校歌の広場 -38ページ目

校歌の広場

高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

今回は、山口県の防府商工高校です。

http://www.hofu-ct.ysn21.jp/index.html

 

防府市は山口県の瀬戸内海沿岸部のほぼ中央に位置しています。

周防国の国府が置かれ、中世から周防国の中心地として栄え歴史や文化にも富む町です。

 

学校は防府駅のすぐ南にあり、長らく防府市周辺の商業教育を担ってきました。

昭和4年に町立防府商業学校として創立し、戦中に工業学校に転換したあと戦後に商業学校に復帰しました。このあたりは数日前に紹介した熊谷商の沿革に似ています。県内では徳山商(現・徳山商工高)や岩国商も同じような経歴を持っていますね。

旧制時代の校歌は作詞:安倍録郎 作曲:岡村操で、昭和6年制定です。
旧制 防府商 (全4番)
 紅梅郁る酒垂の 社仰ぎて書をよみ
 桑野の桜に武士道の 精神鍛ふ我が健児

 

紅梅薫る酒垂の社…」は防府天満宮境内にある酒垂神社を指しています。

防府天満宮は菅原道真が大宰府に赴く途中で寄った防府・松崎の地に創建された、”日本最初の天神さま・天満宮”とされています。早春には菅公の象徴の梅も咲いています。

また「桑野の桜」は、防府市内の桑山(くわのやま)にある桑山公園のことでしょう。

古くは毛利氏が領内に築城するときの候補地、また幕末の戊辰戦争で殉死した御楯隊と整武隊志士の招魂碑があり、公園として整備されて約700本の桜が植えられ防府市のお花見スポットにもなっています。

3番「歴史に輝く防長の、栄ある父祖の熱と血を、受け継ぎ立ちて…」がこの地域の当時の校風を表していますね。

 

学制改革で防府商工高となった直後に旧制中学と統合して防府南高に改称しましたが、昭和28年に商業科が分離独立して防府商業高になりました。工業科は独立前に廃止されています。

校歌は作詞:和田健 作曲:弘中策で、制定年は不明ですが独立後でしょうか。

防府商 (全3番)
 鳩の呼び交う 朝空に
 若き血潮の 虹をかけ
 胸に希望を はばたいて
 たのしくむつむ この窓辺
 あゝ 防府商業高校

 

旧制学校時代から一転して地名などは無く、新日本の希望を歌ったものになっています。

 

平成24年に工業系の機械科を新設したことにより、防府商工高校に改称しました。

校歌は、校名部分以外は防府商時代のものをそのまま受け継いでいます。
防府商工 (全3番)
 鳩のよび交う 朝空に
 若き血潮の 虹をかけ
 胸に希望を はばたいて
 たのしくむつむ この窓辺
 あゝ 防府商工高校

 

高校野球では、戦前の昭和13年春と戦後に春3回・夏2回の計6回、甲子園出場しています。

昭和49年夏は初出場ながら準優勝の快挙、昭和61年春も初戦突破しました。

今回は、千葉県の国府台高校です。

市川市の西部、東京都江戸川区との県境をなす江戸川に臨む国府台地区にある学校です。
下総台地の西端でもあり、奈良時代には下総国の国衙が置かれた場所に比定されています。別名「鴻の台」とも呼ばれていたようです。

昭和18年創立の旧制・市立市川中学校と昭和22年創立の市立市川高等女学校が、学制改革で統合して市川市立国府台高校となり、昭和25年に県に移管して現校名になりました。
校歌は作曲:サトウハチロー 作曲:古関裕而で昭和25年制定です。
国府台高校 (全4番)
 若さをたたえる 緑の丘に
 燦然輝く 松柏こそは
 自由を愛する われらが母校
 謳えよ校風 とどろけ雲に
 おお国府台 おお国府台高校

2番「朝にアルスの森にて祈り、文教山にて夕に願う…」は、サトウハチロー氏独特の言い回しが現れている部分と思われます。
アルスars、ラテン語の"芸術"を意味するとすれば、大正~昭和期の市川界隈には映画館があったり映画のロケ地となったりした他、文学の永井荷風や北原白秋、日本画の東山魁夷など多くの文化人に愛された娯楽の町だったことに由来するのでしょう。続きに「…責務を果たして文化に寄与せん」とあります。
文教山は、国府""が周りと比べて若干高台となっているのを山に見立てたものでしょうか。4番「学舎数ある学園都市に…」とも歌われるように、特に国府台周辺は和洋女子大学や千葉商科大学、以前紹介した昭和学院中学高校、国府台女子学院など古くから学校が多かった文教地域です。

旧制学校はいずれも創立が戦中~戦後と遅かったため、そもそも制定されたかどうかを含めて未調査により不明です。
今回は、香川県の大手前丸亀中学・高校と高松中学・高校です。
大手前丸亀 https://www.otemae.ed.jp
大手前高松 http://www.otemae.net

