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問題編

前回の範囲で、論述式問題をやってみよう(´□`。)


<問題>AとBとは、掛け軸を200万で売買する契約を結んだ。掛け軸はAの倉庫にしまっていたが、約束の日に二人が倉庫に掛け軸を取りにいくと、落雷で家ごと燃えてしまっていた。ABの法律関係はどうなるのか?


契約が有効に成立すると当事者は債務を負う。事案においてABは555条の売買契約をおこなっており、その契約が有効に成立するとAは掛け軸を引き渡す債務、Bはそのお金を支払う債務を負う。
本件においては、売買目的物である掛け軸は落雷によって消失しており、さらに売買目的物である掛け軸は、その個性に着目して取引が行われる特定物であるため、債務は履行不能に陥っている点、契約を締結する以前の落雷によって債務が履行不能に陥っていたのか、契約を締結する以前の落雷によって債務が履行不能に陥っていたのかにより、反対債権がどのような帰趨をたどるかが決定される。
契約成立前の落雷によって債務が履行不能に陥っていた場合、そもそも債務の履行は原始的に不能であり、契約内容自体が無効となる。したがって本件事案において、契約成立前に債務が履行不能に陥っていた場合、ABともに債務を負わないということができる。
次に、契約が成立した後の落雷によって債務が履行不能に陥っていた場合はどうだろうか。落雷は自然災害であり当事者いずれに帰責することもなく、さらに売買目的物が特定物であり、そして債務が後発的不能であるため、534条1項の適用により、債権者が反対給付責任を負う債権者主義が妥当すること。したがって本件事案において、契約が成立した後に債務が履行不能に陥っていた場合、BはAに200万円の支払い債務を負う。

民法(契約、危険負担、同時履行の抗弁権)

民法の勉強だよんヾ(@^▽^@)ノ


■ 契約の成立


◆ 契約の成立要件
契約は、当事者の意思表示が内容的に合致することによって成立する。

売買契約は555条
賃貸借契約は601条

当事者のみの合意で成立する契約を諾成契約という。また、当事者の合意に加え、目的物の譲り渡しが含まれる契約を要物契約という。

587条の消費貸借、593条の使用貸借、657条の寄託契約は、要物契約である。

97条1項によれば、遠くの人に対する意思表示は、意思表示が到達したところから効果がでる。また、申し込みをした人は、それが到達するまでなら撤回することができる。ただし、521条1項によれば、何日までに回答ください、といったように承諾の期間を定めた申し込みについて、その承諾期間の間は撤回することができない。そして、その期間内に相手から返事がなかったら、申込者の申し込みは破棄されたものとみなされることを521条2項は定めている。ただし、相手が遅れて返事をしてきた場合、申込者はそれを新たな申し込みとして、承諾することができることを523条は定めている。そして、遅れて返事がきた場合で、相手の通知が承諾の期間内になされていたものであると知ることができるときは、申込者はすぐに相手方に対して、遅れて返事がきたよ、という延着の通知を発しなくてはならないと定めたのが522条1項。522条2項では、もしその延着の通知を怠ってしまった場合には、その遅れてきた返事の内容が承諾の期間内にきたのだということになり、契約が成立してしまう。
では、承諾の期間を定めていない場合はどうだろうか。524条は、承諾の通知を受けるのに相当な時間が経過しないと、申込者は自分の申込を撤回することができない。逆にいえば、承諾の期間を定めずに申し込みを行った場合は、申込をしてから相当な期間が経てば、その申し込みを撤回することができるということだ。基本的に申込者が撤回しない限り申し込みは効力を失わないが、商法508条1項では、それからさらに相当な時間が経つと、申し込みは効力を失ってしまうという風に考えられている。
また先に、97条1項によれば、遠くの人に対する意思表示は、意思表示が到達したところから効果がでるといったが、この例外として、離れた人同士が契約をする場合には、承諾が発信されたその時点で契約が成立するとしたのが、526条1項である。承諾というのは、承諾の期間を定めていない限り、基本的に撤回することができない。そして、承諾の通知を出した後に、申し込みを撤回するという通知がきても、時すでに遅しで申し込みの撤回をすることはできないが、普通であったら承諾の通知が届く前に、その申し込みの撤回の通知が到達していただろうと承諾者が知っていた場合は、すぐに承諾者は、申し込みの撤回の通知が遅れて延着してきたよ、ということを伝えないといけないとするのが527条1項である。527条2項は、もし承諾する側がその延着のことを申し込みの撤回者に遅れずに通知しなかった場合は、契約は成立しなかったことになるとしている。また、承諾者が申し込みに対して条件をつけたり変更を加えたりして承諾した場合は、当初の申し込みを拒否し、新たに別の申し込みをしたものとみなされる。


◆ 契約にはどのようなものがあるのか?
双務契約とは、当事者がそれぞれ債権債務を負う契約のことである。一方の債務からみて相手の債務は反対債務といい、一方の債権からみて相手の債権は反対債権と表現する。555条の売買契約や、601条の賃貸借契約などがそれにあたる。基本的なルールとして、同時履行の抗弁権、原始的不能の場合は契約自体が無効になること、契約したときは債務の履行ができたけど、後にできなくなった場合の危険負担などが問題となる。
他には、当事者の片方が債権、もしくは債務を負う片務契約があり、549条の贈与契約、593条の使用貸借契約などがそれにあたる。
その他の類型としては、当事者の双方が負担を負う有償契約という類型があり、これは555条の売買契約や、601条の賃貸借契約などがそれにあたる。またその反対で、当事者の片一方が負担を負う無償契約というものがあり、549条の贈与契約、593条の使用貸借契約などがそれにあたる。通常、双務契約と有償契約、片務契約と無償契約はほぼ同じだが、例えば587条の、利息のついた消費貸借契約などは、利息をつける点で有償契約ではあるが、片一方が物とか金とかを負担する点で片務契約であるといえる。


◆ 同時履行の抗弁権とは何か?
533条は同時履行の抗弁権について定めているが、これは、双務契約において一方が、他方の債務の履行がなされるまで、自分の債務すなわち反対債務の履行をすることをも拒むことができるという権利である。
その要件としては、①ひとつの双務契約について、それぞれ債務と反対債務の関係があること、②相手の債務が履行すべき時期にきていること、③相手が493条の現実の弁済、または同条但し書きの口頭の弁済をせずに、こちらの履行の請求をしてくることである。
そして同時履行の抗弁権の効果は、原則として何月何日にお金を払いますといった弁済の履行期に債務を履行しなければ、415条の債務不履行責任を負ってしまう。
これと関連して引き換え給付判決というものがある。引き換え給付判決とは、同時履行の抗弁権が主張されている状態にある双務契約において、裁判所がそのお互いの履行を促す判決のことをいう。


◆ 危険負担とは何か?
危険負担とは、契約が成立した時点では債務の履行ができたのに、後にそれができなくなる後発的履行不能による不利益を、誰が負担するのかという問題である。
後発的履行不能において、例えば火事を起こしてしまって契約の目的物だった家を燃やしてしまうなど、履行不能が債務者の責任である場合は、415条の債務不履行に基づく損害賠償責任を負う。他方で、その火事が自然災害によって起こった場合のように、履行不能が債務者の責任であるといえない場合には、その家を引き渡すという債務は消滅し、ここではじめて危険負担制度によって、代金支払い請求権の反対債権である、代金債権がどうなるかということについて考えることとなる。ちなみに反対債権のことを、危険負担の場合においては対価危険とよぶ。
反対債権である代金債権がどうなるかということについては、ひとつに反対債権である代金債権もなくなってしまうという可能性がある。そうなると、債務者は家がなくなってしまったのに、買主からお金をもらうことができなくなってしまう。もし既に反対債権にもとづく給付、つまり反対給付を受けていた場合には、給付を保持する力がなくなってしまい、そのお金は不当利得として返還しなくてはならないことになる。つまり、反対債権である対価危険を負うのは、売主である債務者ということになり、これを債務者(負担)主義とよぶ。
そして次は、債務者の責任によらずに債務の後発的履行不能が発生した場合に、反対債権である代金債権はなくならないとする立場がある。これによれば、自然災害によって家が燃えてしまった売主は、相手に反対給付である代金を請求することができる。もしすでにその給付を受けている場合は、給付保持力があるのでお金を買主に返す必要はなく、家を買ったほうが対価危険を負担することになるが、これを債権者(負担)主義とよぶ。
我が国では原則、536条1項にあるように、当事者の責めに帰すことのできない理由によって債務を履行できないときは、債務者は反対給付を受けることができないとする債務者(負担)主義をとっているが、その例外として、同条2項で債権者に帰責事由がある場合、例えば家を燃やしてしまったのは買主のほうだったなどという場合や、534条に書いてあるように、契約の目的物が物の個性を問題とする特定物であった場合には、債権者(負担)主義をとっていると考えられる。この場合、市場価値が変化することによって、特定物の価値もそれにつられて変化した場合や、物理的な変化、たとえば植物が生長したりなどする場合、その責任は全て債権者が負うこととなる。この534条は、契約を成立するまえには債務者が危険を負担し、契約が成立した後は債権者が責任を負担すべきとするものであるが、もっと危険負担の移転の時期を遅くして、債権者の負担を軽くしてやるべきであるとの批判があり、その移転時期を特約で定められるようにすればいいではないかとの意見が根強い。もっとも、534条は任意規定であるため、当事者が特約でこれとは別の決まりごとを採用することができる。
また、不特定物を双務契約の目的とした場合は、401条2項における特定をする前は債務者主義であるが、特定をした後は債権者(負担)主義が適用されるとするのが534条2項の規定である。
また繰り返すが、536条2項は、双務契約の目的物が特定物ではなくて、なおかつ債権者のせいで後発的な履行不能がおこった場合、すなわち債権者が家を燃やしてしまった場合などには、債権者(負担)主義が採用され、債務者は反対給付を受ける権利を失わず、買主である債権者に家のお金を請求することができるが、条文の後ろのほうに書いてあるように、自己の債務を免れたことによって債務者が利益を得た場合、すなわち、家を燃やしてしまうことによって火災保険の保険金を得た場合などには、その利益を債権者に返さなくてはならないとするのが判例である。この場合、債権者が債務者に対してお金を返せといえる権利を「代償請求権」というが、民法はこれについて明文で定めていない。

不法行為の事例問題

じゃあ、実際に論文試験をといてみましょうヘ(゚∀゚*)ノ


<問題>2歳の幼稚園児が、保母が目を話した隙に道路に飛び出し交通事故にあい怪我をした。幼稚園児の不注意について、過失相殺が認められるか。また、目を離したという保母の監督責任を問えるか?


