという言葉自体に時代を感じる)は凄まじく、対局場と将棋会館でしか行われていなかった大盤解説会が初めて街に飛び出した。第41期名人戦第6局、新宿高層ビル街の三井55広場で、私は新名人誕生の瞬間に立ち会った。解説役の田中寅彦八段(当時)の興奮した声を覚えている。
それから10年、新しい波がやってきた。初代竜王、島朗が才能を認め研究会(通称【島研】)に招いた羽生善治・佐藤康光・森内俊之の【チャイルドブランド】が頭角を現し始めた。
95年羽生は主要7大タイトルの内6つを獲得、最後の7つ目をかけて谷川王将に挑戦した。神戸在住の谷川王将は95年1月17日阪神淡路大震災で被災、この年は鬼神の気迫で羽生挑戦者を退けた。(3勝3敗後最終局は千日手差し直しで谷川防衛)
羽生の棋界統一の野望は潰えたかに思われたが、翌年羽生は6大タイトル総てを防衛して王将戦も再度挑戦者になり、再度谷川王将に挑戦した。【羽生フィーバー】でマスコミも大騒ぎ、谷川王将も最後の砦を0-4で明け渡し、羽生善治が史上初の7冠制覇、棋界統一を成し遂げた。
その時の記念の品である。
(テレカって今でも使えるんだろうか
)
空前絶後の記録である。
名人と竜王は全ての免状に揮毫します。羽生七冠も書道の先生について学んだと言われてます。この頃の字は原石ですね。
終戦記念日に思う
小6中1の時フィリピンにいた。反日感情の強い国で戒厳令の時代。
日本人学校が全日制になったのは中1から。反日感情が強くなかなか全日制にできなかったらしい。同窓生は10人位。“位”というのは父親の赴任期間で出入りがあるから。小学校卒業式のときは8人だったが卒業証書はなかった。
日本兵に殺されたフィリピンの民間人はいたるところにいた。我が家の住み込みのメイドさんは父親を。日本人学校のスクールバスの運転手は両親を。友達のお父さんがゴルフの帰り、車追い越しがてらマシンガンで銃撃され殺された。犯人も動機もわからないまま友達は帰国した。
日本に帰ってから『バターン死の行進』など史実を知った。一昨年この史実が現在進行形であることを知り驚いた。
http://ameblo.jp/hama-penguin/entry-10698903795.html
日本でこういう話題になると、「戦争とはそういうもの。私の先祖もソ連で、中国で、朝鮮で殺された」とか「過去の話。現在の私たちとは関係ないし自虐的すぎる」とか「国家賠償したし、現在もODAで開発援助している」とか話をすり替えられてしまう。海軍の純粋戦闘行動と違い、陸軍は現地調達(略奪)しながら侵略するわけだから、日本の陸軍兵士が戦闘行動で殺されるのと、現地の民間人を殺戮するのは全く別の話だ。
ご先祖様が現世に来られるお盆に終戦記念日がある。
近隣諸国はこの日は「開放記念日」。毎年扇情的な愛国パフォーマンスを繰り広げるが、いたずらに感情的にならず、今一度、先人の多くの犠牲の上に私たちは徴兵制度のなくなった時代に生かされていることを、肝に銘じたい。
山口県光市母子殺害事件、死刑確定に思う
最高裁記録上、最も若い犯行時年齢での死刑確定となっただけに、法曹も悩んだと思うが(死刑判決に反対意見が付いたのは極めて異例)13年は長すぎた。救いは遺された御主人が立派な方だったこと。「全国犯罪被害者の会」の幹事として犯罪被害者等基本法の制定、被害者参加制度の導入などを実現した。09年に再婚したとのこと、どうか平穏な人生を過ごされることを祈って止みません。
99年4月の光市母子殺害事件の後、01年4月に三軒茶屋駅のホームで、銀行員の男性が18歳の少年2人に殴り殺される事件が起きた。若者が「キレやすい」と言われるようになった。
01年5月、横浜から西武ドームにプロ野球を見に来た、女性連れの男性が帰りの電車で「もう少し詰めてもらえませんか」と言っただけで、24歳の男2人に「おれたちに因縁をつけた」とプロレス技ラリアットで首を殴打され、後頭部をホームのコンクリートで打って死亡する事件が起きた。死亡した男性は私の家内の弟の親友でした(連れの女性は婚約者でした)。犯人は自首したが、事件後1年以上苦しんだ義弟を見ているだけに、ご遺族の無念は如何ばかりか。。。
02年2月、東京地裁で三軒茶屋駅傷害致死事件の2人の少年に実刑判決が下された。裁判長が判決文を読み上げた後「唐突だが、君たちはさだまさしの『償い』という歌を聴いたことがあるだろうか?歌詞だけでも読めば、君たちの反省の言葉がなぜ心を打たないのかわかるだろう」と被告に話しかけた。説諭でポップスの歌詞が引用されたのは裁判史上初の出来事だった。
被害者から『あなたを赦す』という言葉をもらうまで罪は償われないと思う。(国家による戦争犯罪についても同様と思っているが別の機会に)。神になり得ぬ人間は、『赦す』境地にはなかなか到らないから、社会正義として死刑制度があるのだ。犯罪者が確定していて、無期懲役か死刑かという量刑の問題と、死刑廃止論者がいう「冤罪の可能性」は別の問題だと思う。
さて、10数年後の現在の私は。。。
込み合う電車内で押されて、狭い中スマホを見るスペースを確保している女性を押してしまい、キッと睨まれてドキッとする小心者のオッサンです
![ショック!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/143.gif)
回顧録11.10.29.ナビスコ杯決勝;浦和戦@国立
決勝に進出したのは06年以来5年ぶりでした。列整理が始まる朝7時前に仲間のもとに行ったのですが、すでに列整理が始まっていてパニックに
仕切り役の「○番の人、居ませんかー」の声が響きます。ホーム側浦和の千駄ヶ谷門待機列とアウェイ側鹿島の青山門待機列が最後尾でバッティングしそうになり、管理責任者が列整理を繰り上げたのです
朝食に行ってシート貼りした場所を離れていた人たちは本当に困惑していました
。
