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フェリーニ 81/2シーン主義徹底解説①プロローグは↓↓↓
グイドの滞在する湯治場にやってきた愛人のカルラは、
夫のことを愚痴り始めます。
内心イライラしつつもカルラとの情事を楽しみます。
行為後の気怠い余韻の中、
突然現れる母親と父親。
両親に対しては後悔だらけのグイド。
父親はグイドの手を取り地中へ沈んでいく。
母親は今できることをやるしかないとグイドにアドバイスをして抱擁する。
カメラが回ると、
母親は妻のルイザに変わっている。
全部グイドの妄想と思われるのだが、
カメラワーク、照明、アングル、
どれをとっても一級品で、
このあたりから現実と妄想、
現在、過去、未来が入り組んでくる。
滞在しているホテルには、
出演する作品の役者や関係者などが次々にやってくる。
中にはグイドのコネを利用してオーディションを受けようとする者、
出版物の宣伝をするものまで。
そんな人たちは、
口を開けば、
「脚本はまだですか?」
グイドはいつものように、
「順調です」
これの繰り返し。
イライラ・・・
そこに、プロデューサーまでやってくる。
プロデューサーを交えての関係者たちの食事会。
暗闇の中パッと光がさして現れる魔術師!
さあ、ついてこれるか!
フェリーニからの挑戦状です!
この魔術師は、
人間の考えていることがわかる。
いろいろな人の心理を読み当てるのだが、
グイドの友人の妻である妖艶な女グロリアだけは、
嫌がって心の中を見せようとはしない。
グイドの頭の中は、
「アサ ニシ マサ」・・・?
んっ何だ?
少年時代、
風呂が嫌いで逃げ回るグイド。
無理やりワイン風呂に入れられるグイド。
優しい母親にキスされてベッドに入るグイド。
寝静まったあとに子供たちだけで盛り上がる怪談話。
「アサ ニシ マサ・・・」
シーン主義的に書くと、
このワイン風呂がとても気持ちよさそうなんだよね。
そして子供の頃って誰にでもあるでしょ、
奇妙で不気味な思い出が・・・
落ち目女優の愚痴を延々聞かされるグイド。
たまらなくなったグイドは、
何を血迷ったか電話で妻のルイザを呼び寄せる。
嗚呼、また混乱が始まる予感・・・
グイドは自分の映画について自問自答を続けます。
「ひらめきの危機か?才能もひらめきもない噓つきの末路か?」
カトリックであるグイドは、
枢機卿に答えを求めに行きます。
そこに現れる大女。
グイドは少年の頃に出会った海辺の砂浜に住む女サラギーナのことを思い出します。
見世物小屋へ行くような感覚でサラギーナを見に行くグイド達。
小銭を恵むと、
サラギーナはルンバを踊ってくれる。
時にはグイドを抱き上げて。
プレイボーイのグイド。
この時初めて性に目覚めた。
しかし、
これは戒律を破ることとなるらしい。
神父たちにサラギーナは悪魔だと教えられ、
愛する母親までもが涙している。
ここからグイドは女性に対して畏怖の念とコンプレックスを抱くようになる。
一人でサラギーナに別れを告げに海辺へやってくるグイド。
光る海岸線を見ながら振り返るサラギーナ。
「チャオ・・・」
一番哀しくて美しい笑顔だったかもしれない。
こういった素敵な思い出も、
映画製作者サイドには、
「無邪気さは最大の欠点だ、郷愁に浸された感傷的な思い出は・・・」
と全否定されてしまう。
続く・・・