今回は、長野県の飯山高校です。
https://www.nagano-c.ed.jp/iiyama/
飯山市は長野県の最北部に位置し、日本有数の豪雪地帯にあります。
スキーリゾートやトレッキングで有名な斑尾高原への玄関口で、飯山城址は桜の名所でもあります。斑尾高原は夏は避暑地、冬はウィンタースポーツで人気があり、温泉も湧いています。
学校は、飯山市下の飯山北・飯山南・飯山照丘の3高校を完全統合して新規開校しました。
開校年が古いところから紹介しましょう。
飯山北高校は明治36年創立の長野県中学校飯山分校、後の旧制飯山中学校を前身としています。
校歌は作詞:足立鍬太郎 作曲:上田文三郎で制定年は不明ですが、明治から大正期の間と思われます。
飯山北高校 (全1番? 全4番?)
甲斐の高嶺に降る雪は 融けて溢れて父となり
飛騨の深山に置く露は 落ちて集いて母となり
流れ相い合う犀千曲 末は越路に行く水の
勢い猛く嵩増して 四つの郡の中を衝く
早瀬綾どる川舟の はつるはここと飯山に
設けし教えの中にわを 踏み分くる身は彼方なる
高社山も此方なる 綱切淵も及びなき
高く深かる親の恩 師の御恵を戴きて
共にぞ修むる人の道 互に励む学びの業
朝な夕なに習い得て 国に尽くさん時を待つ
塵の世界は風荒く 浮世の海は波高し
されど鍛えし身の舟に 徳の帆を上げ知恵の舵
取りて進まばその風も その荒波も物ならじ
矢よりも早き三年を いかで空しく過されん
緑色濃き高社 山はいよいよ神さびて
立てる姿を写すなる 千曲の川に行く水は
永久に流れて空ひたす 越の海とぞなりぬなる
飯山北高校の校歌は以上ですが、1番だけという記述と4番に分かれているという記述がありどちらが正解なのか判然しません。1番のみなら日本最長はここということになりますが…
「四つの郡の中を衝く…」は、北信地方を形成する更級郡・埴科郡・高井郡・水内郡の4つを指すと思われ、千曲川は飯山市から新潟県へ抜けていき信濃川となります。
飯山南高校は大正10年に下水内高等女学校として開校、大正14年に飯山高等女学校と改称し学制改革で飯山南高校になりました。
旧制飯山高等女学校の校歌は作詞:高野辰之 作曲:福井直秋で昭和4年制定です。
旧制 飯山高女 (全3番)
進みてやまぬ 教をば
絶えず 千曲の流れに見
とはに搖がぬ 啓示をば
常に 高社の山に見て
少女我等は学ぶなり
名も飯山の此処にして
飯山南高校の校歌は作詞:土屋現勲 作曲:月岡弘一で、制定年は不明です。
飯山南高校 (全3番)
霞立つ 緑の真洞
朝霧の もみづくれなゐ
貫きて 一筋の川 流れたり
千曲川 とよみ流れて 遠白し
雲井 立ち湧く
飯山照丘高校は、飯山南高校の定時制として昭和36年に照丘分校が開校、昭和49年に独立開校しました。
校歌は作詞:峯村文人 作曲:月岡弘一で、昭和50年制定です。
飯山照丘高校 (全3番)
風雪に耐ふる樹木の
厳しき息吹きを浴びて
はぐくみし 創造の夢
胸に秘め われら集へり
みすずかる 信濃の奥処
光満つ おお照丘 照丘
上記の3校のうち、まず飯山南と飯山照丘が平成19年に一次統合して飯山高校が開校、平成26年に飯山北と二次統合して完成しました。
校歌は作詞:田井安曇 作曲:佐藤眞で、平成20年制定です。
飯山高校 (全5番)
峡の門の南の方の
走り出のよろしき山は
懐かしき高社山
やすらぎは母の膝なし
若き子を ひたに迎へぬ
おお栄えあれ 飯山高校
「走り出」とは門口、家のすぐそばという意味があるそうですが、一説には山などの地勢が横に低く連なるさまの表現ともあります。「峡の門」は飯山盆地を指すのでしょうか。飯山市の南に高社山があり、校門から見える姿がよろしいと歌っています。
また、5番「百年に桂は育ち、水芭蕉、雪と伴い、新しき首途を迎ふ…」は、統合した3校の結束と統合飯山高校の未来を歌っています。飯山北の校章は月桂樹=”桂”、飯山南は雪の結晶=”雪”、飯山照丘は”水芭蕉”だったことからです。
部活動では、豪雪地帯の学校らしくスキー部があり、アルペン・クロスカントリー・ジャンプなどの競技で優秀な成績を収めています。冬季オリンピックの代表選手も多く輩出している名門ですね。
高校野球では令和元年夏に長野市より北部から初出場を果たしましたが、残念ながら初戦敗退でした。