嘆きのテレーズ(1953) | あの時の映画日記~黄昏映画館

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 嘆きのテレーズ(1953)

 

映画文法というものがあるとするならば、すべての映画は本作をお手本にしないといけないだろう、完璧な映画。

 

日曜日は母親と川辺を散策し、木曜日は仲間を読んで競馬ボードゲームに耽る病弱な夫・カミュと結ばれている妻・テレーズ。

 

カミュの母親は息子を溺愛しており、

テレーズのことは召使のように扱っている。

 

テレーズは夫の愛を感じることもなく空虚な夫婦生活を送っていたところに現れた、夫と正反対のタイプの行動的な男・ローラン。

 

二人はたちまち恋に落ち、

ローランは夫カミュにテレーズと別れるように迫る。

 

カミュはテレーズに二人でパリに旅行をしてその間に関係を修復しようと提案するのだが、内心ではテレーズを監禁して今よりさらにテレーズを束縛しようとしていたのだった。

 

冷静な話し合いができればと応じるテレーズは、パリ行きの列車に乗り込むのだが・・・

前半のここまでは、籠の鳥のようなテレーズの心境に観客は同情し、テレーズとローランの恋の行方を応援するのだが、この列車に乗り込むシーンから作品の様相は一変します。

 

完璧な構成が完成される後半は、一気に心理サスペンスになり、ピンと張り詰めたピアノ線の上を歩いているような不安が常に付き纏う展開に。

 

テレーズとカミュが乗り込んだ列車に偶然乗り合わせた小悪党がテレーズにつきまといます。

 

この小悪党が実に狡猾でテレーズをじわじわと追い詰めます。

 

この作品、登場人物が追いつめられた時の眼の演技が秀逸で、それを捉えるカメラが怖いほど冷たい。

 

(少しネタバレですが)半身不随になって口がきけなくなったカミュの母親がテレーズに訴えかける突き刺すような視線は本作のハイライトともいえるかもしれません。

 

各個人の心の奥底に潜む欲望をかなえるための心理戦。

恋愛の不安が犯罪の不安に変わっていく描写も見事としか言いようがない。

観客も、薄幸の女性テレーズに対する同情心がその変化と同時に変わってくる。

 

細かく積み重ねられた小悪党のセリフ、行動が、ラストの驚きの展開へつながる。

ほんの脇役のホテルのベッドメイクの女性がラストに爆弾を落とすのも作劇のうまさ。

 

主要人物全員が自分の罪を決して認めない。

観客には理解できないが、それぞれ正義の行動をしているつもりなのだ。

 

テレーズを演じるのが・シモーヌ・シニョレ。気怠い表情の奥にある自由への渇望があふれていて凄いです。

 

そして、テレーズと恋仲になっていくローラン演じる・ラフ・ヴァローネも好演ですが、マザコンのダメ夫カミュを演じるジャック・デュビーの怪演があってこそ、この悲劇のサスペンスが成立したのだと思います。実に情けない男です。

 

繰り返しになりますが、

カミュの母親役のシルヴィーの狂気が染みついた眼の演技のすごさ。

 

アメリカ映画だと恐らく説明過多となって、この独特な不安なムードを熟成することはできないだろうと思います。

名監督、マルセル・カルネの名人芸。

ラストの鮮やかさと言ったら・・・

『嘆きのテレーズ』Thérèse Raquin(1953)

マルセル・カルネ監督 102分

1954年4月日本公開