校歌の広場 -37ページ目

校歌の広場

高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

今回から、長い校歌の紹介を始めましょう。

長い」校歌とは、【歌詞そのものが長い】・【1番、2番…などの番数が多い】・【テンポがゆったり】という具合に分けられるのではないかと思います。

ここでは歌詞と番数に限って、現在でも歌われているものから10校ほど挙げてみようと思います。そのあとに番外編として今は歌われていない校歌からも取り上げようと思います。

 

今回は、京都府の亀岡高校です。

http://www.kyoto-be.ne.jp/kameoka-hs/mt/

 

亀岡市は京都府のほぼ中西部にあり、京都市の西隣に位置します。

亀岡盆地一体の旧城下町で、元は亀山でしたが伊勢国の亀山との区別のため亀岡と改められた経緯があります。

明智光秀の丹波亀山城は、戦国時代の築城の名手・藤堂高虎によって築かれた全国初の層塔型天守を持つ伊予今治城を移築したものという説があります。破風などの装飾部がないシンプルな外観だったそうですが、明治期に破却されてしまい現在は新興宗教の本部施設が設置されています。

亀岡盆地は太古は湖だったといわれ地質学的には今の保津峡が出水口だったようです。

 

明治37年開校の南桑田郡立女学校と大正8年開校の南桑田郡立実業学校を創始とし、それぞれが亀岡高等女学校亀岡農学校となったあと、学制改革で両校を統合して亀岡高校となりました。

校歌は作詞:南江治郎 作曲:山田耕筰で、昭和26年制定です。

亀岡高校 (全2番)

 丹波路に 丹波路に 咲くやこの花 春の色

 あゝ われらの生命 またもゆる

 丹波路に 丹波路に 截るやこの峰 夏の雲

 あゝ われらの希望 またたかし

 おゝ千年の 父祖の里

 春 爛漫の 夢に醒め 秋や久遠の 知に燃ゆる

 真理の集い 自由の天地

 われらの母校 あゝ亀岡高校 あゝ母校 亀岡高校

 

2番は「丹波路に…吹くやこの風 秋の園、丹波路に…立つやこの霧 冬の道」と、全体で四季を通じた亀岡の風景を歌っています。

おお千年の父祖の里…」以降は1番と同じです。千年とは出雲大神宮のある千年山や出雲大神宮そのものが千年宮の別名があることに関連するのでしょうか。

出雲大神宮は丹波国の一之宮で、有名な出雲大社と同じく縁結びにご利益のある神社です。どちらも大国主大神を主祭神としていますが、どちらがどちらに勧請したのか(どちらが先にあったのか)はよく判らないそうです。

いずれにしても亀岡のあたりは縄文・弥生時代頃から他地域との交流が盛んで、渡来人による農業や蚕糸業が行われていました。

2番に霧が出てきますが、亀岡は”霧の都”とも言われるように晩秋から初春にかけて盆地特有の霧が発生しやすく、丹波霧と呼ばれる深い霧は周囲の山から見下ろすと雲海のように見えるそうです。

 

亀岡高女の校歌は作詞:廣瀬待郎 作曲:山田耕筰です。旧制学校の校歌の制定年は不明です。
旧制 亀岡高女 (全2番)
 水いさぎよき保津の川 夕日輝く安行山
 清きは我らが心なり 高きは我らが望なり

 

亀岡農学校の校歌は作詞:田中常憲 作曲:佐々木すぐるです。
旧制 亀岡農 (全1番?)
 愛宕の山の山麓  保津の流れに潤へる
 広き平野に地を占めて 聖の天皇の御教訓を
 朝な夕なに仰ぎつつ 学ぶ我等の意気高し

 

今回は、鳥取県の倉吉北高校です。

https://www.kurayoshikita-h.ed.jp/

 

倉吉市は、鳥取県の中央部に位置する町です。日本海に面しているように見えますが、沿岸には北栄町や湯梨浜町がありギリギリで面していません。

鳥取県下では第三の人口を有し、市街地はやや内陸の倉吉盆地の中にあります。JR山陰本線も倉吉市街を通るため海沿いからこの付近で大きくカーブしています。

打吹山の麓にある打吹公園は、さくらの名所など数々の都市公園100選にも選ばれた山陰有数の都市公園です。近くを流れる玉川の川沿いは、江戸時代から続く倉吉藩の商業地区として栄えたところで”白壁土蔵群”が残る伝統的建造物群保存地区となっています。

 

学校は昭和36年創立で、倉吉駅の北に開校しました。校地のすぐ西を天神川が流れています。

校歌は作詞:有福友好 作曲:大橋博で、制定年は不明ですが、開校初期でしょうか。
倉吉北 (全3番)
 遥かに遠き 山脈の
 明けゆく空に光あり
 繚乱の花 照り映えて
 松柏の学園に若人が
 希望にもゆる この朝

 

2番「波波伎の学園に集ひきて…」の”波波伎(ははき)”は伯耆(ほうき)の古名で、倉吉市は伯耆国の最東部に当たります。学校の近くに波波伎神社があり、伯耆国の由来となったのではないかという説があり特に「波波伎の学園」と強調したものでしょうか。

 

