西村主審の想い出
サッカーダイジェストWEB版で、岩政大樹選手と西村雄一レフェリーの対談が
4回連続で掲載されます。非常に内容があり、毎回楽しみです。
http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=27792
15年12月のサカダイで西村主審の記事が掲載された時に、西村さんについて書いたことがありました。
【西村主審の想い出】
今週のサカダイに西村雄一主審の記事が。
私が西村さんのファンだと言うと、怪訝な顔する鹿サポ仲間が多い。西村さんは等々力のナビスコqfで篤人をハンドPK退場させて泣かせた悪印象が強いせいだろう。けれどもアントラーズ3連覇時代、記憶に残る試合はいつも西村さんが笛をふいていた(07年と08年ホーム最終節etc.)
特に08年33節磐田戦はロスタイム(当時)誓志のCKを岩政がドンキーヘッドで決め西村さんがホイッスル。カシスタに虹がかかる幻想的な幕切れだった。
2010年南アフリカW杯での西村さんの活躍は以前ブログで書いた。
http://ameblo.jp/hama-penguin/entry-10560733430.html
07年夏、鹿島の試合無い日タダ券で行った三ツ沢バクスタ最前列。目の前で30mダッシュを陸上選手のように繰り返すアップが強烈に印象に残った。
08年大分の上本大海『死ね』発言騒動。カシスタに来た西村さんに私はポーランドの国際試合の記事を切り抜いて渡し、応援している旨伝えた。
次にカシスタに西村さんが来た時クラブ職員から『西村さんからことづかってます。試合終了後に開けてください』と渡された封筒。中にはお渡しした新聞記事と、ポーランドの試合で使用したイエローカード・レッドカード(西村さんのサイン入り)と御礼のメッセージがあった。
後進に道を譲る為、15年から国際主審を辞退した西村さん。
奥様もレフェリーされているようなので、少しは夫婦水入らずのお時間が作れるのかな?
現在のJリーグ審判団のスランプ(誤審の嵐)は深刻だ。
もうちょっと選手とうまくコミュ二ケーションとれないものだろうかと思う。
小説『天地明察』読了におもふ
来月12月5日に日本・トルコ合作映画『海難1890』が公開される。日本で座礁したトルコ軍艦を和歌山県串本町の漁民が献身的に救助、トルコ国民は恩義を忘れず、95年後のイラン・イラク戦争勃発でイランに取り残された日本人215人をトルコ航空が救助した有名な実話の映画化だ。
あまり知られていないが、1609年千葉県御宿沖で座礁したメキシコ帆船を御宿の漁民が救助したことから、日本とメキシコの間で善意の交流が生まれたことを、昔自分のブログで書いた。
http://ameblo.jp/hama-penguin/entry-10589918427.html
欧米列強国との不平等条約に苦しむ日本と最初に完全平等な通商条約を締結してくれたメキシコ。その背景には1874年メキシコ金星観測隊への厚遇があった。1874年(明治6年)は太陽・金星・地球が一直線に並ぶ重要な年、当時の天文学では地球と太陽間の正確な距離(1天文単位)がわかっていなかった為、列強諸国が日本で観測所を設置する中、国交の無いメキシコはダメ元で観測団を日本に派遣した。武器をもって外交関係を迫った欧米諸国と違い、科学技術で接近したメキシコに明治政府は意気に感じ、当時外国人の居住...さえ認められていなかった横浜に観測所を建てることを許可、メキシコ観測隊は御礼に日本人実習生参加を提案、現在の野毛山とフェリス女学院構内に観測所が建てられ大成功を収めた。観測隊長は帰国後日本との国交樹立を強く提言、1888年日墨修好通商条約締結に至った。(条約締結の御礼に明治政府は一等地を提供、現在もメキシコ大使館はアメリカより格上の永田町2丁目に一戸建て)
小説『天地明察』読了。江戸時代、大和暦を確立した渋川春海が主人公だが、和算の関孝和、囲碁の本因坊道策(マンガ「ヒカルの碁」で藤原佐為が主人公以前に乗り移った人)の描写が素晴らしい。
江戸時代の天文観測技術、日本独自の算術の結晶・関流【和算】を血肉とした明治の若者がメキシコ観測隊に実習生として参加し、コバルビアス隊長に『日本人は品位があり、紳士的で勤勉で、勇敢にしてかつ法に恭順な民族』と自著「日本旅行記」で言わしめたのかもしれない、とふと思った。
ホーム開幕戦の日に。
年賀状での新年のご挨拶やめることにしました。
【年賀状でのご挨拶辞めます】
来年の年賀状での新年ご挨拶やめることにしました。
震災前まで、アントラーズのユニを着た夫婦の写真で
お年賀のご挨拶させていただいてました。
震災後はどうしても「おめでとう」という言葉が使えず、
自分で撮った鹿島神宮の写真と【一陽来復】で通しています。
今年サッカー仲間のお誘いで6月、10月、11月と3度、
大船渡と陸前高田を自分の目で見ることができました。
震災後1000日過ぎた現在でも、まだまだこれからです。
知り合いになった被災地の皆さんに心から
『あけましておめでとうございます』と言える日が来るまで、
SNS上【一陽来復】で通したいと思います。
皆様が良いお年を迎えられますように。
(画像は震災後2012年の年賀状に使用した写真です)
トリプル・トウェルブ
今日は2012年12月12日。
【1(いい)2(じ)1(いち)2(じ)】から【いい字1字】」の語呂合わせで
【漢字の日】とのこと。
日本漢字能力検定協会が1995(平成7)年に制定しました。
この日には、全国から募集した、この年の世相を象徴する【今年の漢字】が発表されます。
期日前投票済ませた私的には、【崩】かな。。。
とりあえず12時12分12秒にUPしたいのでここまで(笑)
追記
【今年の漢字】は【金】でした。シドニーオリンピック金メダルラッシュに沸いた2000年に続いて同じ漢字が選ばれたのは初めてです。
一方この日の朝、アジアの某君主制独裁国家から核兵器搭載可能な長距離弾道ミサイルが、近隣諸国の反対を押し切って再度発射されました。
【今年の漢字】は【金(キム)】と読むのかもしれません。。。
ミッキーマウスと私
船橋に住んでいる時、親戚が上京するたび案内させられた。酒飲みの私はアルコールが切れると手にスタンプ押してもらって舞浜駅まで戻り、一気飲みしてからまた親戚のために列に並んだ。スキューバダイビングしていたので船酔いはしないが人混みに酔う私は、ディズニーランドは全く理解できないシロモノだった。
8年前、カシマスタジアムからの帰りの電車で鹿サポの母娘に道を尋ねられた。翌試合にまたその母娘と会い、カシマスタジアムで会うたび挨拶するようになり、アウェイの試合ではゴール裏で席取ってあげるようになり。。。
その娘はミニーの誕生日と同じとかで、自分はミニーの生まれ変わりだと信じているらしい。試合で会う度に『ペンギンさんに』とディズニーみやげの酒のつまみ(そんなんまで売ってるんかい!)を持ってくる。娘が免許取って車を買い、ディズニーグッズ満載のピンク色の小型車でアウェイ清水戦やアウェイ磐田戦の帰りに車で横浜まで送ってくれた。
今年6月、その娘が結婚するので結婚式に出席して欲しいという。生まれて初めてディズニーシーに行って、ミラコスタで『第2のパパ』という紹介でスピーチした。ディズニーシーは酒も飲めるし、少し好きになった。
今年の誕生日にその娘からもらったネクタイ。
柄はもちろんミッキーマウスである(笑)