迦楼羅(かるら)とは、一言で言ってしまうと、インドの神鳥ガルダ(Garuda)が、仏教世界に入って来た存在です。もともとはインド神話の巨大な鳥の王で、ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の乗り物とされています。


 インドネシアの航空会社、ガルーダ航空を思い浮かべるかたもいらっしゃるかもしれません。


 仏教に取り入れられると、ガルダは、仏法を守護する「八部衆(はちぶしゅう)」(お釈迦さまの眷属(けんぞく))の一員とされました。

 ですがこのガルダ、なんと龍や蛇(ナーガ)を食べるとされています。龍さんがハイアーセルフのえあるくんもビックリ、まっ青な設定なんです。


 ですので、

龍族🐉 「お釈迦さま!アイツ、我々を食べるんですけど!」
迦楼羅🪶「・・・・・・。」
釈尊✋✨「まぁ、ともに仏法を守りなさい。」

みたいな、とんでもない同僚関係が成立している、ということになります。


 ちなみに日本の仏像では、迦楼羅は、頭は鳥、体は人という姿で表されることがあります。

 …これ、「鳥人(とりじん)」みたいではないですか?あの「笑い飯」伝説のコントを連想してしまうのは私だけでしょうか。迦楼羅はタキシードは着ていませんけど(笑)。


 ともあれ。
 
 以前、「善女龍王さまにお祈りしましょ☆」といったブログを書きました。
(記事の最後にリンクを貼っておきますのでよろしければどうぞ。)


 言い伝えによれば、天長元年(824年)、空海上人は京都の神泉苑で雨乞いの祈祷をされたとされています。

 天竺(てんじく)(古代インドの呼び名)から善女龍王さまを勧請(かんじょう)された、と言われていますが、これが本当なら、さすが空海上人。超能力者ですな。


 空海上人は、日照(ひで)りに対して、突然に、
「あ。龍にお願いしよう。」と思いついたのではありません。


 長安(ちょうあん)(当時の中国の都)で、師である恵果和尚(けいかおしょう)から請雨経法(しょううきょうほう)を伝授されました、という記録があるのです。
(情報源…「レファレンス協同データベース」提供館…香川県立図書館 ・管理番号7054)


 そして密教には龍だけがいるのではありません。

 迦楼羅も登場します。

 龍を食べるとされる迦楼羅が、大雨で困っている時に登場する、という興味深い構図が見られる資料があるのでご紹介します。


 「大唐神都青竜寺故三朝の国師灌頂の阿闍梨恵果和尚の碑」にはこのように書いてあります。 (参考…『「性霊集」抄』加藤精一訳。角川ソフィア文庫。なおこの本には漢文ではなく書き下し文が載っています。)


 若乃旱魃焦葉、召那伽以滂沱;商羊決堤、驅迦羅以杲杲。
 
「那伽(ナーガ)」は龍を、
「迦羅」はここでは迦楼羅を指します。

 意味をかなり平たくすると、
「旱魃(干ばつ)で草木が焦げるほどなら、龍を呼んで大雨を降らせる。
大雨で堤が切れるほどなら、迦楼羅を駆って晴れさせる。」ということになります。

 この部分は、空海上人がご自分について書いたのではなく、師である恵果和尚の霊験(れいげん)を賞賛して書いたものです。これを「讃(たた)えるための比喩」という、現代人の限定的な解釈や、現実的・物理的な制限といったものを外して読んでみましょう。

「商羊」とは雨を予兆する、大雨をもたらすとされた神鳥に関係する表現で、
「杲杲(こうこう)」は太陽が明るく輝く様子を言います。ですから構造が見事に、
干ばつには→龍🐉→雨
洪水には→迦楼羅🪶→晴れ
となっているのです。

 しかも続けて、「其感不移晷、其驗同在掌。」
と書いてあります。
 つまり、そうした祈祷への感応(かんのう)は短時間のうちに現れ、その霊験は手のひらを見るように明らかだった、と、恵果和尚を讃えているのです。
 これを文字どおり受け取るならば、恵果和尚は天候を操作するほどの力を持っておられた、ということになります。

 
 さて、空海上人が恵果和尚に初めて会ったのは805年5月。
 同年6月から8月にかけて、空海上人は胎蔵・金剛界両部の灌頂(かんじょう)などを受けました。
 そして同じ年の12月15日に、恵果和尚は入滅(にゅうめつ)(仏や高僧が亡くなることの婉曲な表現)されます。
 空海上人は、恵果和尚と、半年ほどしか一緒にいることはできませんでした。

 そして翌806年1月に、恵果和尚が葬られ、その追悼碑(ついとうひ)のための文章を、恵果和尚の弟子たちから依頼されて空海上人が書いたのが、さきほどご紹介した、
「大唐神都青龍寺故三朝国師灌頂阿闍梨恵果和尚之碑」
なのです。

 恵果和尚を亡くした直後に、現代の満年齢で31歳だった空海上人が書いたもの、ということになります。

 31歳でこれほどの文章・・・。
 空海上人がいかに感性が豊かで鋭かったか、そしていかに格調の高い文を書かれていたか、ということは、たとえば、さきほどご紹介したような書籍をお読みになってみても伝わってくると思います。

 ともあれ、言い伝えが本当であるならば、恵果和尚が入滅されてから約18年後の824年に、今度は空海上人が、請雨法(しょううほう)を見事にやり遂げた、ということになるのでした。

 ただですね、「信頼性の高い初期の空海伝には、この神泉苑祈雨の記事がない」と指摘している研究もあるのです。空海上人の宿敵とされる守敏(しゅびん)との法力(ほうりき)対決も初期史料には見つからないとされています。ただし守敏という僧侶は実在していたようです。
 「京都観光研究所」というホームページの「神泉苑」のページに「今昔物語集にこの辺りのことが書いてある」といったような下りがありますので、調べてみるのも面白いかもしれません。大スペクタクル・シーンですので、誰か映画化してくれませんでしょうかね。ナチュラルに。

 ・・・いずれにせよ。
 こういった貴重な密教修法についても、現代に生きる我々は、資料から窺(うかが)い知ることができるのです。

 以上は私の個人的な興味が動機となった調査ではありますが、私達すぴんちゅ(スピリチュアルを嗜(たしな)む人々)としては、
「もし困ったことがあれば、シンプルに、それぞれの存在に感謝を感じつつお祈りしてみましょう。
そしてどんな結果になろうとも、自分にとって良きこと、といった解釈で、自分のいい気分、機嫌の良さを保ちましょう。」
といったような、いつもの結論になるかと思われます。

 雨が足りないなら龍🐉を。
 雨が多すぎるなら迦楼羅🪶を。

 双方ともに地球にとって必要な存在です。
 それぞれに、光、水、熱といったような、ありがたいものの象徴なのだと思います。バランスをとるためには、私達それぞれの「感謝」といったものにかかっているのではないでしょうか。
 結果は、自分の都合よくコントロールできるわけではないかもしれません。しかし、以前の記事で書いたように、みんなで祈ることにも意味があると思っています。
 ではまた・・・。

 

(過去記事はこちら→「善女龍王さまにお祈りしましょ☆」)

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