結局管理責任者は、鹿島の待機列を隣接する明治公園に誘導して、浦和側の最後尾とのバッティングを回避しました。7時まで場所を離れていた人たちも救済され、事なきを得たようですが、浦和が決勝進出した段階で十分予想できたことです。管理責任者には猛省を促したいと思います
開場後ゴール裏は、さながら鹿サポの同窓会でした
。関西から駆けつけた仲間
ブログ仲間
。。
この日決勝特別プログラム『STORIES~背番号とタイトルの物語』が限定3000部発売されました。 アントラーズが今まで獲ってきた14のタイトルと背番号にまつわるストーリーで構成され、永久保存版の「マッチデープログラムを超えたプログラム」とのこと。早速ゲットして贔屓の選手のページを読む仲間
http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/official_shop/12086
選手入場でビッグフラッグを展開します。(公式HPより拝借しました)
中はこんな感じ。
下段の横長3枚の継ぎ目部分が離れないよう必死で合わせます。
国歌斉唱は倉木麻衣さんでした。3/29東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ@長居や、8/19東日本大震災復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン! なでしこジャパンvsなでしこリーグ選抜@国立も彼女が国歌斉唱しています。
いよいよキックオフ
ファイナリストとして国立で応援できる幸せを感じました。
試合は序盤から鹿島ペース。前半45分を通して、鹿島のピンチは30分の梅崎のシュート程度で、ほぼ浦和陣内でのプレーに終始しました。後半に入っても鹿島が主導権を握り、47分50分と立て続けにイエロー2枚で山田直が退場すると、鹿島の一方的な試合運びに。セットプレーで浩二のヘディングシュートは惜しかった
80分、今度は青木が2枚目のイエローで退場となり、CBにイバが入るスクランブル
鹿島は今大会3試合連続となる延長戦を迎えます。そして延長前半終了間際の105分、田代のポストプレーから興梠がえぐり、ラストパスを大迫が浦和ゴールへ叩き込み、待望の先制点
延長後半の15分間、浦和の攻撃をしのぎ切り、ついにタイムアップ
感情が爆発します
歓喜の輪が拡がります
静まり返る対岸の赤。。
勝者と敗者の残酷なコントラスト
表彰式です。浦和はグッド・ルーザーを演じ切りました
ヤマザキナビスコカップ(スポンサー杯)とJリーグカップ(チェアマン杯)の授与
優勝賞金1億円の贈呈。
優勝チームのみ経験できる至福の瞬間
MVPは決勝点を決めた大迫選手。
インタビューにも、しっかりした声で受け答えしていました。
天性のストライカー覚醒のターニングポイントになる予感が。
ここから見る景色を経験することで、勝者のメンタリティーが培われます。
小笠原キャプテンがヤマザキナビスコカップを掲げます。
そしてオリヴェイラ監督が吠えます『獲ったどー
』
左端で遠藤選手がおどけています。ケガで戦列を離れている本田拓也選手が、昌子源選手をねぎらっています。西大伍選手は涙ぐんでいるように見えました。
優勝経験をしたくてアントラーズへの移籍を決意した選手にとって、いろいろあった1年。。。この優勝は感じ入るものがあったに違いありません。
今年入団した昌子源選手はベンチ入りして優勝メダルをもらい特別な1日となりました。
青木選手が退場したため、本山選手がプレーする試合展開になりませんでした。
しかし、準決勝の名古屋戦で延長後半の頭からプレーし、たった2分で決勝点をアシストしたスルーパスをサポーターは忘れません。
オリヴェイラ監督をして『本山は宝物であり、クリスタルのような存在。(中略)彼の持っている視野、パスの質が決勝点を作り出した。これが出来るという部分では、彼は日本で一番だし、それが彼の天性のサッカーセンス。彼を起用できる私は、幸せな監督だと思う。』 と言わしめた本山選手の功績は輝きを失いません。
それにしても3試合連続延長戦で120分×3=360分フルタイム出場した柴崎選手は、今年の新人選手とは思えない落ち着きぶりです。
オリヴェイラ監督がゴール裏に向かって投げキッス
新井場選手『どや、パパ
カッコエエやろ
』
ゴール裏をバックに記念撮影
インタビューを終えて遅れて来た大迫選手に入る場所を指示する、チーム創立以来のオフィシャルカメラマン、櫻井由美サン。
櫻井由美さん、これから大忙しです
オリヴェイラさんがゴール裏観客席によじ登って来ました
ルイスGKコーチ、川窪通訳が笑っています
就任以来、どうしても獲れなかったナビスコカップを手にして誰よりも喜んでいます
この熱いハートが選手の気持ちを動かすのでしょう。
選手にとって子供に父親の勇姿を見せることのできる貴重な瞬間でもあります。
ベンチ入りしていた本山選手が優勝メダルをかけてなかったから、どなたかのお子さんにかけてあげたのでしょう。
裏方の関ドクター、八っつぁん(橋本トレーナー)にチェアマン杯を渡してねぎらうフェリペ選手。ケガで苦しんだフェリペ選手の感謝の現れでしょう。
選手はバクスタに移動します。
中田選手は球団の小西弘樹広報担当課長にも労をねぎらっています。
バクスタに向かって最後の挨拶。
普段クールな印象の新井場選手が最後までゴール裏に拍手していたのが印象的でした。
鹿島アントラーズは9年ぶりに4回目のナビスコカップ優勝を果たし、15冠目のタイトルを獲得しました。(内訳;リーグ優勝7回・天皇杯4回・ナビスコ杯4回)
ナビスコ優勝者に渡されるチェアマン杯は持ち回りのため1年間預るだけですが、
http://www.j-league.or.jp/yncup/cup_nab1.html
ヤマザキナビスコカップ(スポンサー杯)は毎回優勝チームに贈呈されます。
ティファニー社製の純銀カップだそうです。
ヤマザキナビスコ株式会社様、ありがとうございます。
横浜情景(31)第88回箱根駅伝(往路)@横浜市場前12.1.2.
