以下は歴史的事実を説明するものではなく、わたし個人の自由な解釈です。
わたしは、お釈迦様の悟りの内容についてを、
「この三次元世界は、グレート・スピリッツの分け御霊たちによるシミュレーションの世界だ」
ということを思い出されたのではないか、と考えています。
この話については私にとって、大変面白く、記事が長くなってしまうために、今回は詳しく触れませんが、
たとえば、初期仏教の経典である『ダンマパダ』や『スッタニパータ』を、
シミュレーション仮説や多次元世界という視点から読み返してみると、
面白いほどスルスルと意味がつながって見えてくるのです。
もちろん、一般的には、
悟りの内容については「縁起の法」であるとされています。
縁起とは、この世にあるものはすべて、因と縁が関わり合って「果」が生じる、という理法のことです。
「縁起の法」を見抜かれたということは、大変なことです。
しかし私は、さらに、それらを具体的に知覚していたのではないかと考えています。
つまりお釈迦さまは、実際に、悪魔という存在も、
悟りを開く前、具体的には、降魔成道の直前から知覚されるようになり、
悟りを開かれたあとは、多次元感覚を思い出されたのではないかと思うのです。
ですので、「梵天勧請」の時には、実際にブラフマーと会話したことになります。
もしもわたしの説のとおりであれば(そうだと面白いのですが、証明のしようがありませんね)、
今からおよそ2500年も前のお釈迦様の時代 に、多次元宇宙論やシミュレーション仮説を当時の人々に説いても・・・。
とてもではありませんが、説明も理解も、無理な話ですよね・・・。
ですので、抜群に明晰だった頭脳を活かし、今伝わっているよりもはるかに多くの方便を使われたのではないかと思っています。
もしもそうなら、人の身でありながら、最初で最後の仏陀という人生を生きるということは、どのようなものだったのか、想像もつきません。
・・・わたしはこんな見方をしていて面白いため、ご紹介してみたくなりました(*'▽')
いつかこれについてもマンガで描きたいな~✨
それでは、また・・・(^▽^)
(当ブログ「古今東西」も、別ブログ「重ための話」も、Xも、不定期更新)