いつか…ユデタマゴ -9ページ目


「初詣」も終わった東博へ キラキラ
東洋館を横目に、今回は本館1階の特別5室です

【特別展みちのくの仏像

この展覧会は、東日本大震災からの復興を願って開催されています
東北6県から東北を代表する仏像が集められました

東北の「三大薬師」と言われる仏像や、千年に一度と言われる大地震に二度も遭った仏像、まだまだ丁寧な造りの時期の円空仏など、
全部で19点(26躯) の仏像が素朴な祈りを伝えてくれています


音声解説のナレーションは薬師丸ひろ子さんでした
絵画展では滅多に借りませんが、こういった展示はキャプション以上の物語も興味が有るので400円をお支払い~~




《聖観音菩薩立像》重要文化財
平安時代・11世紀    岩手・天台寺

まずお出迎え頂いたのは、あまり見たことのないような仏像でした

顔・腕・手以外は鑿跡がはっきりと残されています
殆ど同じ幅の横向きの彫り跡で、背中側は薄く前面はくっきりと、これがまた美しくて見飽きません
東北鉈彫(なたぼり)仏の最高傑作と言われているそうです

天台寺からはもう一体出品されていますが、両方とも十和田山の噴火を鎮めるためのものと言われています




《薬師如来坐像》国宝
平安時代・9世紀 福島・勝常寺

両脇侍立像の、日光菩薩・月光菩薩とともに展示室の最奥にどっしりと構えられていました

観た瞬間、白鵬関の体にナカジの顔!と思うスポーツ脳・・
ま、モヒカンではなかったですけどねー(アタリマエ)

欅の一木造りで胸板が厚くボリューム満点の体つきです
一方表情は柔らかく、口元には可愛らしささえ…(私見です、なんたってナカジ…)


8~9世紀の僧徳一の創建と伝えられる勝常寺には、奈良時代の仏像が12体も安置されているとか…  
この《薬師如来座像》は衣のヒダの仕様や金箔・漆の使い方などが都風のことから、奈良仏師の手による作と言われています…




《十一面観音菩薩立像》重要文化財
鎌倉時代・14世紀 宮城・給分浜観音堂

290㎝もある、見上げるほど大きな観音様はカヤの一木造りです
カヤは福島以北には生えないので、出自については、流れ着いたものだとか移設されたものだとか諸説出ているそうです


牡鹿半島の給分浜は東日本大震災の津波被害が大きかった地域です
この観音様は海からほど近いところに祀られていましたが、高台だったために難を逃れられました

造られた当時、対岸の仙台平野の人々は観音像を海の向うの浄土と見立てていました  
そして今、沖に出た人も含めた地域の人々を見守っているのです




《十二神将立像》(鎌倉時代・13世紀 ) (山形・慈恩寺)

奈良時代の高僧「行基」が建てたとも言われる由緒あるお寺、慈恩寺…
ここの薬師堂に安置されている十二神将さま方はカックイーんですよ
(実際見るのは初めてでしたがI)

体高1M弱位でしょうか、とても躍動感のある像達で、格好・装束・そしてそれぞれ個性的なところなど、慶派の仏師の手によるものとされています


慈恩寺がある寒河江は、藤原の荘園が有ったために都の最新の仏教文化が伝わったということなので、いずれ華麗な仏像が造られたのでしょう


ところで展示ですが…
丑神・寅神・卯神・酉神の4神将…

ア、アレ?
一番イケメンの安底羅大将は? (申神将です)

あ、お出でにはならない、と…涙

あー観たかったなー
ウインクしているのですよー
(本当は矢の具合を確認しているところらしいけど)