箱根駅伝を沿道で声援するようになって、もう20年になります。
80年代前半活躍したイギリスの陸上中距離選手、セバスチャン・コーの走りに魅せられて(80モスクワ五輪1500m金800m銀・84ロス五輪1500m金800m銀)から、陸上競技が好きになりました。81年公開されたイギリス映画『炎のランナー』はコーとスティーブ・オベットをモデルにしたんじゃないかと思ったほどです。(種目も違うし、実在のモデルは別の人物なのですが)
義父が神奈川陸協会員で、箱根駅伝では30年以上走路員を務めているので、私も結婚してからは往路の2日は義父の担当地区で、母校中大を声援するようになりました。ここ3年は鶴見中継所から7.3㎞、横浜市場前交差点が義父の担当です。今年は選手も裏方さんも全員『がんばろう日本』のシールを貼って大会に参加しています。
天皇杯4回戦;京都戦@丸亀11.12.17.(参戦レポ)
相方のしかよは四国初上陸でした。私は3才から9才半ばまで、社名に【ギャンブル】とか【カジノ】を冠して呼ばれるようになった某製紙会社のホーム
県に住んでいましたので【うどん県】には親に連れられてよく来ましたが、瀬戸大橋完成してからは四国に来るのは初めてです。
サポーターバス主宰の荒野さん、11年目にして初めての四国遠征だそうです。
16日23:45東京駅集合、0:00出発。2時間ごとにトイレ休憩とりながら翌朝6時過ぎ朝食休憩をとり、岡山JCTから南下していくと瀬戸大橋が見えてきました。
瀬戸大橋は、倉敷市と坂出市の間の5つの島に架かる6つの橋梁と、それらの橋を結ぶ高架橋の総称で、88年4月に開業しました。ほぼ中央の与島PAが絶好のビューポイントというので、最後の休憩をとります。橋を降りてバスを降りると、ちょうど道路の下を走る電車(赤矢印)が岡山に向かうのが見えました。
東京から丸亀陸上競技場まで片道約720Kmを、佐藤運転手とタッグを組んで日帰り弾丸ツアーを引き受けてくれた伊東運転手。伊東さんには8月のアウェイ仙台戦でもお世話になっています。
http://ameblo.jp/hama-penguin/entry-10999012588.html
展望台から見る眺めは絶景でした
以下5枚は連続写真です。
昔、中国人が『ここは何という河か?』と聞いた位、穏やかな瀬戸内海の上空にまだ月がかかっていました
予定通り10時に丸亀陸上競技場に到着。すでに多くの鹿サポが開場待ちしていました。競技場は4隅にマラソンゲート(青矢印)があり、メインスタ・バクスタから芝生席と往き来するには門櫓(もんやぐら)のような廻り階段(赤矢印)を登り降りしなければなりません。
11時開場。ホーム側芝生席から入りましたがゴール裏はピッチから遠く、主力応援団がババックスタンドコーナー寄りに陣取ったため、私たちも芝生席からバクスタへ移動するのに門櫓の階段を登り降りしました。
1時キックオフまでに腹ごしらえします。ゴール裏芝生席出た所にうどん屋と売店のテントが見えたのですが、あの門櫓の階段をまた登り降りするのは皆億劫らしく、バクスタの売店は長蛇の列
売り切れが心配でしたが、08年浦和がここで試合したので学習したのか1000食用意しているとのこと
本場の讃岐うどんは、競技場売店でも釜茹でてから湯切りする手間のかけようで、さすがの味でした。
私は子供の頃県に住んでいて、母方実家の
県に里帰りするのに予讃本線~高徳線~小松島線~南海フェリーによく乗りました。高松駅で乗り換える際、プラットホームの立食いで食べる讃岐うどんの美味しさが舌に刻まれているせいか、その後6年間住んだ名古屋のきしめんに馴染めず
、東京に行っても濃い色のうどん汁に入ったうどん(しかも九条系ネギを散らしていないし
)は5年以上食べることができませんでした
(今でも立ち食いは蕎麦しか食べませんが
)
現在は東京でも「はなまる」進出以降、讃岐うどんが気軽に食べることができて嬉しい限りです
選手がアップに出てきました。丸亀競技場は元鹿ヨッシー(吉澤佑哉;05~08)が在籍するJFLカマタマーレ讃岐の本拠地です。メインスタンドがやたら巨大で(3万人収容)芝生席とアンバランスな感じがしますが、カマタマーレがJ2昇格すればおおきな収入源となるにちがいありません。
天候は晴れ・気温14度でした。陰らない限り、芝生席で観戦組も気持ちよさそうです。
表示版はオーロラビジョンではなく、6面体の4面を磁気により回して色替えをする「4色磁気反転型表示版」です。昔の三ツ沢競技場がこれと同じでしたね。スターティングメンバー発表の後、サブメンバーを飛ばして監督名になったので観客席からどよめきが。サブメンバーの入力が間に合わなかった?
