明けましておめでとうございます。令和2年も宜しくお願いします。
今回は、岡山県の真備陵南高校です。
http://www.kurashiki-oky.ed.jp/mabi-ryonan-h/
倉敷市真備(まび)町にある学校で、倉敷市の中心地からは高梁川を隔てて西北に10kmほどの盆地状の地形の中にあります。校地のすぐ南には小田川が東流しています。
平成17年に倉敷市と合併する前は吉備郡真備町でした。この周辺は同じ吉備郡から成立した総社市に近く、平成の大合併では総社市との合併の方向で進められていたようですが、紆余曲折あって倉敷市との合併に至ったそうです。
”真備”の名は奈良時代の朝廷で学者・政治家として多大な功績を遺した吉備真備に由来しています。学校の最寄駅も井原鉄道”吉備真備駅”です。
吉備真備はどの教科書でも最初期に登場するので、名前くらいは覚えている人も多いでしょうか。
奈良時代に当地(当時は備中国下道)から中央に進み、遣唐留学生として渡唐、様々な分野の学問を18年かけて学んだあと帰朝、更に再び遣唐副使として留学しています。最初の従八位から最終的に右大臣まで昇りつめた、当代きっての権力者ですね。
地元では「真備公」「真備さま」と呼ばれ、吉備公館址、まきび公園、まきび記念館などが整備されていて偉業を今に伝えていますので一度訪問してみてはいかがでしょう。
平成30年夏の豪雨で町域の30%ほどが水没するなど甚大な被害を受けましたが、徐々に復興の歩みを進めています。
ちなみに、”真備”の使用例は「まび」「まきび」が入り乱れているようです。
真備町や真備陵南高校は「まび」ですが、真備にある2つの中学校や真備公民館は「まきび」と読むそうです。由来からすれば「まきび」なのですが、町名のほうは読みやすいように?という理由で「まび」町になったようです。他に高校名としては、かつて岡山市北区にあった真備高校(現・明誠学院高校)は「しんび」と読みます。
学校は昭和23年に真備町の中心地・箭田に昼間定時制の吉備郡箭田高校として開校しました。その後は母体の組合の名称が何度も変わったあと真備町立となり、平成4年に昼間部・昼間2部定時制の真備陵南高校と改称して現在に至ります。
岡山県内では現在でも全日制教育は県立校、定時制教育は市立や町立の高校が担っているそうです。例えば倉敷工は全日制、倉敷市工は夜間定時制ですが校地は同じです。
箭田高校時代の校歌は作詞:喜志邦三 作曲:宮原康郎で、制定年は不明です。
箭田 (全3番)
友よ 連なる中国の
山の姿に目をあてよ
希望に燃ゆる 雲湧きて
われらの未来に似たらずや
箭田高校に 集まれる
われらの未来に似たらずや
真備陵南高校の校歌は作詞:石部裕士 作曲:山縣武之で平成4年制定です。
真備陵南 (全3番)
連なる青き 山脈の
南に開く 吉備の野に
聳ゆる塔を 仰ぎつつ
努めんわれら 集ひたり
勤勉の実を 求めゆく
真備陵南よ 誇りあれ
箭田高校3番「友よ 歴史にかざられし、郷土真備の花の道、通ひて学ぶ…」と、真備陵南高校3番「いにしへ偲ぶ史の郷」は、偉人・吉備真備を生んだ地としての誇りを歌っているのでしょう。
今回は、新潟県の糸魚川白嶺高校です。
http://www.itoigawahakurei-h.nein.ed.jp/
糸魚川市は新潟県の最西部、富山県との県境に接し日本海に面する町です。
市域全体が糸魚川ジオパークというユネスコ認定の”大地の公園”となっていて、20以上のジオサイトが点在しています。ジオサイトとは、ジオパークを特色づける見学場所や拠点のことだそうです。例としては糸魚川-静岡構造線が通る姫川渓谷や”塩の道”、海岸部では親不知・子不知の険などがあります。
また、有名なところではヒスイ(翡翠)ですね。翡翠は古代の宝石”玉”とされ貴重なものでした。この付近で取れる翡翠は硬玉に分類されたいへん硬いため、加工しにくく原石のまま残っていることが多いようです。
青海川流域で見つかるものは天然記念物のため採取禁止なのですが、海岸部の”ヒスイ海岸”に打ち上げられるものは可能なので一時期ブームとなっていたようです。宝石や鉱物愛好者などによってヒスイ(正確には原石ですが)を探す姿が見られるそうです。
学校は昭和36年に糸魚川高校から商業科が分離独立、同時に工業化学科を新設置して糸魚川商工高校となりました。
平成10年に総合学科に改組、糸魚川白嶺高校と改称して現在に至ります。白嶺はその名の通り学校から望む白馬岳や妙高山などの山々が雪で白く見える様から採ったものでしょうか。
校歌は作詞:堀口大學 作曲:團伊玖磨で、昭和37年制定です。
糸魚川白嶺 (全3番)
白馬の雪に 茜さし
風さやかなり 糸魚川
奴奈川族の 昔より
文化を誇る ゆかりの地
新興 いまや大工都
糸魚川商工時代の2番「われらが学ぶ、商工高」部分を「われらが学ぶ、白嶺高」に変えた以外は変更はありません。校訓の真善美も「…心の糧は真善美」と歌われています。
奴奈川族とは糸魚川周辺を本拠としていた一族で、古事記に登場する奴奈川姫が代表的な人物です。その名残をとどめるのは市内を流れる姫川で、万葉集にはこの川の底から翡翠が取れるという事柄があるそうです。
地元の伝承によれば、奴奈川姫は大国主神と結婚しその子のひとりが建御名方神だそうです。この神は科野諏訪に鎮められて諏訪大社の祭神となっています。
3番「美山に立ちてみはるかす…」は、糸魚川市街南方の美山公園あたりの高台で、ここも桜の名所です。
高校野球では糸魚川商工高校時代に昭和47、48年夏と昭和51年春の計3回、甲子園に出場していますが未勝利です。
全て完封負けを喫している悲運の学校ですが、また出場することがあれば初得点を目指してほしいところですね。