~ * ~ * ~ * ~


欅や桂、カヤなどの一木造りがポピュラーだった東北の仏像 …

都の洗練されたものとは異なりますが、素朴でおおらかで静かなる迫力に、
心が捉えられること間違いなしですh








オノレの筋肉を過信して しょぼん  出掛けた東京都美術館・・

こちらでは3月29日(日)まで
新印象派   光と色のドラマ 】が開催されています



2013年の「印象派を越えて―点描の画家たち」(国立新美) 以来の新印象派展です

あの展覧会は、オランダのクレラー=ミュラー美術館の所蔵品が中心だったこともあり、
フランスからベルギー・オランダへと点描の広がりを実感した観覧でした


本展では、新印象派前夜から20世紀の新たな展開へと続く、約20年間の新印象派の流れが分かりやすく紹介されています



会場の所々には、実用書などのコラムのように「Scene 1(~12)…」と表題をつけて、折々のトピックスを載せた小さなパネルが掲げられていました
それは頭の中で映像となり、作品の背景理解に深みを与えてくれました




◆プロローグ  1880年代の印象派


1880年、印象派展への出品をやめて初の個展を開いたクロード・モネ…

「…1880年6月、画廊で・・その会場では16才のポール・シニャックがモネの作品を見つめていた。(Scene1より)」

ここにはモネとギヨマン、技法探求中の初期のスーラ、そしてスーラ達新印象派の画家を応援したピサロの作品が展示されていました




◆第1章  1886年:新印象派の誕生


サロン・ド・パリ(官展) へは出品しない(しても落選) 画家達が、1874年に第1回目ののちに印象派展と呼ばれた展覧会を開いてから10年を越え 、
考え方の相違などから出品する顔ぶれも変わっていきました


「…1886年6月、カフェ・リシュにて・・第8回印象派展へのスーラとシニャックの作品の出品の是非を巡る議論がされていた。(Scene3より)」

この、印象派展として最後の展覧会で、スーラの「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」を人々が、そして画家達が目にしなかったら…
その後の絵画史が少し違ったかも知れません

(コレ↓・展示は有りません)

そのジョルジョ・スーラの大作、「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」のための習作が4点ありました
キチンとビッシリというわけでは無かったですが、小さな習作といえども一応大きめのテンテンテン…

この作品のために30の素描と40の習作を描いたそうです

「…1886年、メゾン・ドレ(黄金亭)・・2M × 3M超の「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」は、人々の嘲笑と賞賛の渦の中に有った。(Scene4より)」




◆第2章  科学との出合いー色彩理論と点描技法


絵の具を色の点として置いていくことで絵の具の明るさを最大限に引き出すという、革新的な色彩表現をもたらした新印象派ですが、それは科学的な理論に裏打ちされています

この章は、画家達の試行錯誤や技法確立のための探求に関する展示でした


72色からなる色彩環を作り上げたシュヴルールの《色彩の同時対照の法則》(1839年刊)や、
オグデン・ニコラス・ルードの《近代色彩論》( 1879年刊)といった、
いわばスーラの参考書でもある本も並んでいます


スーラとシニャックの使用したパレットが展示されていたのですが、油彩画家の物とは思えない綺麗さでした

彼らは、パレットの上で色を混ぜるのではありません
純粋な色の小さな点を注意深く配置していくことにより、それらは視覚の上で混ぜ合わされ、更により鮮やかさを感じられるという・・

絵を見ればそらそーよなんですが、混色は無くグラデーションで並んだ色たち…
パレットなのに、なんかジッと見つめてしまいました




◆第3章  1887年-1891年:新印象派の広がり


「…1887年2月、ベルギーにて・・スーラから「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」を20人会に出品してもらえることになり、レイセルベルヘは満足していた。(Scene6より)」


新印象派の技法は、印象派展が終わっても、自由出品のアンデパンダン展やベルギーのレ・ヴァン(20人会)への出品、オランダへはヤン・トーロップを通じて広がっていきました



アルベール・ディボア=ピエの《セーヌ川の岸辺 ヌイイ》(1886年頃  個人蔵) がスモーキーで良かった…

ピエは職業は軍人で、なおかつアンデパンダン展の開催に尽力した人だそうです




《ルーブルとカルーゼル橋、夜の効果》
マクシミリアン・リュス  1890年  個人蔵

今回コチラを観られたのが一番嬉しかった…!

