『人魚の眠る家』(2018年) #試写会 #Tジョイ京都 #東野圭吾 #堤幸彦 #篠原涼子 | HALUの映画鑑賞ライフのBlog

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先ず、先週にようやく鑑賞に行ってきた『ボヘミアン・ラプソディ』の感想を書こうかとも思ったのですが、未だ先月の10/30(火)に、邦画『人魚の眠る家』のTジョイ京都での試写会に当選し鑑賞させて頂いた際の感想をブログ記事化していなかったので、一昨日の11/16(金)から全国公開されましたので、今回は、ようやくながらですが、邦画『人魚の眠る家』のご紹介をさせて頂こうかと思います。

 

東野圭吾原作×堤幸彦監督というコンビの作品では、今作品と同じく松竹の配給にて『天空の蜂』(2015年)という、原作小説発表以降長らく<映像化不可能>ともいわれていた、原子力発電所でのテロ事件といった題材の社会派サスペンス映画を手掛けられて、私個人的には凄く面白かった作品でしたが、このコンビが再タッグを組む形で挑んだ、今回の『人魚の眠る家』も謳い文句こそは「作家生活30年を経て、たどり着いた東野ミステリーの到達点」というキャッチコピーですが、実際には、ミステリーでもサスペンスでもない、紛れもなく、れっきとした社会派ドラマであり家族愛を描いた人間ドラマでした。

 

 

 

 

 

「<死の定義>に揺れる家族を描く人間ドラマ(18.10/30・試写会)」

ジャンル:人間ドラマ

製作年/国:2018年/日本

配給:松竹

公式サイト:http://ningyo-movie.jp/

上映時間:120分

公開日:2016年11月16日(金)

監督:堤幸彦

キャスト:

篠原涼子、西島秀俊、坂口健太郎、川栄李奈、山口紗弥加、田中哲司、斉木しげる、大倉孝二、駿河太郎、ミスターちん、遠藤雄弥、利重剛、稲垣来泉、斎藤汰鷹、荒川梨杏、荒木飛羽、田中珉、松坂慶子

 

 

 

 

【解説】

人気作家・東野圭吾の同名ベストセラーを映画化し、篠原涼子と西島秀俊が夫婦役で映画初共演を果たしたヒューマンミステリー。

「明日の記憶」の堤幸彦監督がメガホンをとり、愛する娘の悲劇に直面し、究極の選択を迫られた両親の苦悩を描き出す。

2人の子どもを持つ播磨薫子と夫・和昌は現在別居中で、娘の小学校受験が終わったら離婚することになっていた。

そんなある日、娘の瑞穂がプールで溺れ、意識不明の状態に陥ってしまう。回復の見込みがないと診断され、深く眠り続ける娘を前に、薫子と和昌はある決断を下すが、そのことが次第に運命の歯車を狂わせていく。

 

(以上、映画.comより、引用抜粋。)

 

 

【人物相関図】

 

率直な感想と致しましては、

先ず、東野圭吾作品の新参者シリーズの最終章の映画化作品『祈りの幕が下りる時』の鑑賞の際にも感じたのですが、自分に子供或いは孫がいる人が観た時とそうでない人が観た時では大きく印象が異なる映画かも知れないと思いました。

 

私には、自分に子供が居ないので、甥っ子や姪っ子の事を思い浮かべながら鑑賞していても、やはりどこか冷静になって観てしまうところがありましたが、そんな私でも涙がホロリとしてしまう位でしたので、もしも自分に実の子供がいる人が観ながら、自分の立場に置き換えて考えられるとすれば、思い入れのあまり涙が溢れ出て止まらない映画なのではないかと思われました。

 

 

主題としては、従来からよく医療・倫理的なテーマとしても挙げられる<死の定義>について。

即ち、<脳死>を以て死とするのか。心臓が止まった時点。<心臓死>を以て死とするのかという、海外の多くの国では、<脳死>を以て死とするのがほぼ通例な中にあって、日本独自のこの二つの<死の定義>の存在のために、脳死が疑われる所見の際には、臓器移植提供を行う際にのみ脳死判定が実施される独自のルールに基づき、脳死判定を行うのか、それとも脳死判定を行わずに、所謂、植物人間状態としてでも延命措置を行うのかという究極の選択を突きつけられる中、揺れ動かされる残された家族たちの葛藤などについて描いた社会派ドラマであり人間ドラマです。

その為、主題自体は骨太で重厚なテーマでありながらも、特に目新しさはない事から、観客の中には「扱われるテーマがありきたりで、つまらない。」と辛口に評される人も少なからずおられるかも知れないですね。

 

 

しかしながら、そういった日本独自の二つの<死の定義>に基づいた脳死判定基準や、日本人が従来の慣習や心情的に<心臓死>に拘るあまりに臓器移植提供がはかどらない日本においては、未だに、海外にて臓器移植を図るべく多額の募金活動をせざるを得ない現状、また、今は未だ神の領域とも称される最先端の医療技術の採用の問題など、今日の日本が抱える二つの<死の定義>にまつわる諸問題を総花的に盛り込んだ作品としている点では、今作品は、同じ様な主題の作品もある中、より深く観客にも訴えかける内容になっていたのではなかろうかとも思いました。

 

 

 

お話しの流れ的には、

会社社長の播磨和昌(西島秀俊さん)と妻の薫子(篠原涼子さん)は離婚寸前の夫婦で別居していたのですが、長女の有名私立小学校受験までは仮面夫婦を続けていたのでした。

そんな或る日、その長女の瑞穂がプールで溺れ意識不明の重体となるとの一報が入るのでした。

脳神経外科の担当医からは、限りなく脳死に近い状態にあると告知され、親権者として臓器移植にご同意されるのであれば脳死判定を行うとの旨の判断を迫られるのでしたが、二人は、娘・瑞穂の脳死を受け入れられず、和昌の会社で開発中の最先端医療技術に望みを託し、瑞穂は意識不明のまま延命措置が執られて行く事となるのでした。