加害者に対して、709条不法行為に基づく損害賠償の返還請求を行うには、①故意・過失の認定、②加害者の責任能力、③加害者による侵害行為、④損害の発生、⑤加害行為と損害との間に因果関係があること、⑥加害者に違法性阻却事由がないこと、であるが、問題の加害者は、これら不法行為と認定できる行為を犯していると認めることができる。
次に加害者側の権利として、722条2項に基づいて、被害者である園児に過失が認められれば、その過失のぶんだけ損害賠償額を減却することができる。仮に709条における「過失」と、722条2項の「過失」の意味が同じであるとするならば、712条の未成年者の責任能力に関する条文の示すとおり、未成年者であることが責任阻却事由となってしまうため、事案において幼稚園児は何らかの責任能力を備えておかなくてはならないと考えられる。
この点709条の趣旨は、積極的に加害者に対して不法行為責任を負わせようとするのに対し、712条の趣旨は、損害賠償額を公平の見地から決定することであり、その手段として被害者の過失をどのようにとらえるかということが問題になっているとして、過失相殺の際の責任としては、単なる事理の弁識能力があれば足りるというふうに理解することができ、判例も同様の判断を下している。
事案において2歳の幼稚園児に事理弁識能力はないと考えられるので、加害者には過失相殺が認められないと考えられる。
次に、幼稚園児の監督義務者として保母の過失を追及することができないだろうか。繰り返すが、722条2項の過失相殺の趣旨は、損害賠償額を公平の見地で分担するものであるため、被害者側の過失による損害は、加害者ではなく被害者に帰するのが道理上公平である。そこで、被害者と身分上、ないしは生活関係上、ほとんど一体であると認められるような関係にある者の過失を考慮するというのは十分可能であり、判例も同様に解釈している。
事案において、保母と幼稚園児の関係には、生活関係上、ほとんど一体であると認められるような関係にあるかといえるかというと、ほとんど一体であると認められるほどの強い関係にはないと考えられる。
したがって、加害者の被害者に対する損害賠償の額を定めるにあたって、保母が目を話したという不注意を考慮することはできないというべきである。


<問題>小学生が道路で遊んでいると、社用車を私用で運転していた社員にはねられて怪我をした。小学生の親は社員に対して、どのような権利を有するのだろうか?


権利者の問題はさておき、社員に対する損害賠償の請求は認められるのだろうか。不法行為の成立要件は、①故意・過失が認定できること、②加害者に責任能力があること、③加害者による侵害行為があること、④損害の発生していること、⑤加害行為と損害との間に因果関係があること、⑥加害者に違法性阻却事由がないこと、であるが、この点社員はすべての要件を満たしているため、709条に基づいて財産的損害賠償の請求を甘受しなければならない。
では、小学生の親は権利者として、社員に損害賠償を請求することができるのだろうか。もし近親者が扶養義務に基づいて、子供の治療費などを払っている場合、近親者は加害者に対して慰謝料を請求できるとし、また被害者自身も加害者に慰謝料の請求ができるとする点、判例同旨である。
では、精神的損害について、親は社員に損害賠償を請求できるのだろうか。この点、711条は「生命を侵害したものは」とあり、被害者が死亡せずに傷害されたにとどまった場合には、近親者は慰謝料を請求することはできないのだろうか。711条は、生命侵害の場合、被害者の父母・配偶者・子は特に精神的苦痛が大きいであろうから、加害者による加害行為と損害との因果関係を認めるにあたって、その立証責任を軽減してやろうという趣旨で立法されている。したがって、「生命の侵害」ではなく、単に傷害にとどまる場合、近親者の苦痛は比較的緩やかなものと判断することができ、もしそうした苦痛にたいして簡単に不法行為にもとづく損害賠償請求を認めてしまうとすると、そうした請求権が不当に広く認められすぎてしまうこととなる。そこで、その傷害が被害者の死と比肩するほどに重度のものであれば、近親者による損害賠償が認められると考えるが、判例はこの点同趣旨である。
次に、小学生の親による損害賠償請求に対して、社員は722条2項の過失相殺を主張できないか。条文は被害者の過失を要求しているが、これを709条の過失と同じ意味に捉えれば、712条の規定するように、未成年が違法性阻却事由となるため、被害者には何らかの責任能力が必要であるとするが、過失相殺の趣旨は、不法行為者に積極的に損害賠償を負わせる趣旨である709条とは異なり、損害賠償を当事者に公平に分担させるものであるため、その目的において被害者の過失をどうとらえるかという点を問題にしているといえる。したがって、過失相殺をするには単なる事理の弁指揮能力で十分であり、その点は判例も同じ立場に立っている。
当該事案において、小学生には事理弁識能力があるため、小学生の不注意を過失とすることが可能であり、したがって過失相殺分の算定には、直接小学生の過失を考慮することとなる。
では次に、小学生の親は社員に対して715条の使用者責任を問えるか。使用者責任には、加害行為が「事業の執行について」なされることを要件とするが、被用者である社員の行為は私用であったなどの主観的な事情は判断が難しいため考慮せずに、加害者が外形的に被用者の職務の範囲内であると客観的に判断できる場合には、加害者に使用者責任を認めるべきであり、この点判例も同じである。
したがって、社員の行為は客観的には職務の範囲内であると判断できるだけの外観をそなえているため、小学生の親は社員の使用者である会社に715条の使用者責任を追及することができる。

特殊的不法行為

不法行為のなかでも、とりわけ条文で定められてるいろんな類型について勉強しようヽ(;´Д`)ノ


■ 特殊的不法行為の特別な決まり

◆ 近親者による損害賠償請求(711条)
711条は、生命侵害の場合について、被害者の父母・配偶者・子に慰謝料請求権を認めているが、被害者の祖父母や孫、兄弟姉妹や内縁の妻、認知されない子供が慰謝料を請求することができるのか?
711条は慰謝料請求権者を限定したものと考える方法があるが、そもそも711条の趣旨は、生命侵害の場合には、その条文の該当者の精神的苦痛が大きい点に鑑みて、加害行為と損害との間の因果関係の立証責任を軽減することであるため、実際に具体的に加害行為と損害との間に因果関係があることを立証できれば、709条、710条により慰謝料請求することができる。
ここで、生命侵害によって受ける苦痛は婚姻の有無といった法律の問題とは関係のない事柄であるため、内縁の妻や認知されない子供については、被害者の妻や子であると動詞できるため、711条を類推適用することによって、慰謝料請求をすることができると考える。

711条は「生命を侵害した」場合と欠いてあるが、被害者が死亡せずに傷害されたにとどまった場合には、近親者は慰謝料を請求することができるのだろうか?
711条は、生命侵害の場合、被害者の父母・配偶者・子は特に精神的苦痛が大きいであろうから、加害行為と損害との因果関係の立証責任を軽減する趣旨である。だとすれば、実際にその関係が認められれば709条、710条による慰謝料請求が可能であり、たとえ被害者が死ななくても、傷害されたことによって精神的苦痛を受けたことにたいする賠償が認められないのは妥当ではない。
ただし、近親者の精神的苦痛は間接的なものであり、簡単にそのような苦痛にまで不法行為に基づく損害賠償請求をみとめてしまうと、そうした権利が不必要に広く認められることになってしまう。そこで判例は、その傷害が被害者の死亡に比肩するくらいの重大なものであれば、近親者による慰謝料請求が認められるものと考える。

では、被害者の近親者がその治療費を支出した場合などは、近親者が損害を被っているといえるが、その場合、近親者は加害者に損害賠償を請求できるか?ここで判例は、近親者が扶養義務のために治療費を支払った場合は、近親者からの損害賠償の請求ができるし、また被害者本人からの治療費請求も求めることができるとする。

次に、財産的な損害賠償請求権は、例えば夫が死ぬことによって妻が相続したりするのか?
傷害の場合に、被害者が損害賠償請求権を取得し、その後に死亡すればその権利が相続されることを鑑み、判例は、生命侵害は身体傷害の極限の概念であり、死者は死亡の直前にその極限の身体の傷害を受けることによって死亡すると考えられるため、志望による損害賠償請求権は、近親者に相続されるとした。新たに近親者に固有の損害賠償請求権が発生するのではないという立場である。

慰謝料請求権については、慰謝料請求権は一身専属権であるため、被害者の請求の意思表示がなあって金銭債権に変えてからでないと相続されない(896条)とする考えがあるが、それでは即死したものは意思表示できないので、慰謝料請求権は当然に発生し、相続性を持つとするのが判例である。
◆ 無責任能力者の監督者の責任について(714条)
監督者は、自分が監督を怠らなかったことを立証する責任がある。
「監督者」としては、例えば820条の未成年者の親権者や、代理監督者として保育園の保母さんなどがそれにあたる。

「その要件」は?
① 責任無能力者の行為が、その能力の範囲外の不法行為を行うこと。
② 監督義務を怠らなかったことが立証できなかった場合

ある少年がバイクほしさに友達を殺して金を奪った場合、友達の親は少年の親に714条を根拠に損害賠償を請求できるのか?
714条の規定は、責任無能力者の場合についてさだめたものであって、少年はいちおう責任能力があるため、監督者は責任を負わないとの考えがあるが、実際には責任能力ありとされた未成年者には資力がないため、被害者が救済を得られないことが多い。
思うに714条というのは、責任能力のない者を監督する者の過失を推定する条文であって、709条の責任を免除するものではない。
したがって、加害者に責任能力がある場合でも、監督義務違反によって加害行為が起こったといえるだけの因果関係があれば、709条に基づいて監督者による責任を追及できるとするのが判例である。

では、子供が火遊びをしているうちに家が火災となり、その隣の家に燃え移り、さらにその隣の家に延焼したという場合、どうなるか?
判例は、責任無能力者の監督について、監督義務者に重過失があった場合にのみ、監督義務者が責任を負うと考える。なぜなら我が国は、火災による不足の損害拡大の危険性が大きいためである。