昨年の天皇杯は現役引退する大岩選手を元旦国立に連れていこうとチーム一丸となりました
。今年は今季限りで退団を表明したオリヴェイラ監督を元旦国立まで連れていこう
とチームもサポーターも一丸となって戦います
選手入場後、両チームのサブメンバーの発表がありました(アナウンスのみ)。観客数5,671人。ヨッシーやファビアーノ岡山の後藤圭太、大道もメインのどこかにいるのかも?
スタメンは岩政がケガから復帰、本やんが久々の先発、岳と誓志のボランチで満男がサブでした。しんぞー、今日こそ頼んだぞ
ところが表示板にはスタメンに見慣れぬ名前が並びます
ヒトダイ
トオ
ガ
シンソ
京都サポもバクスタコーナー寄りに陣取ったようです。それにしても少ない
。京都からなら香川は近いはずですが
。アウェイゴール裏向こうのマンションからはタダ見し放題なのも三ツ沢と似ています。
試合の方は前半風上に立つアントラーズが開始早々押し込みますが、今年お決まりの決定機を外すと、25分過ぎから反撃を受け防戦一方
ソガのファインセーブがなければ前半だけで何点取られていたことかわかりません
。後半に入っても流れを変えることができず、宮吉に59分先制点を許すと、63分本やん
満男、71分岳
タルタとカードを切るも効果なく、そのまま0-1で終戦を迎えました
サイド限定して局地戦を挑む大木武監督のサッカーはヴァンフォーレ甲府時代戦っているので分かっているはずでした。局地戦を挑まれれば頻繁にサイドチェンジしていなし、後半足が止まってきたところを仕留める。06年07年とホームで快勝しています。ところが最近のJ2は個人の技量の差を埋めるべく、速いプレッシャーを展開して、しかも走力が落ちません。天皇杯3回戦で対戦したJ2で16位のカターレ富山にも延長戦まで苦しめられました。J2で7位の京都に対していなしきれず、ずるずる土俵を割ったような、まさに完敗の試合内容でした
終戦の現実が受け入れ難く、ブーイングも力ないものでした。静まり返るゴール裏に挨拶に来た選手たちも完敗のためか、どこか淡々としていて気のない挨拶になってしまいました
オリヴェイラさんは選手が踵を返しても一人留まりじっとサポーター席を見つめていました。その目から涙こぼれていました
。オリヴェイラさんがメインスタンド通用口から姿を消す直前に応援団が我に返ったようにオリヴェイラコール始めましたが、もう振り返ってくれませんでした
こんな形でオリヴェイラ監督とお別れすることになろうとは思いませんでした
翌日カシマスタジアムでオリヴェイラ監督の功労賞表彰式がありますが、試合後バスでとんぼ返りして東京に翌朝到着する私たちには鹿島まで行く気力が残っていません。
試合終了後、丸亀城の
まで移動して、18:30まで自由行動。私たちは讃岐うどんとならんで香川の名物といわれる骨付鳥を【一鶴】本店で食しました。
http://www.ikkaku.co.jp/honetsukidori.html
一鶴本店に向かう途中の商店街で、カマタマーレを応援する多くののぼり・ポスターを見かけました。ホームスタジアムは前述のとおり3万人収容の立派なスタジアムなので、あとは地元の後押しと成績が伴えばJ2昇格もすぐそこまで来ているんではないでしょうか。
バスに戻り四国健康村という温泉施設で2時間リフレッシュしてから東京に帰りました。
弾丸ツアー企画してくださった荒野さん、運転手の伊東さん・佐藤さん、ありがとうございました。
クラブ創設20周年記念@カシスタ一般開放11.9.25.
