片付かない部屋のアトリエ -7ページ目

政治の話

ツイッターのTLが検察の問題で賑わう、


でも、法学部の学生はあまり冷やかさないみたいで、


私自身もこの件に関する政治的文脈のリテラシーが足りず、

騒いでいる素人(合理性を重視しない一般の人)の批判は、ノイズが多すぎるて意味がわからない。


しかし、私は人が人を裁ける理由を万人が腑に落ちるように説明する術を持たない。
根本的な思想が構築中な身であり、口を閉ざすしかない。

口を閉ざすべきなのに、
それでも溢れる思考はうまく処理しきれないよ

戦争映画

フルメタルジャケットを見る機会がありました。


冒頭部分の訓練パートが有名な帰来がありますが、本編は後半です。


前半の訓練が肥大したせいで全体のバランスは『映画』としての構成的美しさは失われていますが、それを含めての演出でしょうか。


兵士達の会話は『ブラックラグーン』を連想しました


狙撃手戦は『攻殻機動隊SAC』(確か2ndGIG)のサイトーの回を連想しました。攻殻のアニメと映像的に似たカットが多いので、おそらく戦争映画好きな人に向けた仕掛けだったのでしょう。



やはり、私は非常に視野が狭い。


いや、視野自体は普通かもしれないのですが、知識が足りないのです。


視野の狭さと知識の乏しさは必ずしも同じことではありませんが、

自分が考えていることをすでに先人の先生方が断片的ですが、発表されています。


現在、その先生方の発表の裏づけが可能になりつつあります。私はそれを知らなかった。



それでも、政治の議論は学級会レベル(アラカジメ職員会議である程度骨子と見通しが決定されている会議)


しかし、文化を最大限度肯定する私の立場では、例えばの話、死刑制度の是非が根回しによって整えられた多数決制度によって決定されようが、肯定してしまいます。


それが、私の立場の問題点ともいえます。正義(絶対的な概念)の存在を否定してしまうのは、政治学には不向きなのでしょうね。それでも私は絶対的な概念は相対的にありえないと言ってしまいます。


私自身の思考自体のイメージは、自分が自動車に乗りながら他の自動車の速さを相対的に測定する感じです。自分の速さを知るのも他の動いているものを見て相対的に判断します。


キリスト教の影響下にある思考の多くは、地球は絶対的に静止しているもので、その静止した大地の上から自動車の速さを計測するようなイメージです。


もちろん、私も地球の動きを無視したりすることはあります、いつも考慮に入れるのは割りにあわないからです。それでも自分がいる地点(もしくは父がいる地点)は絶対だと考えることがありません。


たぶんですが、、、この思考を公言すると無神論者として非難されてしまいそうwww