◆ 使用者責任について(715条)
使用者責任とは、被用者が使用者の事業を執行する過程で他人に違法な損害を与えた場合、使用者がこれにかわって責任を負うということである。

「その根拠」は?
① 使用者は被用者を利用することによって、事業を拡大して稼いでいるのだから、それによる損失も負担すべきであるという報償責任の原理。
② 被用者をつかって事業を拡大するということには、社会的な危険がつきものであるため、その危険を実現したならばその危険を当然に負担すべきという危険責任の原理。

「その要件」は?
① 使用関係
② 被用者の加害
③ 加害が「事業の執行について」なされること
④ 被用者が不法行為の一般成立要件を満たしていること
⑤ 使用者に免責事由(715条但書)がないこと

① 使用関係について
使用関係は単なる契約に基づく場合がほとんどであるため、実質的な指揮・監督関係があれば足りるとする。
判例は、弁護士や医師、タクシー運転手のように独立して仕事をしている人に対しては、原則として指揮・監督関係はないとする。
また、兄が弟を迎えにこさせるといった場合には、使用者としての関係があるとした。
では、他人の雇用する者を使用者が事業につかう場合はどうだろうか。運転手つきの自動車を賃貸する場合などがそれにあたる。判例では、借りた人と運転手との間に事実上の指揮・監督関係があれば、使用者責任が発生するとした。
被用者が第三者である使用者を使用する場合にも、被用者が使用者の許可を得て、使用者が監督できる立場にいれば、使用者と第三者との間にも使用関係があると判例は示している。
また、使用者が被用者を指揮・監督するにあたって、第三者の指揮がいっしょに加わったとしても、使用者責任には影響がない。
そして、他人に営業上の名義貸しをしている場合には、その名義を使用している者の不法行為について、使用者責任を負うものとする。

② 被用者の加害について
その対象は、使用者と被用者を除く全ての第三者である。


③ 加害が「事業の執行」についてなされること
「事業の執行について」という判断は、どのようにすべきか?
判断のポイントは
(1) その行為が使用者の事業の範囲にはいるか、
(2) それとも、被用者の職務の範囲にはいるかという点である

「事業の執行について」とは、事業それ自体と不可分の行為に限るという説があるが、それでは職務の範囲内であると信頼した相手の保護が害される。
使用者責任の趣旨は、他人を利用して事業を拡大することによって利益を得るものは、その負担をも負担する必要があるということである。
したがって判例は、使用者や被用者の主観的な事情は考慮せずに、外形的に被用者の職務の範囲内の行為に属するものと認められる場合にも、使用者責任を認めるべきだとする。だから、例えば社用者でドライブしていた場合など、使用者責任が追及されるものと考えられる。ただし相手方が悪意または重過失だった場合には保護の必要がないとされる。

④被用者の行為が不法行為の要件を備えること
では、被用者の失火によって第三者に損害が生じた場合はどうか?
715条1項は使用者の代位責任を定めたものであり、被用者の行為が不法行為の要件を備えておれば、使用者は被用者の故意・重過失が認められれば(失火責任法)、709条の範囲で責任を負わなくてはならないといするのが判例の立場である。

◆ 使用者責任の効果
使用者責任が成立する場合、使用者および、使用者にかわって事業を監督するものが損害賠償責任を負う。そして、使用者または代理監督者は、被用者に求償することもできる(715条3項)
では、常に全額の請求が可能なのであろうか?
使用者責任の趣旨は、利益の損するところに損失も帰するべきとする報償責任の原則である。
にもかかわらず、使用者は被用者を業務に服させて利益を得ておきながら、最終的な損失は全て被用者に押し付けようというのは、虫が良すぎる。
そこで判例は、事業がどのような性格のものであるか、また被用者の業務内容や労働条件、また使用者の危険に対する損失の分散義務のありなしなどの諸般の事情を考慮して、信義則上、この程度なら被用者に損失を負担させるべきだろうという限度において認められるとした。

では、被用者が既に全額の負担をしてしまった場合、使用者に求償することができるか?条文に明文がないことから問題となる。
思うに、使用者には損害賠償について尽くすべき配慮を怠ったという独自の帰責性があり、さらに被用者は資金に乏しく酷である。したがって、使用者と被用者が不真正連帯債務ないし共同不法行為の関係にたつとして、被用者は過失の程度や原因などの事情を考慮した結果算定された負担割合について、使用者に求償できると考える。



■ 工作物責任について
土地の工作物の設置や保存にミスがあったため、他人に損害を与えてしまった場合には、工作物の占有者や所有者は、被害者に対して損害賠償をしなければならない。
その趣旨は、他人に損害をあたえる虞のある工作物を所有しているのだから、その危険が実現した場合にはその責任を負うべきとする危険負担の原則である。
その法的性質に関して、占有者は、損害賠償が自分のせいでない、必要な注意を払ったということを立証した場合は責任が許されるので、中間責任である。
それにたいして所有者は、免責事由が認められないので無過失責任となる。

「その要件」は何?
①「土地の工作物」であること
② 設置・保存による瑕疵であること
③ 占有者に免責事由がないこと。所有者は免責されない。

① 土地の工作物であることについて
電源設備や看板なども土地の工作物にあたるのか?
工作物責任の趣旨は、他人に損害を与える虞のある工作物を所有しているのだから、その危険が実現した場合にはその責任を負うべきとする危険負担の原則である。
とするならば、他人に損害を与えかねない工作物の範囲は広く、土地に接着して人工的に作り出されたあらゆる物と、それと機能的に一体となっている物すべてである。

②設置や保存による瑕疵について
判例は、踏み切りの軌道施設について、保安設備といったいとして考えるべきであり、警報機がない場合には、設置の瑕疵があるとした。
また、電気事業者が桑の木の間に高圧電流の電線を通したところ、誰かが木登りをして感電死した事案において、判例は瑕疵を認めている。

土地工作物の保存や設置の瑕疵のせいで火災を発生させてしまい、延焼などにより第三者に損害を与えてしまった場合、工作物の占有者や所有者はどのような範囲で責任を負うのだろうか?
717条の趣旨は、他人に危害を加える虞のある工作物を所有しているのだから、その工作物が現実に危険を生じた場合は、その責任を負うのは当然であるという危険責任の法理である。
しかし、失火責任法が失火者の責任を軽くしているのは、日本には木造家屋が多く、延焼範囲が拡大しやすいので、結果的に失火者にあまりに過酷な結果をもたらす場合が多いためである。
したがって、717条の工作物責任と、失火責任法の均衡を図るために、工作物から直接発生した火災については717条を適用し、延焼部分については失火責任法の故意・重過失規定を当てはめ、占有者および所有者に工作物の設置・保存について落ち度があった場合に、責任を認めるものとする。



■共同不法行為について(719条)
数人で共同の不法行為によって他人に損害を加えたら、そのなかでダレが実際に損害を加えたのか明らかでない場合、またそれについて教唆や幇助をした場合、損害額全部について皆で連帯して責任を負うとしている。
また、719条の趣旨は、被害者の救済である。

「共同不法行為の要件」は何?
判例は、
①各自の行為が不法行為の一般要件(709条)を備えていることと、
②各自の行為に客観的関連共同性があることとしているが、
本来は別々に存在する責任を、ひとつにまとめて共同して負うのが共同不法行為の趣旨であるため、それぞれが不法行為の要件を具備している必要があるためである。

「加害者が不明な場合の共同不法行為の要件」は何?
①共同行為者であること
 関連共同性を要求せず、択一的競合関係にあれば足りる。
②各自が不法行為の一般要件を満たしていること
③共同行為者の誰かが損害を発生させていること

「共同不法行為」の効果は何?
「連帯」とは、不真正連帯債務をさすのが判例である。
また、過失の割合や損害にたいする寄与の度合いを考えて、共同不法行為者間で求償を行うことができるとするのも判例の立場である。

では、共同不法行為者たちのうち、一人が免除された場合、皆免除になるのか?
719条1項の「連帯」とは不真正連帯債務をさすのが判例であり、免除の効力は絶対効にならないため、皆が免除になるということはないとする立場がある。
確かに絶対効が広く認められれば被害者救済の点で不都合がおおいため、免除は相対効であると考えられるが、免除は意思表示によるものであるため、その効力は免除者の意思により解釈すべきであるとするのが判例の立場である。

次に、共同不法行為者たちのうち、一人に賠償を請求すれば、皆にも時効中断の効力があるのか?
719条1項の「連帯」は不真正連帯債務とするのが判例であるが、それを理由に、絶対効を一律に排除してしまうのは、時効との関係で妥当ではない。不真正連帯債務というのは、連帯債務ではない場合を定めたという程度の意味でしかないので、絶対効の有無などの判断は、個別に決めるべきだ。請求の絶対効についてはこれを認めるのが、被害者の救済のために資する。したがって、434条を類推適用し、一人に対する請求は皆にしたものと同じく時効中断できる。ただし判例は、時効の中断については否定説をとっていることを忘れてはならない。

共同不法行為者に使用者責任を負う使用者がいた場合
⇒被害者は使用者に損害賠償責任を追及できるのだろうか?
使用者、被用者、第三者を並列にとらえ、それぞれの過失の割合によって負担を決するやりかたがあるが、これでは使用者が被用者の過失の原因となっていたなどの事情がない限り、使用者の負担部分はなくなってしまう。
しかしこのような場合、被用者が無資力であったばあい、第三者が負担者となる場合となり公平を欠く。思うに使用者責任の趣旨は、被用者を利用して事業を拡大し利益をあげようとするならば、当然にその危険も負担すべきであるとする報償責任である。
だとすれば、使用者と被用者は求償関係においてほぼ同じ一体をなすものと考え、使用者は第三者からの求償の場面において、被用者と同じレベルの責任を負うと考えるのが判例の立場である。

共同不法行為者の使用者が、他の共同不法行為者へ求償できるのか?
使用者は、その指揮・監督する被用者と一体をなすものとして、被用者と同じ責任を負う。
そして、共同不法行為者間では、過失の割合におうじてそれぞれ求償が認められるので、判例は、使用者が被用者の過失割合を超えて損害を賠償した場合には、他の共同不法行為者に対して求償することができるとした。