1991年10月1日に創設された鹿島アントラーズFCが2011年10月1日、創設20周年を迎えます。「20周年の20日間~20days for the 20th~」のメモリアルイベントとして、浦和戦の翌日に「オープンスタジアム」が開催されました。カシマサッカースタジアムがピッチレベルまで一般開放され、様々なイベントが催されました。
浦和戦の翌日、鹿嶋市内に宿泊、9時開場に合わせて宿を出ました。
絶好のイベント日和秋晴れに
ススキゴールデンレトリーバーの尻尾を思わせるパンパスグラス(和名シロガネヨシススキ)が映えます(10/1訂正)
スペシャルスタジアムツアー(10時受付;先着100名。13:00~)は、あちこちで選手がお出迎えするらしい
とか、選手バスにも乗らせてくれる
とか聞いていたのですが、朝7時から並んでいる人もいて断念
A20人文字記念撮影(10時受付;先着400名。16:00~)の整理券をもらってから、メインエントランスホールに展示してある櫻井由美さんの写真パネルを見て思い出に浸ります。櫻井由美さんはジーコに出会い、92年7月以来アントラーズのオフィシャルカメラマンとして活躍されています。
とても懐かしく拝見しました。
ピッチでマッチ(①10:30~②14:00~)は子ども優先と聞いていたので半ばあきらめていたのですが、選手参加の2回目に人気が集中したらしく、生まれて初めてカシスタのピッチの上に立つことができました
ピッチには全員裸足で入ります。ペナルティーエリア内とコーナーは芝が傷んでいるので、大人はなるべく立ち入らないように、との指示を受けました。
大人と子供それぞれ半数がビブスを着用、第1試合?はビブス組vsビブス無し組(大人子供混合)5個のボールを使って得点を競います。
こちとらゲームは2の次なので
カメラを携えてピッチ上から全周囲を撮影します
体型
から不動
のセンターバックを務めましたが、子どもたちの上手いこと
全然ボールに触れません
04年から座り続けて8年目になる自分の席をピッチの上から見るのは新鮮でした
1時から「住友金属蹴球団OB vs. 鹿島アントラーズOB」のデモンストレーションマッチ(20分ハーフ)がありました。
第4審判ブースでは、スタッフが真剣な表情
で何やら講習会
AEDです。リアル過ぎてシャレになりません
http://www.jhf.or.jp/aed/index.html
井畑社長、鈴木満常務、鈴木秀樹部長、お願いですから無理なさらないで下さい
両チーム揃っての記念撮影
大東前社長が早稲田大ラグビー部主将だったことは有名ですが、井畑社長も和歌山県立桐蔭高校~慶応大学~住友金属とサッカー部で活躍されてました。
実力的にはアントラーズOBが明らかに上。試合になるんでしょうか。。。
オリヴェイラさん、SMILE AGAINでも
番でした。
番に思い入れがあるんでしょうね。センターサークルに入ってやる気満々です
試合は前半、削りに行かない暗黙のルールがあるにせよ、なんと住金蹴球部が先制
意外な展開に後半、アントラーズOBはスピードを上げてゴール前に殺到、オリヴェイラさんが同点ゴール
そのまま1-1で終了しました。オリヴェイラさんが一番走っていたのが印象的でした。
選手参加が参加するピッチでマッチ2回目に誓志が出ると聞き、すっ飛んで行ったアリスグランマ
すでに誓志に張り付いています
あれ?戻って来た
と思ったら、カメラを取りに戻って来ただけでした。
ゲームそっちのけで撮影大会が始まっています
すでにサインの入っている14番ユニに、今度はフルネームでサインしてもらったそうです
乙女心
は永遠ですね
14:45からイエローハットステージで現役選手参加のプレイヤーズオンステージが始まりました。
コスプレコンテスト一般部門(12:00~)の入賞者表彰式は謎の中国女性が乱入
10冠達成以来恒例になった新人選手のコスプレのトップバッターは昌子源選手。
土居聖真選手のこれは。。。似合いすぎてる
梅鉢貴秀選手のこれはハマりすぎていて
本やん「ノーコメント」
鹿王子
には拒否権があるみたいですね
体調不良の柴崎岳選手に替わり出場したのは“ミスターX”何もしゃべりませんが198㎝の身長は隠しようがありません
優勝は圧倒的支持を受けた土居聖真選手
感想を聞かれ『センター獲りました
』
完全になりきってマス。岳と競わせたかった気もします
。
井畑社長も傍らで見守っていました。
フリークス王決定戦ファイナルには岩政先生が飛び入り参加
1問も当たりませんでした
アントラーズグッズコンペ部門優勝は、ゲーフラを折りたたまずに入れることのできる袋をプレゼンテーションした女性。商品化決定で来年楽しみですね
いよいよ現役選手たちによる第1部・ダンスパフォーマンスショー
総合プロデュ―サー中田浩二の手腕はいかに
當間選手・八木選手・小谷野選手・昌子選手による「スリラー」
八木ッチ、“ミスターX”に続いて出ずっぱりデス。チェストが1人だけ小さすぎです
中田プロデューサーがイチ押しの『筋肉時代』登場に場内騒然
ここまで出ずっぱりのヤギッチ、センターで登場です
ノザのはっちゃけぶりが秀逸でした
おネエ系あり、フレディ―系あり。。
西大伍選手もダンスに参加するはずが前日の浦和戦で負傷してしまい残念でした。
それにしても相当練習積んだようです。
「非公開練習」ってこれだったのね。。。
第2部・J-POPライヴパフォーマンスショーは杉山・田代・興梠・遠藤4選手による『NEWYORKERS』
嵐の「OneLove」を披露。しんぞーの美声にビックリ
訛っていません
アンコール曲を『筋肉時代』が用意してなかったため、『NEWYORKERS』がSMAP「世界で一つだけの花」を披露
バックダンサーのはずの『筋肉時代』ノザが乱入
舞台の袖で79年組が笑ってマス
前夜の試合で負傷し、踊れなかった大伍も舞台に上がりました。
フリが変態キングのノザに乗っ取られ、だんだん妙ちくりんな「一つだけの花」に
あ~あ「世界に一つだけの筋肉」になってしもうた。。。大伍が引いてます
本日のラストイベントです。
400人で20周年記念ロゴをピッチ上に現わします。私たちは整理番号15番・16番だったので、Aの字の縦棒のグループに入りました。
グループごとにピッチに入ると、選手たちがベンチでスタンバイしていました。
選手たちも人文字に参加することを知り、一気にテンションが上がります
ピッチ上では人文字の微調整が続いています。
第4審判ブースの狭い空間に若手が仲良く座ってマス。そこへ。。。
ゴリラのマウンティング~その①
ゴリラのマウンティング~その②
人数が多すぎてスタッフは人文字に参加できませんでした。飯山さん、残念そう
心霊写真ではありません大岩コーチです。
微調整が終わり、選手たちが参加。Aの字の縦棒の前にいる私たちは好位置だったようで、目の前に本山選手が来て、本山ファンの相方は言葉も出ません
選手たちがこちらを向いて笑っているのは、私の横にナラさんがハロウィンの派手なオレンジ色の帽子をかぶって私の真横に立ったからです。
『しんぞー、歌よかったよ
』と話しかけたら『あ痛っ
』と言われました。
人文字は公式HPで見ることができます。
宮城の復興の足しに@松島11.8.14.