夕方から夜に変わる空の繊細な光と、セーヌの川面に落ちる人工的な光と…本当に素敵です


キャプションには「海辺の夕暮れや夜の風景を良く描いているが、本作はとりわけ優美な作品」となってました(大体ね)

この素敵さは、点描技法でこその作品…魅入ってしまい、動くのやめました





《髪を結う女、作品227》1892年  個人蔵

「…1891年4月、スーラのアトリエで・・リュス、フェネオン、シニャックの3人が前月亡くなったスーラの作品の目録を作っていた。シニャックは、ふと見上げた大作「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」の色が少し褪せているように見え、同時に不安になる。(Scene7より)」

何故不安になったのか?
シニャックは、自分の作品も色褪せるのか、そもそも永久不変の色彩など有るのか?と考えるんですね
なんたって、色の輝きを持続させたいのが新印象派ですし


この作品は蜜蝋画です
(蜜蝋とは、蜜蜂の巣を溶かし精製した透明な蝋のことで、顔料に混ぜて使う)

蜜蝋は固まると殆ど変質しないために長い年月を経ても変色しないそうです

以前テレビで観ましたが、ルーブル美術館に有るミイラの棺に描かれている絵、これは蜜蝋で描かれているために2000年近くたった現在でも鮮やかに色彩が残っているとか


蜜蝋はすぐに硬くなるので、熱を加えながら素早く描く必要があって、点描画では物凄く根気が必要・・・

実際、あまりの大変さに、蝋画の作品はこれきりで終わり~目


絵のモデルはシニャックの恋人でのちに妻になりましたが、永遠の愛と永遠の色彩の実験的な作品なのか…
なんて事を考えつつ眺めていました




《ポール=アン=ベッサンの外港、満潮》
ジョルジュ・スーラ  1888年  オルセー美術館

ポール=アン=ベッサンはノルマンディーの小さな漁港です
お気に入りの場所だったようで、この港の絵は6点有るそうです

少し高いところから描いているようなこの絵、とても静かな印象を受けました

手前の揺らぐ草や空や水面の描写、小さな人々やヨットの動き…
真夏の昼下がりだそうですが、点描により全体がまどろんでいます


スーラは晩年、現存は少ないですが額に彩色をしていて、この作品もそういう額に納められていました
見る人と絵を間を埋める…そんな気持ちだったらしいですが…
どれだけ点描よ…根を詰めすぎて命を縮めたんでは・・
(死因は違うらしいけど)




《マリア・セート、後のアンリ・ヴァン・ド・ヴェルド夫人》
テオ・ファン・レイセルベルヘ  1891年  アントワープ王立美術館

左からの光の当たる様子やドレスのベルベットのような質感が素晴らしいです
点描でこれか…いや点描だからか…などなどと見つめていて、人とぶつかりまくりました
(密集地帯だったのであせる)


レイセルベルヘはこの作品のマットの端に点描を施していました (他作品にも有りました)




◆第4章  1892年-1894年:地中海との出合いー新たな展開


スーラが31才の若さでなくなり、新印象派の牽引役はシニャックとなりました

シニャックはサン=トロぺに移り住み、そこにリュスなどが訪れたようです

マクシミリアン・リュスの《サン=トロぺの港》(1893年  個人蔵) は、青とオレンジが溶け合い、南仏の明るい光を感じられる作品でした




◆第5章  1895-1905年:色彩の開放


スーラの点描は凄く細かいものでしたが、そのあとに続く画家達は次第にタッチの幅を大きくしていきました

確立された色彩理論に忠実でなくなり、
また、見たままを描くことからも自由になっていきます

この章は、強い色彩とモザイクのような大きめの筆触によって、装飾性の高い作品が並んでいました


アンリ=エドモン・クロスが多かったです  
《マントンの眺め》(1899年-1900年  個人蔵) などは、色使いは現実離れしているし、点描…いや、モザイクが1㎝角というものもあり、抽象画ぽいなーと…