ある被用者に対して、複数の使用者がいた場合、その使用者間で互いに求償できるのか?
判例は、各使用者の間で、内部的に負担を公平に分割する必要があるため、ある使用者が損害を賠償した場合は、他方の使用者に対しても求償できると考える。
そしてその求償の範囲は、被用者の加害行為の様子や、それぞれの使用者の事業のやり方や性質、関連性、被用者に対する指揮・監督が強かったか弱かったかなどを考慮して決めるべきであるとする。

では、ある共同不法行為者の使用者が、一方の共同不法行為者の使用者に求償できるか?
判例は、一方の共同不法行為者の使用者が、自分の負担分を越えて損害賠償した場合、その超える分だけ他方の共同不法行為者の使用者に求償することができるとした。


以上とは少し異なる話。
一つの交通事故において、被害者の過失が競合して結果が生じた場合
それぞれの加害者と被害者の間で、個別に過失相殺が行われるのではなく、全体としての損害賠償額から過失相殺によって減少した分の損害賠償額を、加害者らは連帯して共同不法行為に下づく損害賠償責任を負うとするのが判例の立場である。


不法行為

先のエントリーの続きだよん(°∀°)b



■ 不法行為
ある者が権利や利益を違法に侵害された場合、損害の公平な分担を図るため、加害者に損害賠償を負わせる制度である。

◆ 無過失責任主義
報償責任主義⇒「利益の帰するところに損失もまた帰する」
危険責任主義⇒「危険を発生させた者はその危険について責任を負う」

◆ 故意過失の立証責任
被害者側にある。債務不履行であれば、債務者にある。

◆ 消滅時効
724条によれば、3年である。債務不履行は10年。

⇒では、タクシー運転手が客を乗せて交通事故を起こして怪我を負わせた場合は?
契約上の債務不履行による損害賠償責任と、不法行為に基づく損害賠償請求権との競合が認められるとするのが判例の立場である。



◆ 不法行為の成立要件
① 故意過失
結果発生の認識またはその可能性があったのに、あえて行為を行うのが故意であり、また自分の行為によって一定の結果発生が発生することを認識すべきなのに、不注意のためそれがなされずに行為をする状態のことをいう。
立証責任は被害者にあるが、立証責任の転換といい、715条の使用者責任などでは加害者に、自ら故意過失のないことを立証する責任がある。
また、不法行為のときに被害者が立証責任を負うことについて、一応の推定がなされる。医療過誤の場合、被害者には専門知識が乏しいので、立証の一歩手前までいっておれば十分とする。

② 責任能力
712条にあるように、責任阻却事由は未成年者であることであったり、713条、責任能力を欠く状態にある者であったりすることなど。

③ 権利の侵害
権利の侵害とは、違法性の表れである。違法性の要件は過失に一元化されるため、過失の有無によって判断する(過失一元論)
物権的権利の侵害については、所有権や占有権などがあるが、強い違法性のために様態を問わず違法性が認められる。
債権的権利の侵害についてはどうか。債務者による侵害は、債務不履行責任415条と不法行為責任709条が競合するとするのが判例。
第三者による侵害については、判例では権利の不可侵性から第三者の債権侵害を認めている。
違法性阻却事由としては、やむをえずした加害行為である正当防衛などがそれにあたるが、720条但し書きは、それでも被害者は損害賠償請求することは妨げないとしている。緊急避難の場合も同様である。
また、明文のない違法性阻却事由として、公序良俗に反しない犯意で被害者の承諾があったことや、親が子供をしかるといった正当行為、また、国家による救済をまっていたのでは侵害を防ぐことが極めて困難になる場合、自力救済が認められる。

④ 損害が発生していること

⑤ 加害行為と損害との間に因果関係があること
因果関係の証明責任は被害者にあるが、被害者側の立証は実際困難であるため、事実は通常の人が疑いをさしはさまない程度の真実性において十分に推定され、被告がその推定を覆すだけの反証をしない限り、因果関係の存在を認定すると判例はいう。



◆ 不法行為の効果
損害賠償の方法は金銭である(722条1項)
物を滅失させてしまった場合、その物の交換価値が賠償の額となる。
では、株券が不法行為によって破り捨てられた場合、いつの株価で交換価値を把握すればいいのか?判例は、原則として滅失時としている。ただし、後に株価が高騰することなどの予見を前提としていた場合は、価格が騰貴したときとする。
また物が不法に占有されていた場合、通常の賃料相当額が賠償額になるとされる。
では、生命身体に関する損害はどう考えるか?治療費や葬式費は損害であるとするのが判例である。また、生存していたならば得られたであろう利益も損害になる。
傷害の場合は、判例では、付添い人費用や義足のお金なども治療費にあたるとする。また後遺症により労働能力が低下したという場合でも、現実には格別に収入は変化していない場合には、判例は損害賠償を否定した。ただし、被害者が特別に努力してカバーしている場合や、出世などに関して不利益がある虞があるなどの特別な事情があれば、損害を認める余地があるとしている。

では、被害者が不法行為によって就労できなくなった後、無関係の事情により死亡した場合、就労ができなくなったことによる逸失利益の賠償はどうなるか?賠償額を計算するにあたって、死亡するまでの逸失利益に限定するとの考えがあるが、就労ができなくなったことによる逸失利益の賠償請求権というものは、加害行為の時点で一定の内容として発生しているのだから、その後に後発的に起こった事情によってその内容が変化しない。したがって、近い将来に死亡が予測できていたなどの特段の事情がない限り、被害者の死亡は逸失利益の算定の考慮にいれるべきではない、とするのが判例の立場である。

また、損害の賠償の範囲はどのくらいか?不法行為制度の趣旨は、損害の公平な分担であるため、全ての範囲の損害を加害者に賠償させるのは厳しい。したがって、条件関係のある損害のなかでも416条の債務不履行責任の範囲を類推適用して、加害と損害が相当因果関係にある場合について、損害賠償責任が発生するというのが判例の立場である。

他には、従業員が不法行為を受けることによって企業の収益が減少するなどといった場合は、企業加害者に損害賠償請求を請求できるのだろうか?こうした企業損害は契約関係が複雑に絡み合う現代社会において、無限に膨張する危険性があり、不法行為責任の範囲が限定できなくなってしまう虞がある。したがって、このようなリスクはあらかじめ企業が計算に入れておかなくてはならないという意味で、原則として企業の加害者に対する損害賠償は認められない。ただし、被害者と企業が経済的に同一の関係にあったり、被害者が企業にとって代替性のない地位にあったりした場合は、例外的に企業による賠償請求を認めるべきだ、とするのが判例の立場である。なぜならこの場合、直接の被害者に生じた損害は企業に生じた損害に等しいといえるためである。よって、加害と損害に相当因果関係説が認められる。
では、不法行為を受けることによって就労できなくなった従業員に、企業が誤って給与を支払った場合、企業は加害者に損害賠償請求できるのか?422条、代位の規定を類推適用して、企業による請求ができるとする。


◆ 損害賠償の減額調整
例えば生命侵害によって逸失利益を計算する際には、生存したならば得られたであろう利益から、生存中必要な生活費を控除する。これを損益相殺という。条文には根拠がないが、709条の「損害」にはその意味がこめられていると考えられる。具体的な判例をあげてみよう。
生命保険金は、損害を補填する意味をもっているから、逸失利益から差し引かれない。
また香典や見舞金も、損害賠償金から差し引かれない。
退職年金の受給者が死亡したら、相続人は逸失利益の賠償を請求できるが、その相続人に支給される遺族年金については賠償金から差し引かれる。
そのほかには、過失相殺(722条2項)というものがある。
不法行為の過失相殺は、418条の債務不履行の過失相殺の場合と違って、任意で行われる。
では、子供が喧嘩をして片一方が大怪我をした場合、大怪我をさせられた子の親は、相手の親に対して損害賠償を請求するが、損害賠償を請求された側の親は、喧嘩をした相手の子供にも過失があるとして過失相殺を主張できるのだろうか?
被害者の子供に過失があるといえるだけの判断能力が必要なのかという点が問題となるが、過失相殺における過失を709条の過失と同じ意味だとすれば、712条の規定するように、未成年が責任阻却事由になることから、何らかの責任能力が必要であると思える。
判例は、過失相殺の問題は不法行為者に積極的に損害賠償を追わせるのと違って、損害賠償を定めるのに公平の見地から、被害者の過失をどのように考えるかという問題にすぎないとする。
したがって、過失相殺をするには単なる事理の弁識能力があれば十分であるとする。

では、幼児が親の目を話した隙に道路に飛び出し車にはねられて死んだ場合、被害者の幼児には事理弁織能力がないため、加害者が親に損害賠償をするにあたって、幼児の過失を根拠として過失相殺することができない。
この場合、幼児の監督義務者として、親の過失を追及することはできないだろうか。過失相殺は不法行為によって生じた損害を公平に分担する趣旨であるため、被害者の過失による不利益は、加害者に負わせるより被害者に負わせるのが公平である。そこで被害者と身分上、もしくは生活関係からいって一体をなすと認められるような関係にある者の過失を考慮することは十分に可能であるとするのが判例の立場である。
したがって、親の過失を考慮することができると考える。
では、妻が夫の運転する車の助手席に乗っていたときに、相手の車との交通事故に巻き込まれ大怪我をし、またその交通事故の過失は夫と相手双方にあった場合に、妻が相手に不法行為に基づく損害賠償の請求を求めるとどうなるか。判例は、夫婦関係が事実上の破綻をきたしている場合などの特別な事情をのぞいて、夫の過失を自分の過失であるとして損害賠償の請求ができるとした。ただし、夫婦別産制の見地からはどうなのか、という疑問もある。



