オノレの筋肉を過信して

出掛けた東京都美術館・・
こちらでは3月29日(日)まで
【
新印象派 光と色のドラマ 】が開催されています
2013年の「印象派を越えて―点描の画家たち」(国立新美) 以来の新印象派展です
あの展覧会は、オランダのクレラー=ミュラー美術館の所蔵品が中心だったこともあり、
フランスからベルギー・オランダへと点描の
広がりを実感した観覧でした
本展では、新印象派前夜から20世紀の新たな展開へと続く、約20年間の新印象派の
流れが分かりやすく紹介されています
会場の所々には、実用書などのコラムのように「Scene 1(~12)…」と表題をつけて、折々のトピックスを載せた小さなパネルが掲げられていました
それは頭の中で映像となり、作品の背景理解に深みを与えてくれました
◆プロローグ 1880年代の印象派
1880年、印象派展への出品をやめて初の個展を開いたクロード・モネ…
「…1880年6月、画廊で・・その会場では16才のポール・シニャックがモネの作品を見つめていた。(Scene1より)」
ここにはモネとギヨマン、技法探求中の初期のスーラ、そしてスーラ達新印象派の画家を応援したピサロの作品が展示されていました
◆第1章 1886年:新印象派の誕生
サロン・ド・パリ(官展) へは出品しない(しても落選) 画家達が、1874年に第1回目ののちに印象派展と呼ばれた展覧会を開いてから10年を越え 、
考え方の相違などから出品する顔ぶれも変わっていきました
「…1886年6月、カフェ・リシュにて・・第8回印象派展へのスーラとシニャックの作品の出品の是非を巡る議論がされていた。(Scene3より)」
この、印象派展として最後の展覧会で、スーラの「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」を人々が、そして画家達が目にしなかったら…
その後の絵画史が少し違ったかも知れません
(コレ↓・展示は有りません)
そのジョルジョ・スーラの大作、「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」のための習作が4点ありました
キチンとビッシリというわけでは無かったですが、小さな習作といえども一応大きめのテンテンテン…
この作品のために30の素描と40の習作を描いたそうです
「…1886年、メゾン・ドレ(黄金亭)・・2M × 3M超の「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」は、人々の嘲笑と賞賛の渦の中に有った。(Scene4より)」
◆第2章 科学との出合いー色彩理論と点描技法
絵の具を色の点として置いていくことで絵の具の明るさを最大限に引き出すという、革新的な色彩表現をもたらした新印象派ですが、それは科学的な理論に裏打ちされています
この章は、画家達の試行錯誤や技法確立のための探求に関する展示でした
72色からなる色彩環を作り上げたシュヴルールの《色彩の同時対照の法則》(1839年刊)や、
オグデン・ニコラス・ルードの《近代色彩論》( 1879年刊)といった、
いわばスーラの参考書でもある本も並んでいます
スーラとシニャックの使用したパレットが展示されていたのですが、油彩画家の物とは思えない綺麗さでした
彼らは、パレットの上で色を混ぜるのではありません
純粋な色の小さな点を注意深く配置していくことにより、それらは視覚の上で混ぜ合わされ、更により鮮やかさを感じられるという・・
絵を見ればそらそーよなんですが、混色は無くグラデーションで並んだ色たち…
パレットなのに、なんかジッと見つめてしまいました
◆第3章 1887年-1891年:新印象派の広がり
「…1887年2月、ベルギーにて・・スーラから「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」を20人会に出品してもらえることになり、レイセルベルヘは満足していた。(Scene6より)」
新印象派の技法は、印象派展が終わっても、自由出品のアンデパンダン展やベルギーのレ・ヴァン(20人会)への出品、オランダへはヤン・トーロップを通じて広がっていきました
アルベール・ディボア=ピエの《セーヌ川の岸辺 ヌイイ》(1886年頃 個人蔵) がスモーキーで良かった…
ピエは職業は軍人で、なおかつアンデパンダン展の開催に尽力した人だそうです
《ルーブルとカルーゼル橋、夜の効果》
マクシミリアン・リュス 1890年 個人蔵
今回コチラを観られたのが一番嬉しかった…!
夕方から夜に変わる空の繊細な光と、セーヌの川面に落ちる人工的な光と…本当に素敵です
キャプションには「海辺の夕暮れや夜の風景を良く描いているが、本作はとりわけ優美な作品」となってました(大体ね)
この素敵さは、点描技法でこその作品…魅入ってしまい、動くのやめました
《髪を結う女、作品227》1892年 個人蔵
「…1891年4月、スーラのアトリエで・・リュス、フェネオン、シニャックの3人が前月亡くなったスーラの作品の目録を作っていた。シニャックは、ふと見上げた大作「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」の色が少し褪せているように見え、同時に不安になる。(Scene7より)」
何故不安になったのか?
シニャックは、自分の作品も色褪せるのか、そもそも永久不変の色彩など有るのか?と考えるんですね
なんたって、色の輝きを持続させたいのが新印象派ですし
この作品は蜜蝋画です
(蜜蝋とは、蜜蜂の巣を溶かし精製した透明な蝋のことで、顔料に混ぜて使う)
蜜蝋は固まると殆ど変質しないために長い年月を経ても変色しないそうです
以前テレビで観ましたが、ルーブル美術館に有るミイラの棺に描かれている絵、これは蜜蝋で描かれているために2000年近くたった現在でも鮮やかに色彩が残っているとか
蜜蝋はすぐに硬くなるので、熱を加えながら素早く描く必要があって、点描画では物凄く根気が必要・・・
実際、あまりの大変さに、蝋画の作品はこれきりで終わり~

