“学校に行きたくない”と娘が発言し始めた2学期の始め。




そこから本格的に行き渋りが始まり、1週間は毎日のように行きたくない日々が続いた

2週間後には涙を流しながら訴えてくるようになり、どーにもこーにもわからず途方に暮れて学校を1日休んだけど、

その後はなんとなく登校している日々が続いている。


娘のこと



1週間の様子


2週間の様子



今も、“学校行きたくない”と朝や晩に訴えてはくるけど、

家庭内では私や夫、兄がその気持ちを理解していて、気にかけている。

また担任の先生にもその気持ちが伝わっていて、おそらく温かい目で見守ってくれている。

本人の知らないところでも療育の先生やスクールカウンセラーの先生方がその気持ちを把握してくれている。

私の職場にも伝えていて、もしもの時はおそらく休みが取れたり勤務形態を調整できるという状況を確保した。


それが娘にとってどこまで心強さと結びついているかはわからないけど、1日学校を休み、その後本人とも話をした後からは少しだけ娘の精神状態が緩和されている気がする。


“学校にはこう伝えたよ”

“カウンセリングルームに行っても大丈夫だよ”

“先生もこう言ってくれているよ”

“送り迎えできる日はするよ”

“週末はこんな楽しいことをしようね”

“伝えてくれた不安なことは一つ一つ改善できるところは変えていけるように動こう”

“算数の時間が辛いなら無理に頑張らなくていい、家でのんびり一緒に復習したりしてみよう”

“今気の合う友達がいなくても全然大丈夫”

“あなたはあなたのままでいい”

“それでも辛くなったら学校をお休みする日を作ってもいいと思ってる”


そんな言葉をかけるようになって1週間、今のところ娘は低空飛行ながら動き(登校)続けることができている。


大きな変化は、

こんなに辛いのに頑張って行ってるんだね、と私たちが親身に感じられたこと。

娘の状態を気にかけて、娘が対峙している困難や困りごとに“できて当たり前”のような言葉がけはしなくなったこと

状況が変わるように一緒に考えていこうと伝えられ少しでも動いていること、

もしお休みになっても大丈夫、なんとかしよう

心からそう思えるようになったこと


たったそれだけで今は娘の顔からは涙がなくなっている。


“今”を必死に生きている娘を見つめることができたことは少なからず良い効果を生んでいると感じる。


今の娘は


学校は嫌だけど、明日の○○は少し楽しみ

学校は嫌だけど、○○(学校行事)のためにやらなきゃいけないことがある

学校は嫌だけど、今週乗り切れば週末にこんな楽しみがありそうだ


などものすごくのショートスパンの見通しをもってなんとか踏ん張っている。

そんな娘の姿を見ていて、私自身に“娘が辛いのは今なんだ”という認識がしっかりと芽生えたような気がする。


同時に、まだ言葉足らずの娘のSOSのサインをキャッチするアンテナは少し敏感になったように感じる。


明日どうなるかはわからないし、こんな娘の状態はきっとまだまだ続く気もするけれど、

ぼちぼちやっていこう。


苦しくなったら今みたく周りを頼って吐き出して相談して、娘と共に指針を練り直そう。


愛する娘を改めて見つめ、さらなる愛しさが湧いている今日この頃です。