◆ 損害賠償の減額調整の続き
被害者の特異体質などの身体的な素因によって、損害がかさんでいった場合、身体的な素因によって拡大した損害については、加害者の責任を減らしてやることができるのか?
損害を公平に分担させるという709条の趣旨を考えると、身体的素因という被害者の事情を加害者にすべて負わせるのは酷であろう。
この点判例は、加害者の責任を減らしてやることを認め、具体的事情に応じて適当な解決をするべきだとしている。それでは、いかなる法律構成を用いて減責してやるか?
確かに身体的素因は過失とはいえないため、722条2項の過失相殺の規定を用いることはできないが、その趣旨は損害の公平な分担にあることから、拡大した損害の一定部分は被害者が負うべきであろう。
したがって、722条2項を類推適用することによって、被害者の身体的素因を損害賠償の減責事由とするのが判例の立場である。また判例は、個人の個体差といえる程度の身体的特徴までもその事由に含むべきではないとする。なぜなら、身体的特徴は人それぞれだからであって、例えば平均より身長の高い者が、平均人より慎重な行動を要求されるというのは変な話であるからである。
では、被害者が心をわずらっており、なかなか治療に意欲をしめさないなど、被害者の心因的要素がもとで損害が拡大してしまった場合はどうするか?
確かに心因は722条2項の過失とはいえないが、判例は、加害行為によって通常発生すると思われる損害の範囲を超え、かつその損害の拡大が被害者の心因に寄与している場合、722条2項を類推適用して、加害者の賠償額を減額できるとしている。

それでは、人身事故の被害者が、その後うつ状態になって自殺をした場合、治療費のみならず死亡による損害をも請求できるのだろうか?
確かに自殺は被害者の行為によるものなので、加害行為と自殺との因果関係は否定されると考えられるが、自殺をすることが被害者の自由意志であるとは限らず、ある程度必然的にそうなるべく追い込まれたとも考えられるため、そのような場合に被害者になんらの救済を認めないとするのは、損害を公平に分担するという不法行為制度の趣旨に反するものである。
したがって判例は、加害行為と自殺との間には相当因果関係があるとしたうえで、被害者の自殺という行為が損害の拡大に寄与しているという事情を勘案して、過失相殺の規定722条を類推適用して、加害者の損害賠償額の減額をするものと判事した。



◆ 損害賠償請求権の消滅時効
不法行為による損害賠償請求権の消滅時効は、被害者が損害および加害者を知ったときから3年、また不法行為から20年経ったときも同様とする。後者は除斥期間。
「損害を知ったとき」の意味
損害発生の事実を知ることで、具体的な程度や額を知る必要はない。
ただし、事故の後に時間が経ってあらわれる後遺症などの、因果関係のある損害であるがその当時予見できなかった損害の場合、治療を受けるようになるまで時効は進行しないとした。
また、不法占拠のように、継続して不法行為が行われる場合については、損害が継続して発生している限り、日々新たな損害が発生するものとして、時効は進行しないと判事した。
「加害者を知ったとき」の意味
損害賠償が事実上可能な程度に、損害発生の事実を知ることであるとするのが判例の立場だ。
「不法行為のとき」の意味
加害行為がなされたときであり、損害が発生したときではない。

20年の期間制限は除斥期間であるが、判例は、被害者が20年経過前の6ヶ月以内に心神喪失の常況にあるとか、被害者が成年後見開始の決定を受けたとかいった場合、158条、法定代理人の不存在による時効停止の条文の趣旨に照らし合わせて、20年の期間制限の適用を否定した。

◆ 不法行為による損害賠償請求権の特徴
721条によれば、胎児は、損害賠償請求権についてはすでに生まれたものとみなされる。
また法人については、基本的に自然人と同じく損害賠償請求権を有するが、精神的苦痛のような、法人ゆえに受けることのない損害については請求権をもたない。ただし、名誉権の侵害などの場合、慰謝料とは別に信用の低下などの企業的な損害があるため、それに関しては損害賠償請求が認められるとする判例がある。

また466条は、債権の譲渡性を認めているが、財産的損害賠償請求権は債権なので、譲渡できる。慰謝料請求権の場合には、相続することができる性質のものならば、譲渡できるとした。
また、賠償者の代位であるが、422条の債務不履行の場合との均衡を考えて、例えばある者がAの骨董品を勝手に持ち出してBに壊された場合、AのBに対する損害賠償請求権は、当然にある者に帰属するものと考えられる。

判例によると、損害賠償債務が遅滞となるには、不法行為時から催告をまたずして遅滞に陥るものとする。また、不法行為時より価格が騰貴した場合は、その騰貴時から遅滞に陥るものとする。そして、遅延利息は年5分の法定利率による(404条、419条)。

事務管理~不当利得


民法の債権総論の整理をしてみよう(‐^▽^‐)


■ 事務管理(697条以降)

◆ 事務管理の成立要件(697条1項)
① 他人の事務を管理すること
(1) 事務とは、人の生活に必要な一切の仕事を言う。
(2) 管理とは仕事を処理することで、単に保存行為・利用行為・改良行為のいわゆる管理行為だけでなく、処分行為も含むとする(判例)

② 他人のためにする行為
(1) 他人のためにする行為とは、他者の利益を図る目的をもって事務管理を行うことである。
(2) 他人のためにする意思は、自己のためにする意思と併存してもよい。

※ 専ら自己のためにする意思をもって事務管理を行った場合は?
自己の利益を図る意図で他人の物や権利を勝手に使用した場合、それは不法行為や不当利得の問題となるが、それによれば703条「損失」や709条「損害」の範囲内でしか利益が回復できない。不法行為や不法利得は公平をその趣旨とする制度であるため、したがって専ら自己のためにする意思をもって事務管理を行った者でも、その者が自己の才覚によって一般に予期される以上の利益を与えた場合、通常考えられる利益を大幅に超過した部分については、利益の償還はさせないとするのが公平である。

③ 法律上の義務がないこと

④ 本人の意思および利益に適合すること
※ただし、本人の意思が強行法規や公序良俗に反する場合は、本人の意思に反してもよい。




◆ 事務管理の効果
① 事務管理者の義務
(1) 違法性が阻却される
⇒他人への干渉が不法行為にならないが、事務管理の方法が不適切であった場合には、善管注意義務などの債務不履行の問題となる。

(2) 管理を継続する義務の発生(700条)
⇒ただし、本人の意思に反して本人の不利益となることが明らかな場合は、継続しなくてよい。

(3) 本人の意思を知っているか推知できる場合は、それにしたがって管理する義務が発生する(697条2項)

(4) 緊急事務管理の場合、管理者が悪意・重過失だったときには損害の責任を負う(697条)

(5) 管理を開始したことを通知する義務が生じる(699条)

② 事務管理をされた本人の義務
(1) 費用を償還する義務(702条)
⇒ここでいう費用とは、有益費である。有益費とは、目的物の改良のために支出されるお金のことである。
(2) 事務管理者が本人の意思に反して管理した場合、本人は現に利益を受ける限度で、事務管理者に有益費を返還しなくてはならない(702条3項)

◆事務管理と代理

※事務管理人が本人の名で勝手に法律行為をした場合
⇒判例は、事務管理人が本人の名で勝手に事務管理をした場合は、無権代理の問題(117条1項)や、本人の黙示の追認の問題として処理すればよく、仮に事務管理者が本人の名前で勝手に法律行為をした効果が認められれば、本人の地位は著しく不安定なものになってしまう。したがって、事務管理が成立しても代理権は発生せず、本人の追認がない限り法律行為の効果は本人に帰属しないものと考える。





■ 不当利得

◆ 不当利得の2つの類型
① 給付利得
⇒外形は有効な契約によって財産が移転したが、その契約が無効となったり取り消されたりするなどの瑕疵があった場合、取り戻すべき財産のこと。

② 侵害利得
⇒法律上まったく無関係な当事者間において、一方が他方の法律的権利を侵害し、権限なく利益を得た場合、その取り戻すべき利益のこと。


◆ 不当利得成立の要件
① 受益
② 損失
③ 受益と損失との間の因果関係
④ 法律上の原因(根拠条文や判例法理)がないこと

◆ 当事者が多数である場合の不当利得
(1) 受益者と損失者との間に中間者がいる場合、因果関係はどうなるのか?

判例では、中間者がAから金銭を騙し取って、その金でBに弁済した場合、Aの金銭でBの利益を図ったと認められ、因果関係があるとしている。不当利得の法理は、利益帰属の公平であるため、受益と損失との間に直接の因果関係を必要とするとすれば、因果関係の認められる範囲が狭くなってしまう。したがって、社会通念上の相当因果関係が必要である。

(2) 中間者がAから金銭を騙し取って、その金でBに弁済した事案について、受益と損失と因果関係は認めるにしても、法律上の原因がないといえるのだろうか?

判例では、法律上の原因がないこととは、当事者間における財産の移動が正当であるとするだけの実質的な理由がないことであるとする。だとすれば、弁済を受領したBが、中間者によるAからの騙し取りについて悪意・重過失であった場合には、法律上の原因がなく不当利得の問題となる。したがって、Bが悪意・重過失であれば、AはBに不当利得の返還を請求することができる。

(3) AはBからブルドーザーを借りており、壊れたのでCに修理にだした。Cはブルドーザーを直したが、すぐにBが倒産してしまったので、修理代をAに請求した。できるか?(転用物訴権)

まず、Cの損失によってAが受益するに至ったという十分な理由があれば、因果関係を肯定すべき。Aの受益には法律上の原因はないのか。
AがBの受益に対して費用償還請求権(反対債権)を持っていた場合、Bは費用を償還する義務を負っているため、その受益には法律上の原因があると考えられる。また、AがBに費用償還請求権をもっていない場合でも、例えばブルドーザーを安く貸す代わりに修繕費用は借りたほうもちになるなどの特約があるなど、契約全体として有償であるときには、Bの受益には法律上の原因があると考えられる。なぜなら、このような場合にCの不当利得返還請求権を認めてしまうと、受益者であるBは修繕費と二重の経済負担を負うことになってしまい不当であるからだ。
そして、AがBに対して費用返還請求権をもっておらず、Bの受益が契約全体として無償であると考えられる場合、CのBに対する不当利得返還請求権が認められることとなる。なぜなら、無償契約は有償契約より保護の程度が弱いと考えられるからだ。以上は判例と同趣旨である。
 したがって、AがBの受益に対して費用返還請求権(反対債権)をもっておらず、かつBの受益がAB間の関係全体からみて無償だという場合に限り、CのBに対する不当利得返還請求権が認められる。

◆ 非債弁済とは?
他人に債務を負っていると思い弁済したところ、実は債務を負っていなかったということがわかったら給付利得返還請求できるが、一定の場合には返還請求できないこと。705条は、債務が存在しないことを知って弁済をしたら、その給付の返還を請求できないとした。また、706条は、期限前の弁済について債務が存在しないことをしってした場合も、返還請求は認められないとした。

◆ 不法原因給付
賭博に負けて金銭を払った場合など。
⇒「不法」とは何か?708条の趣旨は、自分で社会的に非難を浴びるような行為をしたのだから、その無効を理由として損失を回復させようというのはクリーンハンズ原則に反する。90条も同趣旨にたっているため、したがって不法とは公序良俗違反であると考える。

⇒「給付」とは何か?それは、受領者に最終的に利益をあたえる行為である
では、不動産の譲渡が「給付」といえるためには、引渡でいいの?譲渡でいいの?