絵のモデルはシニャックの恋人でのちに妻になりましたが、永遠の愛と永遠の色彩の実験的な作品なのか…
なんて事を考えつつ眺めていました
《ポール=アン=ベッサンの外港、満潮》
ジョルジュ・スーラ 1888年 オルセー美術館
ポール=アン=ベッサンはノルマンディーの小さな漁港です
お気に入りの場所だったようで、この港の絵は6点有るそうです
少し高いところから描いているようなこの絵、とても静かな印象を受けました
手前の揺らぐ草や空や水面の描写、小さな人々やヨットの動き…
真夏の昼下がりだそうですが、点描により全体がまどろんでいます
スーラは晩年、現存は少ないですが額に彩色をしていて、この作品もそういう額に納められていました
見る人と絵を間を埋める…そんな気持ちだったらしいですが…
どれだけ点描よ…根を詰めすぎて命を縮めたんでは・・
(死因は違うらしいけど)
《マリア・セート、後のアンリ・ヴァン・ド・ヴェルド夫人》
テオ・ファン・レイセルベルヘ 1891年 アントワープ王立美術館
左からの光の当たる様子やドレスのベルベットのような質感が素晴らしいです
点描でこれか…いや点描だからか…などなどと見つめていて、人とぶつかりまくりました
(密集地帯だったので

)
レイセルベルヘはこの作品のマットの端に点描を施していました (他作品にも有りました)
◆第4章 1892年-1894年:地中海との出合いー新たな展開
スーラが31才の若さでなくなり、新印象派の牽引役はシニャックとなりました
シニャックはサン=トロぺに移り住み、そこにリュスなどが訪れたようです
マクシミリアン・リュスの《サン=トロぺの港》(1893年 個人蔵) は、青とオレンジが溶け合い、南仏の明るい光を感じられる作品でした
◆第5章 1895-1905年:色彩の開放
スーラの点描は凄く細かいものでしたが、そのあとに続く画家達は次第にタッチの幅を大きくしていきました
確立された色彩理論に忠実でなくなり、
また、見たままを描くことからも自由になっていきます
この章は、強い色彩とモザイクのような大きめの筆触によって、装飾性の高い作品が並んでいました
アンリ=エドモン・クロスが多かったです
《マントンの眺め》(1899年-1900年 個人蔵) などは、色使いは現実離れしているし、点描…いや、モザイクが1㎝角というものもあり、抽象画ぽいなーと…
◆エピローグ フォーヴィズムの誕生へ
「…1904年、ラ・ユヌ荘・・シニャックに招かれたアンリ・マティスが、サン=トロぺへ (Scene12より)」
《日傘の女性》
アンリ・マティス 1905年 マティス美術館
フォーヴの代表的画家のマティス、彼はサン=トロぺで新印象派の画家達と親交を深め、点描技法を試みました
更にその規則性から自らを開放し、原色の強烈な色彩や大胆な筆触といった、独自の表現による力強い作品が生まれていったのです
《 コリウール港の小舟》
アンドレ・ドラン 1905年 大阪新美術館建設準備室
原色ですねー
まるで極太油性マジックで描いたような…

しかし、開放された後期の新印象派の流れがしっかり感じ取られます
ドランはマティスと共に、フォーヴィズムを牽引した画家です
フォーヴは更にディフィ

などに繋がっていくわけですね
緻密で化学的理論を駆使した点描技法から、
明るくて、心で感じた色彩を重視する自由な表現へと繋がっていったという不思議・・・満足しました