仙台戦の翌日、荒野バス全員で松島観光しました。
伊東運転手は荒野バスの名物運転手。常連さんは鹿サポ仲間のように話しかけます。予約しておいた駐車場側のミスで、前夜タクシーで2000円かかる駐車場までバスを移動させるトラブルがあったにもかかわらず、翌朝早くから私たちの宿泊したホテルの近くにバスを待機させ、明るい笑顔で迎えてくれます。伊東さんの会社でもベテラン運転手は少なくなったとのこと、『明日は諏訪湖の花火大会
で、明後日は京都だよ
会社もこき使ってくれるよね』『バスの運転手なんかするもんじゃないよ』と笑いながら話す伊東さん、『なんであんな苦いもの
をみんな飲むのかわからない』やっぱり
運転手が天職のような気がします
松島は30年ぶりに来ました。当時こんな大きな遊覧船はなかった気がします。
99年に松島遊覧船に乗った相方は、『グリーン室(2階席・600円増し)はなかったと思う』と言います。裕福になった日本人の差別化嗜好の反映かもしれません。ゴール裏派の私たちは当然1階のパンピー席に入ります。シートがベガルタカラーで苦笑
昨日の試合、勝ってよかった気持ちよく宮城に金が落とせます
松島観光名物のカモメさんたちも、遊覧船の出航と同時にご出勤デス
松島島巡りのサワリを少し。
伊達正宗公が湾内を遊覧した際に、この島の形の良さに大変感激しあの島を余の館に運ぶ物あらば銭千貫を遣わすと言ったところから【千貫島】と名付けられました。
島に空いた4つの穴に打ち寄せる波の音がまるで鐘を打つ様に聞こえるところから
【鐘島】と呼ばれています。
人が座った様な形をしているところから【仁王島】と呼ばれています。
この島は面白い事に目もあり、口もあり、口には葉巻タバコをくわえ頭にはベレー帽をかぶって非常に近代的で おしゃれな仁王様になっています。
【タルタ島】じゃなくて【亀島】
30年前に松島で乗った遊覧船は小型クルーザーでした。外洋に出た途端激しいピッチ(縦揺れ)で、空を向いたか
と思えば海に突っ込む
ジェットコースター状態
柵にしがみついていた記憶しかありません松島で初めてカモメと戯れます。
といっても今は横浜で散々カモメの餌付けしているからなあ。。
http://ameblo.jp/hama-penguin/entry-10435902868.html
http://ameblo.jp/hama-penguin/entry-10443742281.html
http://ameblo.jp/hama-penguin/entry-10457362752.html
http://ameblo.jp/hama-penguin/entry-10877090926.html
松島はウミネコが多いようですね(黄色い足&尾羽に黒い帯)。
カモメのエサとして市販の【かっぱえびせん】を船上で売っているのにビックリ
人間のジャンクフードを野生の海鳥に与えるのはどうかなぁ。。。
塩分は排出できても油分や炭水化物は消化できるんだろうか
外洋から戻る途中、牡蠣の養殖棚で作業している人たちと遭遇しました。
津波で大きな被害を受けた松島湾では、「種ガキ」を海におろす作業が例年より約1カ月遅れの4月から再開されました。
松島から石巻の沿岸部は、養殖に欠かせない「種カキ」と呼ばれる孵化(ふか)後間もないカキを全国に供給しています。農林水産省によると平成21年の種カキの販売量は全国で約87万連(1連は貝60枚分)。このうち宮城県だけで約708,000連を占め、広島県の144,000連を大きく引き離します。しかも広島県産の種カキは主に同県内で用いられているため、広島県以外の全国の養殖業者が宮城県産(松島と石巻で大半を占める)の種カキに依存してきました。
大震災後に襲った津波で東松島市の面積の半分以上が冠水しました。県漁業協同組合鳴瀬支所では、カキ部会27人中3人が津波の犠牲となり、カキ棚250台が全壊しました。震災直後は「養殖をやめよう」と思う人もいたそうですが、一命をとりとめた24人全員が残った船やカキ棚を共有して、作業を始めたそうです。
宮城のカキ再生への努力を続ける皆さん、どうか頑張って下さい
秋に『宮城県産生ガキ』を見かけることができたら、必ず買います
宮城県産生ガキを食することができた時、必ず今日の風景を思い出すことでしょう。
海鳥たちも養殖再開を見守っていました。
【三陸牡蠣復興支援プロジェクト】が立ち上がり、復興支援の輪が広まっています。
公式HPhttp://sanriku-oysters.com/
東松島市東名(とうな)の種牡蠣生産者が8月1日、この支援金でホタテ原盤1200本を購入できたそうです。
http://sanriku-oysters.com/report/e-matsusima20110801.html