未登記の不動産については引渡でたりるが、既に登記してある不動産については移転登記が必要とするのが判例である。


◆ 不法原因給付の場合、所有権を理由に返還請求できるか?
できないとするのが判例である。708条が有名無実化してしまう。

⇒では、未登記の譲渡不動産を給付者が勝手に保存登記したとき、受領者は抹消登記や移転登記を請求することができるのか?
登記がなされているのに、所有権だけが給付者にとどまるとすれば、所有権と占有権の帰属が分離してしまい、法律関係が混乱するため、判例がいうように、返還請求権が否定される効果として、所有権は受領者に帰属するものと考えるべきだ。

事例問題にチャレンジ☆part2

事例問題パート2でござる。ハリキッていってみよう(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)



<問題>名誉権に基づく出版差し止めの仮処分は、検閲にあたらないか?


1 名誉権に基づく出版差し止めの仮処分は、検閲にあたらないか。検閲の定義が問題となる。


2 検閲の定義を決定するにあたっては、その主体・対象・時期が問題となる。まず検閲の主体については、歴史的に表現の自由の侵害者は行政権であることが多く、それを防止する必要性が高いため検閲の主体は行政権であると考えられる。次に検閲の対象だが、検閲の対象を仮に思想であると限定してしまうと、思想と区別される表現内容の審査を許してしまうことになるため、単なる事実と思想とを区別せず、表現行為一般が広く検閲の対象となると考えられる。以上、検閲の主体、対象をそれぞれ行政権、表現行為とするのは、ポルノ税関事件判例と同趣旨である。そして検閲の時期については、表現行為に先立って国家権力が検閲を行うものと考えられるが、表現の自由は「表現を受け取る自由」をも含むため、受領前に行政権がその内容を審査してはならず、したがって検閲の時期は表現の受領前であると考えられる。


3 以上によって考えると、検閲主体は行政権であるため、司法権である裁判所による出版差し止めの仮処分は、検閲にはあたらない。


4 ではその仮処分は検閲にはあたらないとして、事前抑制禁止の法理に反しないのだろうか。事前抑制禁止の法理は、①事前抑制は表現が公表される前にそれを抑止するものとして、21条の表現の自由が保障するところの情報受領権ないしは情報収集権、すなわち表現に対する国民の判断の機会を永久に封じてしまうこと、②また手続き的な保障が確立されていないため、国家権力によって濫用されてしまう虞があることから、21条から当然に導かれる法理であると考える。


5 しかし、プライバシー権や名誉権を侵害する表現がいったん公表されてしまうと、かかる権利の回復は著しく困難になってしまい、単に事後的な救済手段では回復不可能なほどの甚大な権利の侵害を及ぼしてしまう虞がある。思うに、行政権が主体となって事前差し止めがなされる場合とは異なり、裁判所が私人の申し立てによっておこなう事前差し止めは、その性質上公正な法の手続きにのっとってなされているため、厳格でかつ明確な条件の下で、事前抑制の禁止にも一定の例外が許されるべきである。北方ジャーナル事件判例では、その例外として許容される実質的要件として、①その表現内容が真実ではなく、それがもっぱら公益を図る目的ではないことが明白であること、そして②被害者が重大で著しく回復困難な損害を被る虞がある場合、事前差し止めは検閲にはあたらないと判事した。また手続き的要件としては、表現者にその表現内容の真実性などに関して弁明の機会を与えることとした。


6 したがって、表現内容が真実でなく、それがもっぱら公益を図る目的ではないことが明白であり、被害者が重大で著しく回復困難な損害を被る虞があると認められれば、事前差し止めは検閲にはあたらない。



 表現の自由ですね。検閲の定義について、対象と時期はこの問題において必要になりませんが、いろいろな問題に対応するためにあえて書いておきました。ポルノ税関事件は、その定義を導くのに有用です。教科書検定に関しては、家永教科書検定事件判例、出版物の差し止め処分については、北方ジャーナル事件が、①その内容が真実で、もっぱら公益をはかる目的でかかれており、②被害者が重大な損害を被る虞がある場合、事前差し止めは検閲だよという重要な判断基準を示しています。



<問題>非嫡出子の法定相続分が嫡出子の2分の1と規定する民法900条4項但し書きは、14条1項の平等権に反しないか?


1 非嫡出子の法定相続分が嫡出子の2分の1と規定する民法の条文は14条1項に反しないか。 ①14条1項の「法の下の平等」は何を意味するのか。そして、 ②14条1項は「法の下の平等」の一般原則と、後段における信条や人種等の平等に関する事例列挙との関係をどのように捉えているのかが問題となる。


2 ①について、ここで「法の下の平等」が法適用の平等のみを意味するとの見解に立つとすれば、法の内容における平等は閑却されてしまい、平等の保障が実現されない蓋然性が極めて強くなってしまう。したがって、「法の下の平等」とは法の内容の平等をも含み、立法者も拘束すると考えられる。


3 次に②については、14条1項後段の列挙事由が、仮に平等権の保障の対象を限定する趣旨のものであるとした場合どうなるのであろうか。本来平等の内容というものは時代によって変化するものであり、もし14条1項における差別の禁止事由を限定的に解釈してしまうと、それに漏れる平等権が実現されなくなる虞がある。したがって、14条1項後段の列挙事由は、歴史上特に重篤な問題となったものを列挙したものであるとして、いわば具体的な例示列挙であると理解すべきである。また、条文によってわざわざ具体的に例示列挙してある以上、14条1項後段の列挙事由は、それ以外の「法の下の平等」の一般原則と比較して、より厳格な違憲審査基準を採用すべきであると考える。では、具体的にそれぞれどのような違憲審査基準を用いるべきなのであろうか。


4 (1) 14条1項後段列挙事由による差別はとりわけ民主主義の理念を著しく侵害するものであり、違憲性の推定がはたらくため、厳格な審査基準を用いるべきである。具体的には、立法目的が正当であり、その目的を達成するための手段が必要最小限であることを要するものと考える。そして14条1項後段列挙事由以外の、「法の下の平等」の一般原則に関しては、比較的緩やかな違憲審査基準を用いるべきである。具体的には、14条違反の際には場面を限定せずに、立法目的が合理的であり、かつその目的を達成するための手段との間に合理的関連性があることを要するという、判例の用いた違憲審査基準と同じ違憲審査基準を採用すべきである。


(2) もっとも、14条1項後段事由に該当しない侵害についても、民主制を害する得に重大なものについては、14条後段列挙事由と同様の厳格な違憲審査基準を用いるべきである。具体的には、政策的判断が要求される経済的自由権に比較し、精神的自由権は個人の人格形成に関わる自己実現の側面と、民主制の根幹を保障する自己統治の側面があるため、後者の自由をより手厚く保障すべきとする二重の基準論の趣旨を基準として、その重大性を判断すべきである。


5 それでは、非嫡出子という地位は14条後段の列挙事由にあたるのだろうか。思うに、非嫡出子という地位は、社会においてある程度継続的に占める地位にあたるため、「社会的身分」に相当すると考える。したがって、相続に関して非嫡出子を特に嫡出子と別にあつかう民法900条4項但し書きの目的について、その目的が正当であり、かつその目的を達成するための手段が必要最小限のものであることを要する厳格な意見審査基準を用いるべきである。これによれば、民法900条4項但し書きの立法目的は、法律婚制度を維持するという正当な目的を有するものであるということができる。しかしいくらその目的が正当であったとしても、当の非嫡出子にとっては、父母が適法な婚姻関係にあるかどうかはまったく偶然なものであり、本人の意思や努力によっていかんともしがたい差別であるという他はなく、手段としては極めて不当なものである。


6 したがって、民法900条4項但し書きは合理的な区別であるとはいえず、14条1項に反するというべきである。



 平等権を論じる際には、まず「法の下の平等」の意味と、1項の前段と後段の関係を説明した上で、前段と後段とでそれぞれ違う違憲審査基準を使うのがやりやすいかと思います。前者は合理性の基準、後者は厳格な違憲審査基準(必要最小限説)をとってみました。

事例問題にチャレンジ☆

今日は、記述式問題の書き方について勉強します(ノ´▽`)ノ


<問題>裁判所による謝罪広告命令は、19条の思想良心の自由に反しないか?


1 裁判所による謝罪広告命令は、19条の思想良心の自由に反しないか。19条は、思想良心の告白を強制または推知されることからの自由として、19条は沈黙する自由を保障しているかどうかが問題となる。


2 沈黙の自由は、表現の自由の消極的な表れであるとして21条の表現の自由によってのみ保障されるという立場がある。しかしそれでは、国家権力が個人の思想良心を知ることによって、それに圧迫干渉を加える虞がある。したがって、国家権力による思想良心の告白強制や推知は、19条の思想良心の自由に違反するものであると考えるが、ここで思想良心とは何かが問題となる。


3 19条の思想良心の自由における思想良心とは、物事の是非や分別を含む人の内心作用一般を広く含むとする内心説がある。しかし、単なる事実認識のような、思想良心の自由が保護する個人の人格形成活動とは無縁な内心の活動を19条によって保証してしまうと、思想良心の自由の価値そのものを希薄化してしまう虞がある。したがって、良心は思想の内面化であり、信仰に準ずる世界観・主義・思想を全人格的に持つことこそが、思想良心の自由の意義であると考える。


4 以上のことから、国家権力によって、個人が信仰に準ずる世界観・主義・思想を全人格的に持つことが犯された場合、その国家による行為は19条思想良心の自由を侵害するものと考えることができる。謝罪広告の掲載を裁判所によって強制されるというのは、個人が信仰に準ずる世界観・主義・思想を全人格的に持つこと、すなわち思想良心の自由を犯すことにあたるのだろうか。


5 この点謝罪広告判例では、謝罪広告を新聞紙上に掲載すべきことを裁判所が命じても、命じられたものの公表事実が単に虚偽でありかつ不当であったことを発表することにとどまっているため、その者の倫理的な意思や良心の自由を侵害するものではないとして、謝罪広告命令は19条に違反しないものと判事している。したがって、裁判所による謝罪広告命令は、19条の思想良心の自由に反しないと考えるのが相当である。



 思想良心の自由の問題でした。麹町中学内申書事件、三菱樹脂事件判例などをみておくと、事例問題に対応しやすいと思います。本問では、謝罪広告事件を例としてあげておきました。



<問題>①教義による剣道科目不受講での退学処分は信教の自由に反しないか?②また、公立高校がそのような状況を回避するために、代替措置を講じることは政教分離原則に反しないか?