◆エピローグ  フォーヴィズムの誕生へ


「…1904年、ラ・ユヌ荘・・シニャックに招かれたアンリ・マティスが、サン=トロぺへ (Scene12より)」



《日傘の女性》
アンリ・マティス  1905年  マティス美術館


フォーヴの代表的画家のマティス、彼はサン=トロぺで新印象派の画家達と親交を深め、点描技法を試みました

更にその規則性から自らを開放し、原色の強烈な色彩や大胆な筆触といった、独自の表現による力強い作品が生まれていったのです




《 コリウール港の小舟》
アンドレ・ドラン  1905年  大阪新美術館建設準備室

原色ですねー
まるで極太油性マジックで描いたような…あせる
しかし、開放された後期の新印象派の流れがしっかり感じ取られます



ドランはマティスと共に、フォーヴィズムを牽引した画家です


フォーヴは更にディフィはーと2などに繋がっていくわけですね


緻密で化学的理論を駆使した点描技法から、
明るくて、心で感じた色彩を重視する自由な表現へと繋がっていったという不思議・・・満足しました蝶々


 


昨夜の記事は一週間前の日曜日の事ですが、それから二日後にやってしまったお話…


レギュラークラスの野球選手ならベンチ入りを悩むレベル


シーズン終盤のサッカー選手なら今季絶望かというレベル


一般人のワタクシは「なんでウチには階段が有るんだよー」と嘆くレベル




ちょおっと、ほんの少ーしジャンプしただけなんです

で、右脹ら脛から異音発生…

ミートがグッドバイしましたyo 叫び




4日間、家庭内歩行など最低限の歩行に留めました!
土曜日のトビカンの初日も諦めました!


痛みも引いたような気がする…と、希望的観測のもと出掛けたのが昨日の日曜日

上野をウロチョロして、少しだるいような気もしつつ普通に歩けていたんだけど…



東博の本館で、刀好きな家族のために「刀剣」室の目玉を確認しようとしたのが間違いのもとでした汗


彫刻室に十二神将が揃っていたので気分アップ

アップついでに2階に上がりまして~

涅槃図だけを観て、さぁ帰ろう!と大階段を下りだしたその時に  再びの異音・・・

   あせるあせるあせる



人の2倍くらいかけて駅までたどり着き何とか帰宅しましたが、しっかり悪化した模様です…

ピッタリしたボトムが入らなかったので、固定を外して出掛けたんですよね…もうバカバカバカ


つーか、その前にカチカチ筋肉をどうにかしておけって事よねー
(筋違えもしょっちゅうです)



片足上げて浴槽に浸からないとならないのと、
コタツで猫に、湿布くさっ!って避けられるのがブルーしょぼん



今日からコタツムリ生活か~~
(え?普段と大して変化無いですか?)


仕方無いのでプロボウル (NFLのオールスターゲームです) 観よ・・  






【四国霊場開創1200年記念 りの道へ―四国遍路と土佐のほとけ―】


最終日の日曜日に滑り込みで観てきました!(あ、先週のね汗)

最近、観たいのに先伸ばししちゃって、ヤバッ終わる!と滑り込む事が多い気がする・・冬だからですわね …
(もちろん夏Ver.もアルマジロ )

更にすぐには書かない、と…
(ジコマンだ、記録なんだ、と思いつつも、書かなければそれすら成り立たないんですがそれは )


~ * ~ * ~


こちらの展覧会は、空海が故郷の四国を辿ったとされる遍路道の中でも、
特にゆかりの深い土佐(高知) の遍路と仏教美術に焦点が絞られているものでした


まずは1階~

◆遍路文化

いにしえから現在に至るまでの、お遍路に関する様々な資料の展示室です


《箱車》(徳島県平等寺)

