片付かない部屋のアトリエ -6ページ目

memo1(2011)

Project BLUE 地球SOS (2006) アミューズソフトエンタテインメント・AT-X・メモリーテック・IMAGICAイメージワークス・東芝エンターテイメント・ジェンコ


Cowboy Bebop (1998) サンライズ・バンダイビジュアル


ノエイン もうひとりの君へ (2005) メディアファクトリー・東芝エンターテイメント・サテライト・ランティス・バンダイチャンネル


STAR DRIVER 輝きのタクト (2010) アニプレックス・バンダイナムコゲームス・ボンズ/スクエア・エニック/電通・毎日放送









人工知能

(ケータイメールからの投稿)


人工知能の研究には意味がある。人間の知能を解明する研究、人間により近い道具の研究(音声認識のカーナビゲーションシステム等)。

しかし、人工知能の研究によって人と見分けのつかない人工物が完成することに意味はあるのだろうか。

私は法の研究に端をはっし、人間個人の認識、社会(政治、歴史)の構造などの知識を集める必要性を感じた(未だその収集はまったく充分ではないし、ほとんどが研究が発展途上の分野のようだ)。


人工知能の研究は、人(のメカニズム)とはどのようなものか、認識の研究、言語についての研究、身体機能についての研究などなど、において具体的で有意義な一定のアプローチを鮮明にしてくれる効果があると(人文学分野を科学的に再開拓する効果だとも)思っている。


しかし、その完成自体には革命的な意味はないと思う。人と同じならもはや人であるていう議論は横に置くとしても。

仮に人権のない人工の知能が生まれても、
[未記述]
奴隷の再出現
異文化との再遭遇

でしかない気がしている。どちらもかつて経験したものだ。
[未記述]


[未記述『攻殻機動隊』冒頭の模倣とわかるような文言を↓]
団体や身体が消えてなくなるほど、情報化していない未来。

なら。

死刑制度

朝日新聞の10月16日の夕刊3面(3版)


ニュースがわからん!(ジュニア版ワイド) 死刑、なにが問題なの?

という記事を読みました。


やはり議論のベクトルは大抵同じ。学生同士の議論でも同様の論点や議論になる(傾向にある)。

学生が議論するときでも、あたかも絶対的な答えが存在する問題であると仮定して話す人がいたりします。


記事内の1983年の基準というのは、いわゆる「永山基準」(一種の判例法)のことです。ちなみに光市の件以降、欠缺あるときは死刑回避から欠缺がなければ死刑と流れが変わったとされます。


※項目すべてに合致しなければ死刑を執行してはいけない→項目に合致したら死刑を避けられない、の両者は大きく違います。前者の場合は全てに合致したとしても執行しなくてもいいのです。


1)憲法では残酷な刑罰を禁止しており、死刑は残酷の刑罰に当たると解することもできる。その場合、違憲となる。


2)裁判に誤りがあった場合、被告が死亡すると、当人(死人)が不法行為による損害賠償請求ができない。


3)国家が国民の生命を奪うことは、社会契約上矛盾している(自殺にあたる)。


等々、、、 記事では1と2を反対理由に挙げています。(記事では「間違いがあったとき取り返しがつかない」と表現していましたが、死刑でなくとも間違いがあれば取り返しがつくことはないと私は思っていますし、間違いに対して謝罪と保障によって取り返せていると考えるのは驕りだと思います。)


朝日新聞の記者も死刑に対して非常に曖昧な表現をしていますし、日本では議論が不十分であり議論を深めていくべきだと結んでいる当人が議論をするための土壌を荒し乱していると感じました。これが一般人同士だともっと曖昧で抽象的で観念的になっていきます。


もっと書きたいこともありますが、いったん事で終わります。いっきに書いたので、内容に間違いや不十分なところがあるかもしれません。