1 信教の自由は、その信仰が内心にとどまる限り絶対的に保障される。しかし加持祈祷事件判例において判事されるように、その信仰が外部的表現として現れる場合、他者の権利や利益を現実に侵害してしまう虞があるため、13条の公共の福祉によって、一定の内在的制約に服するものと考えられる。当該事案においては、退学処分が13条の公共の福祉による内在的制約にあたるといえるかどうかが問題となる。


2 もっとも信教の自由は13条の公共の福祉による制約を受けるとはいえ、精神的自由権の中核をなすものであるということができ、したがって信教の自由に対する制約の違憲審査基準は厳格に解するべきである。具体的には、信教の自由に対する規制目的が政党であり、さらに規制の手段が規制目的に対して必要最小限であることを要する(LRAの基準)。


3 事案において、剣道の授業は生徒の健全な心身の発達を促すという教育目的を考えて正当なものであると考えるが、その手段として必要最小限であるといえるかについては、例えば剣道を受講しない代替手段として、レポートを貸すとか他の体育科目を履修させるなどといった手段が考えられるため、退学処分という生徒に対するきわめて重い処分が、生徒の心身育成という目的達成のための必要最小限の手段であったとは言いがたい。したがって、教義のため、剣道科目不受講による退学処分は、20条の信教の自由に反するものと考える。


1 次に、代替措置は政教分離原則に反しないかということについて、津地鎮祭事件判例は、国家と宗教との係わり合いを完全に分離することは現実的には難しいとの理解を示した上で、政教分離原則は国家が宗教に対して中立であることを要求する以上、国家が宗教と係わり合いを持つことがまったく許されないわけではなく、そのような係わり合いをもたらす行為の目的と効果を具体的に検討することで、その行為が政教分離原則に違反するかを判断するものとしている。同判例では、①国家の行為の目的が宗教的意義を有し、②その国家の行為の効果が特定の宗教に対して援助・助長ないしは抑圧するものであれば、その国家の行為は政教分離原則に違反する(目的効果基準)ものと判事している。


2 以上のような目的効果基準に事案をあてはめると、①この事案における代替措置というのは、教義によって剣道が受講できないために単位が認定できないという事態を回避するために、他の代替措置を講ずるということは学校教育における単位制度というシステム上の問題を避けるための手段にすぎず、②その効果に関しても、代替措置を受ける生徒と他の生徒を評定面において平等に扱うことで生徒間に不平等感を生じないように配慮することによって、特定の宗教に対して援助助長することにはならないと考えることができる。
3 したがって、公立学校が代替措置を講じることは、政教分離原則に違反するものではないと考えられる。



 次は信教の自由です。有名な判例は牧会活動事件、オウム真理教解散命令事件、津地鎮祭事件、愛媛玉ぐし料訴訟事件、内閣総理大臣公式参拝訴訟事件、神戸高専原級留置退学処分事件判例などがあります。この問題は、神戸高専の事例をつかって作ってみました。信教の自由にはLRAの基準、政教分離には目的効果基準を用いて解答してみましたが、どうでしょうか?



<発展問題>政教分離原則のみを理由として、裁判所に訴えを提起することはできるのか?


1 政教分離原則のみを理由として、裁判所に訴えを提起することはできるのか。政教分離原則違反について裁判所による救済が求められるか否かについては、政教分離原則の性質が問題となる。


2 この点、政教分離原則を人権規定と捉える立場がある。しかしそもそも政教分離原則とは、国家に対する禁止命題であるため、人権規定とするには具体的な内容が不明確であり、したがって政教分離という客観的な制度そのものを保障するもの、すなわち制度的保障であると考える。


3 裁判所によって訴訟が可能なのは①法律上の争訟、②法律において特に定めがある場合(例、住民訴訟)であるため、以上のように政教分離が単なる客観的な制度であるとすれば、単なる政教分離違反の事案には、侵害された個人の人権を救済するといった、事件性の要件が欠けることになる。内閣総理大臣公式参拝訴訟事件判例では、内閣総理大臣の靖国参拝は政教分離原則に違反しないかという訴訟があったが、裁判所は具体的な権利侵害がないとして、訴訟を棄却した。


4 したがって、政教分離原則違反のみを理由として裁判所に訴えることはできないが、例外として①強制の契機、すなわち現実に人権侵害が生じている場合や、法律によって特に定めがある場合には、訴えが可能であると考えることができる。


 政教分離には、それを人権と捉える考え方と、客観法規定と捉える考え方があります。法律上の争訟というのはどういうことかといいますと、要するに「違憲判決うんぬん以前に、この訴訟によって誰かの権利を救済することになるの?」という、事件性を問題とする概念です。事案について考えると、たとえ総理大臣が靖国を参拝するからといって、それによって誰かが具体的な権利を侵害されるのかっていう議論ですΣ(・ω・ノ)ノ!

憲法復習(表現の自由)

引き続き復習編ですヽ(;´ω`)ノ



表現の自由

表現の自由の内容

表現の自由の優越的根拠(経済的自由権と比較して)は、個人の人格の形成のための自己実現と、民主主義の涵養をめざす自己統治のためである。またその内容は、①情報提供県、②情報受領権、③情報収集権である。情報収集権は、情報を獲得しようという積極性の点で情報受領権とは異なり、情報収集を公権力によって妨げられない自由権的側面と、公権力に対して情報の公示を求める請求権的側面を有し、前者を消極的情報収集権、後者を積極的情報収集権と呼称する。

二重の基準論

表現の自由は重要な精神的自由権であるが、絶対的に無制約なのではなく、公共の福祉による必要最小限の制約を受ける。その制限の違憲審査について、精神的自由権は、個人の人格の形成発展に関わる自己実現の側面と、それが侵害されることによって民主制に瑕疵を生じる自己統治の側面があり、政策的判断が要求される経済的自由権の場合と異なり、裁判所の判断に問題がない。したがって、表現の自由の合憲性は、経済的自由を制限する場合よりも厳しく審査すべき。

<小売市場事件>

 経済活動の自由には精神的自由の場合と異なり、一定の合理的規制措置を講ずることが可能。

事前抑制の禁止

事前抑制は、①表現が公表される前にそれを抑止するものであり、国民の知る権利を奪ってしまうこと、②手続き的保障がないため、濫用の虞があること、③抑止的効果が事後規制の場合より大きいことなどを鑑み、表現行為に先立って公権力がそれを抑制することは原則禁止とする。

明確性の原則

表現の自由を規制する立法の文言は明確でなくてはならない。なぜなら、①当該法律が恣意的に濫用されてしまうこと、②不明確な法文の存在は、表現行為に萎縮的な効果を生ずるためである。具体的には、通常の判断能力を有する一般人の理解を基準に、違憲審査を行うべきである。

(通常の判断能力を有する一般人の理解を基準にする<徳島市公安条例事件>において判事)

LRAの基準

規制立法が正当で、かつ規制手段が必要最小限であることを求める。

猥褻表現について

<四畳半襖の下張>

 性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、描写の全体に占める比重、表現された思想と描写叙述の関連性、文章の構成展開、芸術性や思想性による性的刺激の緩和の程度、主として読者の好色的興味に訴えるものかなどで判断するとしたが、個人差が大きいように思える。

<チャタレイ事件>

 芸術性を理由に、猥褻性が否定されるとする相対的猥褻概念を否定した

<悪徳の栄え事件>

 相対的猥褻概念を肯定した(文章全体との比較で判断している)

検閲とは何か

検閲とは何か。その主体対象時期が問題となる。歴史的に表現の自由の侵害者は行政権であることが多く、それを防止する必要があるため検閲の主体は行政権である。次に検閲の対象であるが、これは単なる事実と思想との区別が困難であり、その対象を仮に思想としてしまうと、思想と区別される表現内容の審査を許してしまうことになるため、検閲の対象は表現行為一般をさす。そして検閲の時期だが、表現の自由は「表現を受け取る自由」をも含むため、受領前に行政権がその内容を審査してはならず、従って検閲の時期は表現物の受領前であると考えるのが妥当である。

(ポルノ税関検査事件が、主体と対象について上と同様の趣旨の立場に立って判事している)

<ポルノ税関検査事件>

検閲の禁止は絶対的禁止である。211項から事前抑制の法理が導かれるのにも関わらず、2項であえて検閲を禁止したのは、①検閲は国民の知る権利を全面的に奪うものであり、②行政権による濫用の危険があることに鑑み、公共の福祉による例外はないことを規定しているためだ。

税関検査は検閲か

判例は、税関検査は検閲にはあたらないとしている。その理由として、①税関は関税の確定徴収を主な任務とするもので、思想内容の規制を独自の主な任務とするものではないこと、②輸入が禁止される表現物は、国外では既に発表済みであること、③税関検査は思想内容を審査するものではないこと、が挙げられたが、検閲にとって問題なのは行政権が事前差し止めを行うことそれ自体であって、税関の任務が問題となるのではなく、さらに知る権利は国民の権利、すなわち国内問題なので、国外の問題は関係がない。そして、表現物に対し、単なる事実と思想との区別を行うのは困難なので、検閲対象は思想内容に限定されるべきではない。よって、検閲となる。

教科書検定は検閲か

<第一次家永教科書事件>

 教科書検定制度は、一般図書としての発行をなんら妨げるものではないため、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がなく検閲にあたらないとした。学説でも合憲説が多数説であるという。