こうしたカキ棚一つ一つに、いろいろな方々の思いが詰まっているのですね。
遊覧船から陸に上がり、『松島さかな市場』に立ち寄りました。
http://www.sakana-ichiba.co.jp/
三陸の海産物がないのは承知の上です。
松島で今度行きたいところと言えば『カキ小屋』
辺鄙な場所では、バーベキュー施設とカキだけ提供、酒持ち込み自由というところもあるらしい
このお魚市場内にもカキ小屋スタイルのお店があったので入ってみました。現在は松島産の種カキから育てた三重県産を使用しているそうです。三重県といえば鳥羽市の浦村や志摩市の的矢かきが有名ですね。
カキ小屋は通常年末年始を除く秋春シーズンに営業します。真夏は炎熱地獄です
TOKIO山口君に似た好青年が顔を真っ赤にして牡蠣を焼いています
牡蠣は時々パンパン
と破裂して牡蠣殻片が飛び散ります
北寄ホッキ貝は食べやすいように切ってくれます。
焼き牡蠣の美味しさが画像で伝わるでしょうか
ツブ貝はサザエ並みの大きさでワタ(肝)まで美味しく食べることができました
さかな市場の水槽で売っていたのと同等の値段で、美味しくいただきました
このさかな市場でも津波の被害がありました
。
以下土産物売り場に掲げてあった写真です。
松島の島々が津波の直撃から守ってくれたといわれる所さえこの有り様です。
家ごと、街ごと、すべて倒壊し流された被災地は好奇心で行くところではありません。
地元の河北新報社刊の特別報道写真集を買いました(売上の一部が義援金になります)。東京の出版社も何冊か発行していますが、自らも被災したであろう新聞記者が撮った写真は心に迫ります
お土産には「萩の月」ではなく、岩手県大船渡市『かもめの玉子』『ミニかもめの玉子』を大量に買いました。小笠原選手からの頼みじゃ断れません。
さいとう製菓公式HPで大船渡市の津波の記録をDVDにしています。
DVDにして記録した意味も公式HPに書いてあります。
http://www.saitoseika.co.jp/item_detail/itemId,106/
アントラーズサポーターから集めた支援物資を、小笠原選手の故郷・大船渡と遠藤選手の故郷・塩釜に自ら届け続ける荒野さんは、『復興しましたら是非、塩釜や大船渡に行ってみて下さい』と言います。満男の大船渡高校サッカー部の同級生がやっている【民宿とまり荘】は現在災害復興ボランティアが滞在しているそうですが、復興したらぜひ泊りに行きたいと思いました。
J1第21節;仙台戦@ユアスタ11.8.13.(参戦レポ)+松島観光
昨年は宮城スタへ青春18きっぷで行きました。
http://ameblo.jp/hama-penguin/entry-10501740158.html
同じ被災地チームとして、アウェイ仙台戦だけは行こうと思っていました。お盆の時期に重なり、くじけそうになりましたが、サポーターバス主宰の荒野さんが後泊して翌日松島観光で宮城に金を落としてくる企画を立て、趣旨に賛同して参加しました。
荒野さんは茨城県石岡市在住のアントラーズサポーター。自らサポーターバスを主宰して11年目になるそうです。震災後、試合日にサポーターから支援物資を募り、小笠原選手の故郷・大船渡と遠藤選手の故郷・塩釜に自ら届ける活動を始めました。
http://ameblo.jp/hama-penguin/entry-10866867295.html
仮設住宅に入居すると「災害救助法」の対象外となるため、行政による炊き出しや生活必需品の配給など、避難所で受けられた行政支援の多くが打ち切られます。
入居しても食器すらない状況に、荒野さんは支援第3弾として食器類・保存食品(レトルト、缶詰類)・洗濯洗剤・台所洗剤・トイレ洗剤・女性用洗顔料・殺虫剤を6/25~7/27のホーム4試合と7/23アウェイ国立で集め、7/30・31に塩釜と陸前高田と大船渡の仮設住宅に届けました。小笠原選手や遠藤選手の支援活動をサポートする荒野バスをサポートしようと、私達夫婦も7/10の新潟戦から荒野バスに乗っています。
http://soccer-tamashii.bbs.fc2.com/
東北自動車道の渋滞を見越して(渋滞90キロ)東京7:30出発。常磐~磐越と郡山まで迂回ルートを走行しました。北茨城と福島の高速道路が波打っていてビックリ
あちこちに舗装の跡があり『これでもだいぶよくなった』らしい。震災の大きさを実感しました。高速走行するとバンピーで、海釣りで外洋へ一直線に進む釣り船のへさきに座っている感じでした。四葉観光のベテラン運転手、伊東さんの巧みな運転で、ユアスタに開場時間に到着できました。
前座試合で宮崎県延岡市の少年サッカーチームが仙台市の少年サッカーチームと対戦、宮崎県出身の興梠選手と増田選手がベンチに挨拶に訪れ、少年たちがはしゃいでました
