ヴァージン・スーサイズ(1999)
ずいぶん背伸びして気取って撮った作品だなあというのが第一印象。
フランシス・コッポラの娘ソフィア・コッポラの第一回監督作品で、脚本も彼女自身。
アメリカの郊外にある邸宅。
ジェームス・ウッズとキャサリン・ターナー夫妻と、美しい5人の娘たちが住んでいた。
ウッズは高校の数学教師で、周りからは比較的裕福な家庭のように見え、また、その娘たちは皆美しく、男子たちの憧れだった。
そんなある日、末っ子のセシリアが自殺してしまう・・・
こんな感じのプロローグで始まる本作。
娘の自殺に動揺を隠しきれない両親が、精神分析医を頼る場面などはいかにもアメリカ映画らしい。ロバート・レッドフォード監督の『普通の人々』などが連想される。
残った4人の娘たちが、両親(主に母親)によって学校にも行かせてもらえず自宅に幽閉されてしまうところはどこか神秘的なムードを狙ったようで、ここはピーター・ウィアー監督の『ピクニック・at・ハンギング・ロック』のような雰囲気が漂う。
ダンス・パーティーの場面や、次女のラックスがパーティーを抜け出してフットボールのグラウンドでボーイフレンドと愛し合う場面など、とてもいい映像で心に残るのだが、何よりもいい場面は、幽閉されている少女たちへ男子たちが電話をかけ、受話器からお互いに好きなバラードのレコードを聴かせあうシーン。
ここは、映像センスだけではなく、音楽センスもとても優れていると感じた。
こういった心に残る場面が多くある半面、人物描写が雑になった場面があり、ストーリーテリング的にはまだまだうまくない。
ラックスの初恋の相手である、トリップ(なんと、マイケル・パレが演じていて驚いた)が成人した後に何かの治療を受けていることが示唆されるのだが、気取ってここの説明をバッサリ切ってしまった。
ここはとても重要なシーンだと思うので、じっくり描いてほしかったですね。
ソフィア・コッポラ監督は、あまり具体的に心の動きなどを表現せずに、そのイメージの羅列をメタファーとして用いて散文的な印象を強めようとしたと思われるのだが、どうも舌足らずな感じで惜しい。
映像詩になりきれず、雑記のような感じなのだ。
多分、ミュージック・ビデオなどを制作させたらめちゃくちゃいい作品が作れる人だと思います。
父親のフランシスと比べるのは、彼女の本意ではないところかもしれませんが、端々のほんの細かいところに、影響が垣間見れる部分を感じとれてしまうのが面白いところ。
姉妹の中で一番重要な役どころである、ラックス演じるキルスティン・ダンストがとても綺麗。
『ヴァージン・スーサイズ』The Virgin Suicides(1999)
ソフィア・コッポラ監督 97分
2000年(平成12年)4月日本公開