『悪と仮面のルール』(2018年) #中村文則 #玉木宏 #αstation #FM京都 | HALUの映画鑑賞ライフのBlog

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年明けの1/10(水)。

年始早々、混み合う病院で診察待ちの時間に、本当に、久し振りに、スマホのradiko.jpにて、α-station(FM京都)を聴きながら、診察を待っている中、「サニーサイドバルコニー」という番組のDJ寺田有美子さんが担当する水曜日の放送にて、芥川賞作家・中村文則さん原作の「悪と仮面のルール」を映画化した作品の劇場鑑賞券(ムビチケ・ペア券)を2組4名様にプレゼントという告知が番組内であったため、すかさず応募したのですが、なんと翌日に宅配便で届き、見事に当選(^^)v

実にLucky!!!

今年も幸先良いスタートが切れた様な思いに浸っていました。

 

 

で、早速、その日のうちに、彼女と連絡を取り、週末の1/14(日)の公開2日目に、上映館のTジョイ京都に鑑賞に出向きました。

 

 

しかしながら、結論から申しますと、率直な感想と致しましては、

中村文則さんの同名小説の原作は未読でしたが、かなり期待を膨らませて鑑賞に臨んだ割りには、出演者が頑張って好演しているにも拘わらず、睡魔が襲ってくるほど、イマイチ面白味が欠ける残念な出来栄えの映画でした。

「本当にコレはゴメンなさい。」級というランクって感じの非常に残念な作品でした。

 

 

おそらく文学として読む分には、海外でも高く評価されている小説でもあり、「原作小説の方はかなり面白いのかも?」とは容易に想像は出来ましたが、先ずは、文学的・哲学的な、あえて難解な説明口調な会話劇を、小説の文面そのまま踏襲したのか、現実の会話として使用している点で、不自然さがつきまといましたし、「こんな日常会話をする人は先ずは居らんやろう?」という位に、頻繁に文学的・哲学的な難解な表現口調を使用していたので、一体いつの時代の設定で日常会話しているのかと困惑してしまうほどに、仰々しい会話劇には、空々しくて、かなり場が白けてしまった感じは受けましたね。

 

小説の中の文章として読む分には哲学的な一見格好の良い台詞も、あまりにも頻繁に日常会話的に使用すると、説明過多な台詞に感じて、耳障りも良くないし、先ず、そもそも論的に、会話が不自然過ぎましたね。

 

たとえば、一般的な会話ならば、「悪」若しくは「邪悪」と言うべきところを、「オマエは私の手でひとつの<邪(じゃ)>となるのだ」と言った感じで、文字化すれば理解出来ても、そもそも<邪(じゃ)>なんて語句を発音だけ聴いても意味合いがピンと来にくいから、一般的な会話では使うこともまず有り得ないにも拘わらず、本作品では、誰も彼もが「邪」「じゃ」「ジャ」・・・。とこの言葉を連呼しまくる。

なんで「悪」や「邪悪」と換言させないのかと、脚本上の台詞廻しに疑問を呈してしまいましたね。

 

テロリストの伊藤亮祐役を好演していた吉沢亮さんでさえも、<邪>という言葉の連呼の台詞廻しで実にウンザリ気味でしたね。

 

 

 

文字も目で読むのと音で聴くのとでは、同じ意味合いの語句や言葉でも、かなり印象も違いますから尚更ですね。

 

 

「哲学的で難解な説明口調の会話劇が仰々しくて残念(18.1/14)」

ジャンル:サスペンス

製作年/国:2018年・日本

配給:ファントム・フィルム

公式サイト:http://akutokamen.com/

上映時間:138分

公開日:2018年1月13日(土)

監督:中村哲平

キャスト

玉木宏、新木優子、吉沢亮、中村達也、光石研、村井國夫、柄本明

 

 

【解説】

芥川賞作家の中村文則による同名サスペンス小説を玉木宏主演で映画化。

財閥・久喜家に生まれた文宏が10歳となった。狂気であり、巨悪である文宏の実父は、文宏の出生の秘密を息子に告げる。それは文宏が純粋悪の<邪>となることだけを望まれて生まれた存在で、さらに<邪>となるための教育として、14歳の誕生日に「お前に地獄を見せる」というものだった。