前座試合とはいえ鹿サポは延岡チームを応援、延岡チームが勝利し、ユアスタ上空には飛行船が見え、こいつは幸先いいぞ
選手が登場。しんぞーと田代がケガで間に合わず、1トップの大迫に期待が集まります。
鹿サポも大勢詰めかけ、収容人数19,694人のユアスタは19,244人とほぼ満員です。選手入場前に仙台サポーターが「カントリーロード」を歌い始めました。スカパーのオープニングにも使われ、今年を象徴する歌になりましたが、試合となると話は別、
錨をあげろ
でアントラーズ選手を鼓舞します
気温は27.2℃ながら湿度が82%で無風、蒸し風呂状態でした。主審は佐藤隆治氏。前節の浦和vs神戸戦では後半ロスタイムにPKを採り、神戸に決勝点を与えました。PA内の守備は要注意です
試合は21分、仙台のCKをクリアしてカウンター発動
ノザ→フェリペ→大迫から、オフサイドラインかいくぐってドリブルで突進した遠藤をMF関口が後ろから足を刈ってしまい、PK献上
カウンターの鋭さにアントラーズ復活の兆しが見えます。
ゴール真裏にいたので得点シーンを撮ろうとカメラを構えました
。
満男が蹴りましたが、GK林がビッグセーブ流れが仙台に傾きかけます
26分、赤嶺のヘッドはバーを直撃
辛くも難を逃れます
。
27分、浩二のロングフィードから大伍が入れたクロスを、DFビョングクが地面を蹴ってクリアミス。詰めていた大迫がボールをかっさらい、ビョングクあわててボールに足伸ばすも、大迫を蟹バサミで倒す格好となり2度目のPKゲット佐藤主審の前ではPA内でのミスは命取りです
アントラーズの場合、PKキッカーは試合前に指定されますが(昔はマルキでしたね)満男が「パターンが読まれるから違う人が蹴った方がいい」と言ったらしい。PKゲットした大迫が自らキッカー志願したらしいが、フェリペがボールを持ったまま離さず、フェリペが蹴ることに。今度こそ
と祈るような気持ちで私もカメラを構えます
。
GK林も5分間に2度のPKではきつかろう
先程は闘志満々の顔だったのですが、心なしか青ざめて見えます(背景が青色でした
)
フェリペ、冷静に満男が蹴ったのと同じ右隅に決め、今季初ゴール
一目散に満男に駆け寄ります。
その後も好調なフェリペ・遠藤・大迫で攻め立てるアントラーズでしたが36分、GK林のゴールキックを岩政がはね返そうと助走しかけて躊躇、大きくバウンドしたボールが岩政を越えピンチを招きます。岩政は最初クリアした時にどこか傷めたんじゃないか?37分、24番赤嶺のクロスをジャンプが足りずスルーしてしまい、15番太田にヘディングシュートを打たれます
ソガの好セーブで事なきを得ましたが、岩政は自陣に戻りながら右から15番がフリーで走り込んできているのを目で確認しており、絶対通してはいけないクロスでした。ゴール真裏で見ていて一番肝を冷やした瞬間でした
42分にはGK林のゴールキックを処理した岩政のトラップが流れ、あわや11番関口にかっさらわれそうになりますゴール裏では『イワマサ~
』の怒声が
後半は仙台に押し込まれましたが、アントラーズの守備は集中が切れません
仙台は10番梁勇基が昨夜遅く北朝鮮の代表戦で中東から帰国したばかりで、後半66分途中出場しかできなかったのが痛かったか?
67分、しんぞーフェリペ。しんぞーは7/23負傷退場した柏戦以来の出場でした。
78分、タルタ大迫。7/27期限付き移籍加入したタルタ(ニックネームで亀
のことらしい)マッチデビューです
U-18ブラジル代表として2007仙台カップに来日してここユアスタでプレー、日本戦で2ゴールしたとのこと、どんなプレーを見せてくれるのか
と思ったらいきなりイエローでした
第一印象は【クリリン(ドラゴンボール)】です
87分、青木
遠藤。アディショナルタイム5分。49分仙台柳沢のヘディングをブロックした際、頭を切って出血したイバ。(ゴール裏では浩二と勘違いしてました)
ロスタイムも凌ぎ切りました
静まり返るユアスタに、鹿サポの「オブラディ
」が響き渡ります
ゴール裏に挨拶にきた選手たち、アレックスとタルタはまだ区別がつきません
ところで昌子源はなぜ22番のパンツはいてるの?
1-0で勝ち切った試合は6/22のアウェイ神戸戦以来でした。この日は全員守備に集中を切らさなかった。アントラーズらしさが戻って来たと実感しました。
ソガは史上2人目のJ1通算100完封。デビューから324試合目での達成は、405試合を要したGK 楢崎(名古屋)を大幅に更新する大記録です。
翌朝、仙台版朝日新聞に掲載された写真に荒野バス一同バカウケ満男の腰の引け具合といい、どこでどう撮ったらこんな怪しい
写真になるんでしょう
「フェリペにとられた
」という大迫のコメントが怪しさを増幅させますね
翌日の松島観光は別稿で。