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50代のダイバーシティ(転職・副業・病気)

定年まであと3年、35年もひとつの会社で生かされてきたけど、このままでいいのかなと飛び出してみることにした。
IT業界での35年間の出来事を振り返りながら、これからを考えてみようと思う。

35年前に今の会社に就職するにあたっては、とてもいい加減だったいうか、とても恵まれた時代だったと思い起こす。

高専で1年留年してたので5年生の春くらいに就職先を探そうかと思いつつ学校の廊下で日向ぼっこしてたら、先に卒業した同級生がやってきて(OBの学校訪問ってやつ)、

「お前うちの会社来ない?」

(俺)「会社どこ?」

「赤坂」

(俺)「何するの?」

「コンピュータの商社」

(俺)「売るの?」

「エンジニア」

(俺)「なんかかっこいいね」

「寮もあるし、給料もそこそこいいよ」

(俺)「入れるの?」

「俺でも入れた」

(俺)「じゃ、行くかな」

ほどなく、会社の人事部から連絡があって、東京まで来てほしいとのこと。新幹線代も宿泊先も会社で用意するとのことで、今では信じられない好待遇。筆記試験を受けて、自分だけ何故か別室に案内されて人事部長と偉そうな人たちと面接(何を話したのかはまったく記憶がないけど)、会社の食堂でランチをご馳走になって、午後は健康診断を受けて解放。

ビジネスホテルが渋谷だったのだが、いかんせん東京なんて初めてでどこで食事したらいいかわからない。とりあえず、会社の人事部の人が困ったら電話してと言っていたので、遠慮なく電話してみたらわざわざ仕事帰りに渋谷まで出てきてご飯を付き合ってくれて、ご馳走にもなってしまうというサプライズ!

翌日、東京見物してから実家に帰ると母親が、

「なんとかっていう会社から電話があったよ」

会社に電話してみると「内定です」って、あとは就職活動も面倒になっって一社目で就職決定という、その後世の中を甘く見るきっかけになった出来事だったのかもしれない。

大卒の営業職希望の同期は面接だけで3回あったと言っていたけど、高専卒のエンジニアは数も少ないので根こそぎ採用したらしいと後で聞いた。試験受けなくても採用が決まっていたという、すごい時代の話。

50歳を過ぎて仕事を探すのは大変なのかどうかすらわからない。コロナ禍で仕事が無くなったとか、給与が下がったとか、あまり良いニュースは聞かない。

ということで、転職情報サイトなどを斜め読みして、履歴書と職務経歴書を書くことにした。

 

書いてみてわかったのだが、履歴書がとにかくあっさりしている。学校は中学を卒業したらすぐに高専だったから、学歴は2行(入学と卒業)、35年も同じ会社にいるから職歴も2行(入社と現在に至るだけ)。資格は車の運転免許だけ。

 

職務経歴書は35年もIT業界にいたので、書くことはたくさんあるのだけれど、最近の技術とはかけ離れていて役に立ちそうな経歴がほとんどない。今やクラウドの時代に超大型コンピュータを保守してたとか、サーバーを構築してたとかどうでもいいよなぁ。プログラマーではなかったからコードも読めないし。40代半ばからは管理職だったのだが、いったい何を管理していたのか文字に起こしてみるとまったく世の中で通用しそうもない。

 

結局、アピールポイントと言えば、

メンタルは最強、どんな時も逃げない、最後は気合(笑)

あとは、DXとかSDG'sとかサスティナブルみたいな言葉をちりばめて完成。

これを「ビズリーチ」と「転機」という求人サイトに登録して様子見。いくつか、エージェントからのオファーが届くということにまず驚いた。この世の中、選ばなければそれなりに仕事はあるじゃないですか。定年制を考えなければ、チャレンジを考えてみたい仕事というのはそれなりにあるということがわかった。

 

建設系の会社さんで、買収した複数の子会社を統合していくプロジェクトの責任者という仕事があったので、オンライン面談に臨んでみた。仕事そのものはやってみたかったのだが、その後の処遇に不安を覚え煮え切らない受け答えをしてしまった結果、採用は見送り。やる気があるのかないのかはっきりしなけりゃ、そりゃそうだよねと反省、会ってくれた会社の方にも失礼になるし気を付けよう。

 

そんなこんなで、以前の上司だった方に会社を辞める話をしてみたら、知り合いの会社で求人があるらしいとのこと。持つべきものは人脈でだなと思いつつ、面談の段取りに・・・

 

 

転職を決意したのはよいけど、転職の最低限の条件を決めておくことにした。これまでの人生では、ノリや勢いで物事を進めてしまうことが多く、家族にも自分にもあまりよくないことがそれなりにあったのではないかと反省したからなのだが。

過ぎたことはやり直せないので悔やんでも仕方ないけど、浪費だけはほんとうにもったいなかったなと思う。

 

さて、2020年に高年齢者雇用安定法が改正され、70歳までの就業機会の確保について、多様な選択肢を法制度上整え、事業主としていずれかの措置を制度化する努力義務を設けるとなった。

事業主は以下のいずれかの対応を図ることになると思う。

  1. 定年制の廃止
  2. 定年年齢の引き上げ
  3. 65歳とか70歳までの継続雇用制度の導入

今の会社は3.を導入しているのだが、定年以後は契約社員として65歳までの継続雇用となるため大きく年収が下がる。仕事に対する裁量権もないし、希望の仕事ができるかも期待できない。

 

まず、転職の条件を決めた。

  1. 今の会社を継続して65歳まで働いたときの総収入を、再就職先での65歳時点の総収入が逆転すること
  2. 定年制でないこと
  3. 仕事に対するある程度の裁量権を持つこと

条件なのか目標なのか、よくわからないがハードルは高いほうがいい。失敗しても、今の会社が受け皿になる。

 

 

IT業界に入ったのは35年前、世間はバブルまっさかりで会社の営業は接待帰りにタクシー券を振りかざしても長距離でないと平気で乗車拒否される時代だった。

 

お客様に納入した超大型コンピュータ(当時は十数億円規模)の故障を修理するサービスエンジニアに始まり、お客様に提供するサービス商品を企画したり、今では使えるのが当たり前になったネットワークを構築したり、システムエンジニアとしてお客様の業務をITで支援したり、いつの間にか多くの部下を従えて管理職にもなっていた。

 

定年まであと数年という時に、管理職をクビになった。年齢的なものもあるだろうけれど、まだまだ部下を従えて誰よりも現場の指揮を執れる自信もあったし、会社に業績貢献できていたはずだった。

と、書くと負け犬の遠吠えにしかならないからサラリーマンは仕方ない。会社の方針が気に入らなければ辞めればよいだけだ。

 

のんびりと現場を支援する事務方の仕事で1年半が過ぎた。やはり、お客様と接して直接お金を稼ぐ現場の仕事でないと、まったくやる気が出ないことに気づいた。社内の部署間の調整ごととか、わざわざ自分でなくても誰でもやれる仕事に対して、頭を下げながら愛想笑いしていることに嫌気がさした。

 

会社の制度を調べてみると、幸い今の会社には早期退職の制度がまだ残っていた。年収まではいかないけれど、それなりの退職金の上積みがある。失敗しても1年くらいは生きていけそうだ。

今の会社の年収は、やっている仕事の内容に対して相当に高いと思う反面、自分の市場価値を知ってみたくなった。

 

2020年10月、転職を決意した。