これは、足の不自由な方が巡礼をする際に中に乗り、人力車のように人が引いて使用したものです

形は時代劇などで見る籠やの籠で、木製にガラスが嵌められています

展示されていたのは大正時代のものでした
ある父親が息子を乗せて遍路道を巡ったところ、その不自由な足が快癒し、御礼に寺に納められたとのことです

整備などされていないであろう、四国八十八ヶ所への道、山道などは地元の方で持ち上げたのでしょう…それもご接待…



◆考古・七星剣・仏画

古いものは弥生時代の鉢や銅矛など、高知県の遺跡や廃寺跡など11ヵ所からの出土品が展示されていました


《 両頭愛染曼荼羅図 》(鎌倉時代・金剛頂寺)

愛染明王と不動明王が一体になった仏画です
珍しいのかな?初めてこういった形の物を目にしました




2階に上がりまして~

◆仏像


《木造地蔵菩薩立像》鎌倉時代  定福寺

みんなニコニコ&大笑い…良いお顔です

像高110㎝超のお地蔵様が六躯、何とも豊かな表情で並んでまして…

いやいやコレハコレハ、などと、何処かのおっさんみたいな独り言を思わず口にしてしまいました汗


珍しい木造の六地蔵で、地元では笑い地蔵と呼ばれて親しまれているそうです

展示が、左を向いている三躯を向かって左に配し、正面向きの三躯を向かって右に配置していたんですね

お地蔵様達に正対して右端に立ったら全員で私を見つめてくれるようで…
(身悶え)


表情は一体一体違っていて、特に4号が睫毛の長い片桐はいりさんにソックリさんひらめき電球

こんなに表情豊かなお地蔵様って有るのでしょうか、とにかく一度観たら忘れられないと思います



《木造大日如来坐像》鎌倉時代  須崎市上分笹野地区

チラシビジュアルになっていました

笹野地区のみなさんでひっそりと守られてきた仏様です
今から5~6年前に、これは鎌倉時代の大仏師運慶の息子の湛慶の手によるものではないか…と話題になりました

涼やかな顔つきと引き締まった体躯は、座高49.4㎝の体を若々しく感じさせます




《菩薩形立像》平安~鎌倉時代  金林寺

ポスターからですが…

こういった破損仏が何体も有りました
上記のはまだお顔が有るのですが、ようやく人形(ひとがた)と判るものも

それでも地元の人々に大切にされ愛されていることは、想像に難くないのです…


土佐のお寺で大切に梱包され東京で展示するまでの、25分ほどのメイキング映像が流されていました

初めて土佐を出る仏様ばかりだそうですが、地域の人々が集まり、暫くのお別れをしている様子は心が暖まります


昨年、藝大美術館で長浜の観音様達を拝観しましたが、破損仏の「いも観音」を観たときの気持ちがよみがえりました






 

日本橋高島屋で、一昨日の2日より開催されている展覧会を観てきました



【 生誕130年 川瀬巴水展 -郷愁の日本風景 】


2013年11月に千葉美術館から始まった、一年に渡る巡回展です
会場ごとにチラシビジュアルは違いますが、こちらは《 日本橋(夜明) 》(昭和15年・東海道風景選集) でした、さすが~


昨年3月に太田区郷土博物館でまとめて巴水を観て、改めて魅了され中なので、東京に来るのを楽しみにしていたんですはーと2


それにしても…
最後の作品ナンバーが NO. 227 です(試摺や写生帖を含めるともっと…)、 なかなかの作品数でございましたあせる



◆第1章は最初期から関東大震災までの作品です
「旅みやげ第一集」「東京十二題」「旅みやげ第二集」「東京十二ヵ月」「日本風景選集」といった連作展示です


「東京十二題」は、東京・新橋生まれの巴水が必ずしも名所旧跡ということに拘らずに、ユニークな構図なども取り入れて写生したものから制作されています


《夜の新川》大正8年 (東京十二題より)

冴えた“藍”の澄んだ夏の夜空…
一方、闇に沈む蔵と蔵の間にはガス燈のあかりが、そこだけほの明るくしています
蔵なのに抒情性を感じます



「旅みやげ第二集」は全28点の作品ですが、それをなんと一年のうちに出版したというものです
殆どの作品に写生した日が刻まれていて、巴水が旅した道程を追体験できるとのこと…