高校野球では、昭和50年春を皮切りに春4回と夏6回の計10回甲子園に出場して6勝を挙げています。

昭和50年代中盤が全盛期で、昭和54年春はベスト8、56年春はベスト4と6勝全てがこの時期に集中していますが、近年はなかなか勝ち星に恵まれていません。

他にはバスケットボール部が県の強豪で、女子はインターハイの常連校です。

今回は、神奈川県の高浜高校です。

平塚市は神奈川県の中南部、太平洋の相模灘に面する町です。
東は相模川(河口付近では馬入川とも)、西は湘南平と呼ばれる丘陵がありますが、概ね平野が広がっています。
湘南地域では早くから商工業都市として開け、戦前には航空工廠や海軍工廠といった軍需産業で栄えましたが、終戦1ヶ月前の平塚空襲で焦土と化してしまいました。
日本三大七夕祭りのひとつに列せられる湘南ひらつか七夕祭りは、戦争からの復興祈願祭りから発展したもので今や来場者150万人ともされる平塚市の一大行事ですね。

学校は昭和9年に平塚実科高等女学校として開校し、昭和18年に平塚市立高等女学校と改称しました。
平塚市高女の校歌は、作詞:武田祐吉 作曲:信時潔で昭和18年制定です。
旧制 平塚市高女 (全3番)
 暁開く 窓の辺に
 ふりさけ見れば 富士の嶺は
 峰の白雪 まさやかに
 明けはなれゆく 天地の
 光を ここに集めたり
 見よ 純潔の雪の色

学制改革で市立高浜女子高校となりましたが、神奈川県はGHQの影響が強く、昭和25年に共学化を実施して高浜高校となりました。県立移管は昭和34年です。
しかし、当初数年は男子生徒が入学したものの定着せず昭和28年から実質女子校となっている状態でしたが、平成5年から男子生徒の受け入れを再開しました。それでも現在の男女比率は1:2の割合で女子生徒が多いようです。
校歌は平塚市高女のものを、昭和27年に作詞者に依頼して一部改訂したものとなりました。
旧校歌の1番を2番にそのまま移したのは、高女の精神を受け継ぐためのようです。
高浜高校 (全3番)
 命の泉 満ち溢れ
 花咲き匂う 高浜の
 学びの園は 生き生きと
 今立ち上る 平塚の
 町の栄えを 現せり
 立て、永遠の喜びに

今回は、島根県の出雲高校です。

出雲(いずも)は、国引き神話ヤマタノオロチなどの古代神話の里として知られ、出雲大社・須佐神社・稲佐の浜・日御碕・宍道湖など自然や歴史文化に富む地域です。
その名を冠する出雲市は、島根県の中東部に位置する日本海に面する町で、松江市、鳥取市に続く山陰地方第三の人口を擁しています。

学校は明治36年創立の島根県女子師範学校を源流とし、明治40年に今市高等女学校が師範学校に併設開校しましたが一旦廃校となりました。
大正9年に再び今市高女として開校、この年が創立年とされています。その後、学制改革で共学の出雲高校となって現在に至ります。
出雲高校の校歌は作詞:竹友藻風 作曲:長谷川良夫で昭和26年制定です。
出雲高校 (全2番)
 翠色濃き 鷹の沢
 久徴園に 鳥啼きて
 松吹く風の さやかなる
   われらの出雲
 懐しき 学びの舎の友垣よ
 仰げ 仰げ 正義と真実の 
 光あまねき この舎を

作詞者の竹友藻風氏は、主に大阪や兵庫の学校の校歌を作っています。同じ出雲市内の旧制大社中学校大社高校の校歌も作詞されました。

今市高等女学校の校歌は、作詞:奥原碧雲 作曲:小豆澤利之助で大正12年制定です。
旧制 今市高女 (全3番)
 桜の木かげ 萩がもと
 夕日に映ゆる 鷹の澤
 久徴園の まどゐをば
 いかで忘れん 忘るべき

今市高女、出雲高校に共通して出てくる「鷹の沢」は学校の所在地名(出雲市今市町鷹の沢)、「久徴園」は学校内の東側にある丘陵と庭園の名前です。
久徴園は出雲高校のシンボルで、大正8年に平田駒太郎氏によって植物園として整備され"平田植物園"と命名されました。四季折々の草木が繁り、様々な鳥が観察できる様から「翠色濃き鷹の沢、久徴園に鳥啼きて…」と歌われています。
出雲大社という知名度の高い名勝を近くに控えながら、両校とも校歌にはその影も形も見当たらないのが興味深いところです。

高校野球では、平成28年夏に初出場を果たしましたが残念ながら初戦敗退でした。

このところ私生活面で多忙になってきているため、更新が少なくなると思います…ご了承くださいませ。
今回は、東京都の八丈高校です。

八丈島は本州の南の太平洋に浮かぶ伊豆諸島に属する大小2つの島です。
距離で見れば東京から仙台や名古屋までとほぼ同じで、アクセスは航空機か連絡船での渡航です。
アシタバが特産品で島内では常食され、別名"八丈草"とも呼ばれています。健康食品のほかアイスクリームや飲料水にする他、サプリメントなどにも使われています。

学校は昭和23年に都立園芸高校八丈分校として開校し、2年後に独立して現在に至ります。昭和30年に明大八丈島高校を吸収合併してからは八丈島唯一の高校となっています。
校歌の作者は不明ですが、制定は独立と同時の昭和25年です。
八丈 (全2番)
 八丈富士に 真向かいて
 理想も高く 三原山
 真理の道を 辿りゆき
 独立自主の 旗風に
 自ら励み 鍬を振る
 われらの 八丈高等学校

八丈富士三原山は八丈島を象徴する山です。特に三原山は度々噴火することで有名ですね。
園芸高校の名残からか現在でも園芸科があり、「鍬を振る」と歌われていますね。

部活動では、吹奏楽部が都大会で何度も金賞を受賞しています。