どちらも中高一貫教育を行う進学校です。
先に創立したのは丸亀校で、丸亀市のシンボル・丸亀城の北の大手町にあります。
丸亀城は生駒、山崎、京極氏の3代が治めた丸亀藩の居城で、丸亀市内の亀山と呼ばれる丘に立つ平山城です。
見所は高石垣でしょう。ひとつひとつは大阪城や伊賀上野城まではいかないものの、反りを付けた石垣が外堀(山麓)から天守(山頂)まで4層にわたって計約60mも築かれ、これは日本一の高さだそうです。
天守は現存12天守のひとつで重要文化財となっており、3層3階と小規模なのは御三階櫓を天守代用にしたものとの説もあります。また、城の北に開く大手門は江戸時代初期まで搦手門(裏門)でしたが、防御性能のために変更されたようです。

丸亀校は明治39年創立の丸亀和洋裁縫女学校を前身とし、学制改革で校地を現在地に移して香川県大手前高校となりました。
高松校が開校してからも校名は長らく大手前高校のままでしたが、平成29年に大手前丸亀中学・高校と改称しました。
校歌は作詞:小川楠一 作曲:佐野覚三郎で、制定年は不明です。
大手前丸亀 (全3番)
 東の 真澄める空に
 影清し 讃岐小富士よ
 朝夕に我等仰ぎて
 向学の意気燃えあがる
 若き友 挙れるところ
 希望あり 大手前学園

高松中学・高校は高松市街の南、栗林公園近くの紫雲山西麓の高台にあります。
昭和32年に大手前高校の高松分校として開校し、昭和48年に独立して現校名になりました。
校歌は作詞・作曲者とも丸亀校と同じで、歌詞も丸亀校のものを一部変更したものとなっています。
大手前高松 (全2番)
 南の はるけき空に
 連なれる 阿讃の尾根よ
 朝夕に我等仰ぎて
 向学の意気燃えあがる
 若き友 挙れるところ
 希望あり 大手前学園

2番「峰山と紫雲の山に、抱かれし北星の湖よ…」は、高松校の環境を歌っています。
"北星の湖"というのは学校のそばにある奥ノ池のことを指すのでしょうか? 風流な響きですが、単なる雅称なのか何か由来があるのかは不明です。
今回は、埼玉県の熊谷商業高校です。

熊谷市は埼玉県北部に位置し、市の北辺は群馬県境に接しています。
関東平野の内陸部にあるため夏と冬の気温差が大きい内陸性の気候を呈します。冬は赤城下ろしが吹くため氷点下になることもしばしばあったようですが、近年はさほど冷え込むことはなくなっているようです。
反対に夏の猛暑が顕著になってきており、国内観測最高気温の記録41.1℃を出すなど猛暑の記録を次々に塗り替える"暑い町"です。
このように猛暑になりやすい原因は、東京都心のヒートアイランド現象と秩父山地からのフェーン現象それぞれで発生した熱風がこの辺りに集まるからだと考えられているそうです。

その暑い町にある学校は、大正9年に町立熊谷商業学校として創立しました。
その後、昭和19年に商業から工業への転換措置により熊谷工業学校に、戦後に商業が復活して熊谷商工学校に、学制改革で熊谷商工高に、昭和41年に商工分離で商業科単独の現校名になりました。
初代校歌は作詞:長谷川昇 作曲:山田耕筰で昭和11年制定です。次の現校歌が制定される昭和35年まで歌われました。
旧制 熊谷商(全3番)
 見よ 黎明の紫の野に
 凛たる 希望の甍は立つを
 秩父秀でて 荒川清き
 熊谷 ま若き 我等が光

ただ、3番は戦時色が濃いため戦後は歌われなくなったようです。
現在の校歌は、作詞:土岐善麿 作曲:平井康三郎で昭和35年制定です。
熊谷商 (全2番)
 関東平野の 北にひらけて
 雲 連山に かがやくところ
 希望の空の 高く明るく
 勤労の道を ひとしく進めば
 ただ平らかに 続く堤よ
 みどりあまねく 風も薫る

 熊谷商業あり ここにわれらの
 自治と歴史を 誇るべし

高校野球では、昭和39、40年夏に熊谷商工、昭和45年夏に熊谷商として甲子園に出場しています。
3回とも勝利を挙げ、ベスト8進出が2回の計5勝と健闘していて校歌が流れたと思われます。
今回は、徳島県の徳島市立高校です。

昭和37年創立の、徳島県唯一の市立高校です。
県庁所在地・徳島市の東部、吉野川河口に近い沖洲の街並みの中にあり、近くには徳島商業高校もあります。沖洲は名の通り、吉野川デルタの堆積作用と埋立でできた地区です。
校歌は作詞:柳正實 作曲:大西亮 編曲:中田喜直で昭和39年制定です。
徳島市立 (全3番)
 潮路はるけく 葦芽は
 萌えて明るき 浅緑
 ああ われら
 ここに汲みなむ 生命の泉
 契りは深し 徳島市立高校

1番の"葦芽"とは、吉野川岸に生えている葦というだけでなく、パスカルの有名な言葉「人間は考える葦である」をも取り入れたものと思われます。
人間の存在は自然界ではむしろ弱い方だが、思考できる点で偉大でもあるという意味です。若い葦は葦芽ということですね。

部活動ではサッカー部が県の強豪で全国大会の常連校で、全国総体ベスト8進出など実績もあります。
徳島市の進学校でもあり、地元の徳島大学をはじめ東大や京大などの難関大学にも合格者を出しています。