《月明の加茂湖》大正10年 (旅みやげ第二集より)

極限までの暗さに風景が溶け込んでます



《佐渡真野湾》大正10年(旅みやげ第二集より)

日本海側とは思えない澄みきった空に沸く雲の、淡い茜色が何とも言えません…

取材の後半は佐渡が多かったですね



◆第2章は震災から戦中で、失意の中での制作開始です

関東大震災で膨大な写生帖を失い茫然自失の巴水でしたが、版元の渡邊庄三郎に鼓舞され、
震災前から取り組んでいた「日本風景選集」や「旅みやげ第三集」などのために生涯最長の写生の旅に出ました




《 芝増上寺 》大正14年 (東京二十景より)

「東京二十景」は大正13年から昭和5年まで制作した20図の連作です

その中でも有名な《 芝増上寺 》は3000枚も売れたとか…
価値を下げないために渡邊は絶版にしています


同じく《 馬込の月 》(昭和5年)は巴水が住んでいた馬込の田園風景ですが、大きく描いた松に見え隠れする満月が美しく、巴水の夜景の中でも傑作とされています
こちらも2000枚売れたそうです




《 荒川の月 (赤羽) 》昭和4年(東京二十景より)

月の浮かぶ冴えざえとした夜空と眠ったような川面の美しさに心を捉えられます

しかし川のこちら岸に眼を移すと、寝ない子をおぶって歩く女の人や寂れた小屋が描かれています
風景はありふれていても、震災後の心持ちを思うとグッとくる趣です

とても静かでいて、しかし揺さぶられる作品だと思います




《 大阪宗右衛門町の夕 》昭和8年4月

「日本風景集Ⅱ 関西篇」という24図シリーズです

戦後この宗右衛門町の町並みは変わってしまい、この画の趣が消えてしまった今日には、それだけで傑作に数えられるということです

夕暮れに灯る提灯と戸口からのびる灯りとが情緒溢れる画面にしています
連れだって歩く二人がどこか人目を避けているようにも思えてきたりして・・


《 小金井の夜桜 》昭和10年

何だか身近な題材なので…(笑)
桜の木の間に賑やかな花見の様子が伺えます
流れる水の表現や、その水路の先に遠く遠く桜並木が続いているかの雰囲気が良いですね




《 かちどき 》昭和12年

戦争画が2点有って少し驚きました
《明ゆく富士》(昭和17年) といった、陸軍への作品もあって、どういう気持ちで描いたのかちょっと気になったりして



《 朝鮮 智異山 泉隠寺 》昭和15年 (続朝鮮八景より)

こちらも驚き、巴水は朝鮮にも出掛けていたんですね

暗い中から見る営みの切り取り方が良いなぁと…




◆第3章は戦後の作品です
昨年行った巴水展後期展示(戦後分)で観たものも多かったですが、改めてジックリ…


《 五浦之月(茨城県) 》昭和27年

岡倉天心が五浦海岸に建てた、別名「観瀾亭」を描いたものですが、この建物は東日本大震災時に津波で流されてしまっています
(現在公開されているのは再建されたものです)

松から見え隠れする月とその明かりが、空と海を分ける線となって幻想的です
六角堂で思索にふけっていたという天心も眺めた光景でしょうか




《増上寺の雪》昭和28年9月

この作品が出来上がるまでの「順序摺」の様子を、VTRで流していました
版木数42枚です…スゴイネ




東京の風景は、関東大震災や敗戦で大きく変わってしまいました
巴水が黙々と日本の風景を描き続けてくれたおかげで、「こうあってほしい日本」というものを芸術として観られることが出来たのは嬉しいことだと思います




会期も短いし、デパート会場だったから激混みだし、なかなか見終わらなくってヒヤヒヤでした~
第2の目的、駅伝応援(?)に間に合うかどうかで(笑)

人波の頭越しに観られたので良かったです!