その日までに1年を切ったある日、文宏は思いを寄せ合う久喜家の養女・香織が父の手によって汚されるという、地獄のごとき光景を目の当たりにしてしまう。

香織を守るため文宏は父を殺害するが、その行為は、父が望んだ文宏が悪に近づくことでもあった。

次第に歪み、憎悪する父の面影を宿していくことを恐れた文宏は、香織の前から姿を消し、「新谷弘一」というまったくの別人として生まれ変わる。

10数年後、「新谷弘一」として香織を陰から見守る生活を続けた文宏は、久喜家の本質とも言える「巨悪」に遭遇する。

(以上、映画.comより、引用抜粋。)

 

 

そして更に追い打ちを掛けたのは、久喜家の養女・香織が大人になった姿が新木優子さんという若手の新進女優さんで、透明感もあってお綺麗で良いのですが、幼い頃から久喜文宏と共に育った養女・香織の子供時代の子役俳優とが顔付きが違い過ぎて、違和感アリアリで、もうチョット美形の少女の子役俳優もいなかったものかとキャスティングに疑問符が付き、気になって仕方がなかったです。

 

 

それと、「新谷弘一」と姿を変えた久喜文宏を玉木宏さんが演じている訳ですが、たしか養女・香織とはほぼ同級生くらいの設定だったと思うのですが、その香織を、若手の新進女優さんの新木優子さんが演じるのはお綺麗なのは良いのですが、役者としてのその格の違いも含め、あたかも親子くらい程の年齢差を感じてしまい、観ている最中には、姪っ子を大事にしている伯父さんってくらいの感覚でしか見ざるを得なかったのも、キャスティングミスだった様な気がしてならなかったです。

 

 

お話し的にも、この作品の中核をなすはずの「悪」すなわち<邪(じゃ)>の定義がイマイチよく解らないし共感出来なかったので、作品自体にも、のめり込めなかったと言った印象でした。

 

 

だからなのか、久喜家の「巨悪」たる異母兄の幹彦(中村達也さん)に至っても、絶対的な悪の象徴として登場させるつもりが、単なる心を病んだ普通の犯罪者といった、貧弱で空虚な印象が拭えなかったのも、観ていて理解不能な点でもありましたね。

 

 

「悪と仮面のルール」というタイトルに惑わされているためなのかも知れないですが、主人公・久喜文宏と生涯の想い人たる香織の純粋な部分をクローズアップさせた純愛物語であってサスペンスとは名ばかりのお話しとして映像化させたのかもとも思いました。

 

でも、単なる「純愛物語」では、稀代のサスペンスと名高い原作小説が台無しではなかろうかという気も多分にしたのですが、<邪>たる「悪」と「愛」の関係では、悪を浄化する存在が純愛であるといった形で表現しているとでも言いたげな映像化作品でしたね。

 

 

香織役を演じられた、新木優子さんには罪はないですが、最後まで鈍感な田舎娘としか映らなかったのが非常に残念でしたね。

もうちょっと玉木宏さんとも釣り合いが取れる、たとえば、石田ゆり子さんクラスの清潔感のある端正な美魔女をキャスティングしても良かった様にも思いましたね。

 

存在意義がよく解らない「新谷弘一」を追う、刑事の会田役の柄本明さんの扱いについても然り。

 

 

私的な評価と致しましては、

今年2018年の年明けに観た3本目で既にワースト級の映画に遭遇してしまった感もあった作品でしたね。

もしや原作小説をお読みになられ面白いと感じられた御方々には、この映像化作品の出来栄えでも納得出来るものだったのかも知れないですが、主演の玉木宏さんをはじめ脇を固める探偵役の光石研さんやテロリスト役の吉沢亮さんもなかなか頑張っておられましたが、私にとっては実に残念な出来栄えに感じた1本でした。

 

ただ、そんな中でも、良かった点も挙げさせて頂きますと、劇伴(BGM)がなかなか良かったのが、すごく印象的ではありましたね。

 

ですので、五つ星評価としましては、手厳しいですが★★★(60点)の三つ星評価でも未だ甘いかと思われた作品でした。

 

●映画『悪と仮面のルール』予告編

 

 

 

●Uru『追憶のふたり』映画「悪と仮面のルール」Version

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回も最後までブログ記事をお読み下さり誠に有り難うございました。