地獄の黙示録は不完全版の方が好き! | あの時の映画日記~黄昏映画館

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 『地獄の黙示録』は不完全版の方が好き!

 

フランシス・コッポラ監督の『地獄の黙示録』(Apocalypse Now)は、監督の迷いやスケジュール、その他いろんな原因により様々なバージョンが存在しているのは皆様周知の事実でございます。

 

1980年の日本初公開時でさえ、70mm版と35mm版でそれぞれラストクレジットの異なるバージョンが存在していたほどです。

 

その後、オリジナル版(79年制作版をオリジナル版と呼ぶことにする)の時に時間の都合なのかわからないがカットされたフッテージを加えた『地獄の黙示録特別完全版』なるバージョンが公開されました。

 

オリジナルで米軍兵士たちの慰問に来ていたバニーガールたちが燃料と引き換えにウィラード大尉一行に抱かれる場面や、フランス人入植者と一行が出会う場面、ヘリコプターで森を焼き尽くした・ギルゴア中佐のサーフボードをウィラードや部下のランスらと隠してしまう場面、カーツ大佐とウィラード大尉の対話の場面の追加などが追加されています。

 

この中で作品の性質上重要だと思われるのはフランス人入植者と出会う場面のみで、他はわざわざ付け加えることはなかったと思っています。

 

軍から船に送られてくるカーツ大佐の報告書を汗を流しながら読んで、部下に対しても愛想の一つもない無表情のウィラードがこの作品の苦悩を表現していたと思っていたのに、特別完全版でギルゴアのサーフボードを盗んで隠すシーンでは仲間と一緒に笑っているのですからね。

それは違うだろうと思いました。

 

プレイメイトたちがウィラード一行と交わるシーンは、ロケ中の台風でセットがめちゃくちゃになった時に撮影したと思われるので、監督としては思い入れが多いシーンかもしれないが、いらない。

 

ラストのウィラードとカーツが退治する場面。

オリジナルでは常に身体のどこかが影に隠れて決して全身を見せないことで神格化を保っていたと思われるのに、特別完全版では全身バッチリ映っていますからね。

オリジナル公開の時にも賛否両論だったカーツの朗読シーン。

少なくともオリジナルでは何を言っているのかわからないが神秘的ではあった。

のに、特別完全版ではただくどく感じる。

 

わかったようでわからない。

でも、そのわかない人間の闇の奥への旅がこの作品のいいところだったのに、特別完全版では説明的になりすぎて、作品を深く読み進める楽しみがなくなっている。

神秘的でなくなっているのだ。

 

その後に公開された“ファイナルカット版”など、完全に蛇足。

 

地獄の黙示録は不完全のままであるほうが、アメリカの迷いや、偽善、欺瞞、を表現しきれていたと思います。

 

その混乱が私は好きだったのに。

 

因みにすべてのバージョンを劇場で鑑賞しています。

オープニングのドアーズによる『ジ・エンド』、ギルゴア部隊が森を焼き尽くすときの『ワルキューレの騎行』、プレイメイトの慰問シーンで流れるセクシーな『スージーQ』、ドラン川で流れる幻想的な電子音楽。

もちろん、これらのシーンはいずれのバージョンでもカットされることはありません(当然ですが^^)。

作家であるコッポラの迷いと葛藤も垣間見えるのが好きだったから、このオリジナルを『私のお気に入り映画BEST200』の3位という高位置に置いたのにって感じです。

 

『僕のお気に入り映画BEST200(洋画編)』

わかりやすくなった『特別完全版』や『ファイナルカット版』の方が好きな方を私は否定しませんが、個人的な意見と感想はそういうことです。スイマセン。