といったイントロダクションの映画でした。

 

 

回り道をせずに、冒頭から一気に核心部分である<死の定義>の問題点について迫っていくので、悪く言えば一本調子な印象と受け取る人もいるかもしれませんが、ラストまで緊迫感が途絶えず、画面に釘付け状態になっていきます。

 

 

しかしながら、瑞穂に施される先端医療技術の治療は、徐々にエスカレートし常軌を逸していき、倫理的に、生命の尊厳を踏み越えていき、謂わば、神が司る領域にまで入り込んでいくものでした。

そこまでいくと、流石に、あたかも狂気の沙汰とも言える行為なのですが、あくまでも子供を失いたくないという薫子の強い母性ゆえの行動であり、彼女の必死な想いには、観客のこちらもついつい胸が締め付けられそうになってしまう位でした。

 

脳死が人の死でないことを前提として、あくまでも死んでいないのだから先端医療技術の治療を続けて行ったらこうなるかもしれないとの極限を、敢えて描く事により、私達に鋭い問題提起を投げ掛けているとも言える作品でした。

 

 

特に、娘・瑞穂の脳死状態を受け入れられず狂気に満ちた鬼気迫る勢いの母・薫子役の篠原涼子さんの熱演が素晴らしかった!!!

 

 

その正に篠原涼子さんの「動」の演技もさることながら、眠る人魚の様な脳死状態の演技をし続けた瑞穂役の子役の稲垣来泉ちゃんの静かな演技も凄いと実感!!!

 

 

また、脳死状態にある瑞穂の延命措置のために、次第に技術の力を過信し過ぎて盲目的になってしまう、和昌の会社の研究員・星野祐也役の坂口健太郎さんと、その恋人・川嶋真緒役の川栄李奈さんの恋の行方も気になるところ。

それにしてもこのお二人はデートが会食ばかりの設定だからか、食事シーンばかりでしたね(汗)。

恋人・川嶋真緒役があまりにも良い人過ぎるのも気になりましたが。

 

 

和昌の父であり会社の創業者(先代の社長)の播磨多津朗役の田中珉さん。薫子の母親・千鶴子役の松坂慶子さんのお祖母ちゃん役。薫子の妹・美晴役の山口紗弥加さんなど、各世代を代表する実力派俳優陣が集結し、その何れもがキャラが立っていて無駄な配役が一切なく要所要所の脇を固めてくれていました。

 

 

母・薫子役の篠原涼子さんによる「人は二度は死なない」の台詞から先は圧巻の演技で、周囲の観客も、かなり鼻をグズグズとすする音を鳴らしながら鑑賞しているご様子でした。

私もこの辺りから涙がホロリとしてしまいましたね。

クライマックスに向かうに従って、それぞれが抱えていた想いが爆発し、そっと隠していた深い傷がえぐり出されていくのが、観ていて辛かったですね。

 

紆余曲折を経て、悩み抜いた二人が辿り着く結論にはもの凄い覚悟が必要だったと思われ、非常に胸が熱くなりました。

脳死は人の死という考え方は医学的根拠に基づいているし、世界的な基準となっています。

しかしながら、たとえ機械に生かされているとは言え、心臓が鼓動し、肌の温もりもある人間を、もう死んでいると理解し納得するのは、容易いことではない事を今作品では鋭く問い掛けているのでしょう。

非常に辛く容易く答えの出ない難問ですが、それでも尚、考え続けるべきだと、作品を通して、痛感させられました。

 

いつか自分の家族が「脳死」と判定されたとき、果たして自分はそれを受け入れて望み通りにする事が出来るだろうか。

最後のお別れの会の際に担当医の進藤医師(田中哲司さん)の言葉や臓器移植を待っている親御さん(駿河太郎さん)の言葉など、とても気持ちが温かくなる様な台詞も沢山あり、東野圭吾さんの作家生活30年に相応しいそのお人柄が覗えるような作品でした。

 

今後ニュースなどで臓器移植成功の報道を観たらば、その裏で悩み哀しみながら決断を下した家族を想像するだろうと思いました。

 

 

私的な評価と致しましては、

<死の定義>に揺れる残された家族たちの姿を通して、医療的見地・倫理的見地から、とても多くのことを考えさせてくれる機会を得られてとても良かったのですが、ミステリーの帝王の東野圭吾さん原作にしては珍しく本格的社会派ドラマであり、テーマが骨太で重厚であるために、観ていながら、これは愛なのか?エゴなのか?と、主人公たち残された家族の心情を鑑みると良心の呵責に耐えられなくなり、非常に辛く苦しく胸が痛くなる作品でもありました。

エンディングロールで流れる絢香さんの歌う主題歌『あいことば』も、とてもマッチしていて素晴らしかったです!

以上から、五つ星評価的には、四つ星評価★★★★(80点)の高評価

も相応しい作品かと思いました次第です。

 

※最後に、ご挨拶並びにブログ記事化させるのが大変遅くなってしまいましたが、Tジョイ京都さん。今回も試写会にお招き頂き、本当に有り難うございました。

 

 

●映画『人魚の眠る家』予告編

 

 

●絢香/「あいことば」(映画「人魚の眠る家」主題歌)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今回も最後までブログ記事をお読み下さり誠に有り難うございました。