北方ジャーナル事件

名誉権に基づく出版差し止めの仮処分は、検閲にあたらないか。まず教義説によれば検閲主体は行政権であり、裁判所はこれにあたらない。では、その処分は事前抑制禁止の法理に反しないのだろうか。表現行為に事前抑制がなされると、これにたいする国民の判断の機会を完全に封じてしまうため、表現の自由に対する侵害は甚大であること、また事前抑制は行政権による濫用の危険性があることから、211項から当然に事前抑制の法理が導かれる。しかしプライバシー権や名誉権を侵害する表現がいったん公表されてしまうと、かかる権利の回復は著しく難しくなるため、事後的な救済手段で不十分である。思うに、事前差止めが行政権を主体としてなされる場合とは異なり、裁判所が私人の申し立てによってなすそれは公正なほうの手続きによってなされているため、厳格で明確な用件の下において、事前抑制の禁止にも一定の例外が許容されるべきである。北方ジャーナル事件判例では、実質的要件として、①その表現内容が真実でなく、それがもっぱら公益を図る目的ではないことが明確であり、②被害者が重大で著しく回復困難な損害を被る虞がある場合、当該事前差止めが検閲にあたるとして違憲判断を行うべきと判事した。また手続的要件としては、原則として表現内容の真実性などの主張の機会を与えることとした。

青少年保護育成条例事件

条例で有害図書の自動販売を禁止することは検閲にあたらないか。店頭での販売は規制されないのだから、検閲にはあたらない。では、事前抑制禁止の法理には抵触しないのか。思うにその規制の目的が正当であり、かつ規制が必要最小限度のものであれば、例外的に許されると解する。しかるに①有害図書は青少年の健全な育成を阻害し、②自販機による有害図書の販売は心理的に購入が用意であることや、昼夜を問わず購入できることなどから購入意欲を刺激しやすいことから、これを規制する目的は正当である。また自販を廃することによって、成年者に対しての有害図書の流通を阻害することになるが、これは有害図書を青少年に流通させないための必要やむをえない措置であるといわざるを得ない。したがって、有害図書の販売禁止は211項に反せず。

憲法復習(思想良心の自由編)

憲法の復習をやります(;´Д`)ノ



思想良心の自由

<公権力との関係>

思想良心の自由の公権力との関係において、判例(麹町中学内申書事件)では、内申書の記載は、記載者の思想信条を推知できるものではなく、またそれを高等学校の入学者選抜の資料に供するものでもないとして、19条の思想良心の自由に反するものではないとした。

<私人間との関係>

 判例(三菱樹脂事件)は、労働者の雇用にあたり、企業側が労働者の思想信条を調査し、関連事項について申告を求めても、私的自治における契約自由の原則に鑑み、違法ではないとした。

思想良心の意味

19条の思想良心とは、物事の是非分別を含む内心作用一般であると考える内心説がある。しかしそのように、単なる事実認識のような、人格形成活動と無縁の内心活動を19条によって保証すれば、思想良心の自由の価値を希薄化してしまうため、「良心」は「思想」の内面化であり、信仰に準ずる世界観・主義思想を全人格的にもつことであると考える。また思想良心の自由は内心的精神活動の自由であるため、それが内心にとどまる限り、公共の福祉による制限を受けない。

沈黙の自由

思想良心の告白強制や推知からの自由として、沈黙する自由は29条によって保障されるのか。沈黙の自由は、消極的な表現の自由として、21条によってのみ保障されるという考えがあるが、それでは個人の思想良心が国家権力によって知られることによって、それに圧迫干渉が加えられる虞がある。したがって、国家権力による思想良心の告白強制や推知は、19条に違反するものと考える。ただし、単なる事実の知不知に関わるもの(ex証言拒絶)はその保障の範囲外である。

謝罪広告は19条に反するか

裁判所による謝罪広告命令は、19条の思想良心の自由に反しないのか。19条は沈黙の自由を保障するかが問題となる。(沈黙の自由の論証)。思想良心の意義は何であるかということについて、「良心」は「思想」の内面化であり、信仰に準ずる世界観主義思想を、全人格的にもつことであろう。とすれば、謝罪広告は特定の思想信条をもつことについての謝罪を求めるものであり、19条に違反する。この点判例(謝罪広告事件)では、謝罪広告を新聞紙上に掲載すべきことを裁判所が命じても、その者の公表事実が虚偽かつ不当であったことを発表するにとどまり、その者の倫理的な意思や良心の自由を侵害するものではないとして、謝罪広告命令は19条に違反しないと判事した。したがって、かかる謝罪広告は、19条の保護する思想信条にはあたらない。

ポストノーティス命令は19条に反しないか

判例は、ポストノーティス命令の「深く陳謝する」などの文言は、同種の行為を繰り返さない胸の約束文言を強調する意味を有するに過ぎないため、そもそもその内容が思想良心の自由にあたらないとした。また、法人に思想良心の自由を認めないとするのが通常である。

信教の自由

信教の自由の内容

内心における信仰の自由

この自由は、積極的信仰の自由、消極的信仰の自由、積極的信仰告白の自由、消極的信仰告白の自由を含む。それが内心にとどまる限り、思想良心の自由と同じく絶対的保障である。

宗教的行為の自由

2項の「宗教上の行為」は、1項の「信教の自由」と同義であって、3項の「宗教的活動」より広い。したがって3項の宗教的行為に当たらなくても、2項の「祝典、儀式、行事に参加強制されない」ことを理由にそうしたものへの参加を拒否しても、国家はそれを強いることはできぬ。

宗教的結社の自由

団体を設立し、また宗教団体に加入する自由、加入しない自由がその内容である。

信教の自由の制限

信教の自由は内心にとどまる限り、19条の思想良心の自由と同じく、絶対的保障である。しかし信仰が外部表現として現れる場合、他者の権利や利益を現実に侵害してしまうおそれがあるため、13条の公共の福祉によって、一定の内在的制約に服する。ただしその違憲審査基準としては、信教の自由が重要な精神的自由な中心となるため、表現の自由の場合と同じく厳格な基準が適用されるべきである。(規制目的が合理的であり、その手段が必要最低限度であること)

<加持祈祷事件>

宗教行為として行われたものであっても、生命や身体を加害する有形力の行使については、信教の保障の限界を逸脱していると判事した。

<牧会活動事件>

 牧会活動は外面的活動であり、公共の福祉による制限を受けるが、内心的信仰の自由をも侵してしまうおそれがあるため、その制限には慎重な配慮を有する。その活動が個人の魂への配慮から出た行為である限り、全体として法秩序の理念に反することはないと判事した。

<オウム真理教解散命令事件>

 宗教法人の解散命令は信教の自由に反しないかという問題について、①解散命令は団体信者の精神的側面に容喙する意図を持たず、もっぱら世俗的であり、また②教団は法令に違反し、著しく公共の福祉を害したこと、そして③解散命令によって団体信者の宗教上の行為が受ける支障は、間接的で事実上のものであるため、当解散面例は必要でやむをえない手段であり、手続きも適正であるため、20条の信教の自由を侵害しないと判事した。

政教分離原則

政教分離原則を人権規定と捉える立場があるが、そもそも政教分離原則とは国家に対する禁止命題であるため、人権規定とするには具体的内容が不明確であるため、政教分離という客観的な制度そのものを保障する制度的保障であると考える。この場合、政教分離違反について裁判所による救済が求められるのか。裁判所が判断できるのは、①法律上の争訟、②法律において特に定めのある場合であり、政教分離が単なる客観的な制度であるとすれば、政教分離違反の事案には事件性の要件が欠ける。したがって、政教分離原則違反のみを理由として裁判所へ訴えることはできないが、①強制の契機があり実際に人権侵害が生じている場合や、住民訴訟(付随的審査制)の場合、地方自治法において「特に法律によって定め」られているので、訴えが可能である。

<津地鎮祭事件>(「宗教的活動」であるかどうかの判断基準)

 政教分離原則は、国家が宗教にたいして中立であることを要求するが、国家が宗教と係わり合いを持つことをまったく許さないわけではなく、そのような係わり合いをもたらす行為の目的と効果を判断することによって、かかる行為が認められるか否かを判断する。具体的には、①国の行為がもっぱら世俗的であること、②国の行為の主要な行為がある宗教を助長援助抑圧するものではないこと、<③国の行為と宗教との間に過度の係わり合いがないこと>、などで判断する。

<愛媛玉ぐし料訴訟事件>

 政教分離原則は制度的保障説であるとした上で、宗教的活動の判断基準を提示。その結果、県の行為は宗教的意義を持ち、効果は特定の宗教の援助助長となるとして、203項違反とした。

<内閣総理大臣公式参拝訴訟>

 内閣総理大臣の靖国参拝によって、具体的な権利侵害がないとした上で、内閣総理大臣の公式参拝は意見の疑いが強いとしている。(憲法判断回避の準則から考えて、余計なリップサービス)

<神戸高専原級留置退学処分事件>

退学処分は信教の自由に反しないか?

公立高校が代替措置を講じることは政教分離原則に反しないか?

信教の自由は内心にとどまる限り、絶対的保障だが、その表出による他者加害を考えた場合、公共の福祉による内在的制約に服するべきである。ただし信教の自由は精神的自由権の中核をになうものであるため、制約に対する違憲審査基準は厳格にする。具体的には、規制目的が正当であり、規制手段が必要最小限のものであること(LRAの基準)を必要とする。剣道の授業は生徒の心身発達という教育目的から考えて合理的だが、規制の手段としては代替手段によっても可能であるため、剣道不受講を理由とした退学処分は20条信教の自由に反して、違憲である。

 国家と宗教との係わり合いを、完全に分離することは非現実的である。しかし過去の歴史への反省から、その分離の程度は厳格に規定すべきであろう。すなわち①国家の行為目的がもっぱら世俗的なものであり、②その効果が宗教にたいする助長援助抑圧をなさず、③国家と宗教との間に過度な係わり合いがないことを要する。しかるに代替措置は、生徒の単位不認定を回避する世俗的目的に基づくもので、その効果も他の生徒と平等に扱うことで特定の宗教に対する援助助長とはならず、また生徒の信仰の内容については介入せず、生徒の主張を一般的に概括して捉えることで、宗教との間に過度な係わり合いを持つものとはいえない。したがって、たとえ代替措置を講じることがあったとしても、それは政教分離原則に違反するとはいえないものと考える。