今回は、兵庫県の市立姫路高校です。
http://www.himeji-hyg.ed.jp/himeji-h/index.cfm/1,html
姫路市は兵庫県南西部、播磨地方の中心都市として栄えている町です。
姫路のシンボルともなっている姫路城は、国宝五城・現存十二天守のひとつで世界遺産に登録されていることもあり、兵庫県の観光地としては年間200万人前後と甲子園に次ぐ来場者数を誇ります。
その特徴は大天守と3基の小天守を櫓で繋いだ連立式天守と呼ばれる天守群や、登城するルートが渦を巻くような?形だというので渦郭式(実際にはこの分類は議論があるようです)平山城ということ、なんといっても平成の大修理で築城当初と同じ「白漆喰総塗籠造」が施されたことにより屋根瓦や格子などあらゆる所が白塗りされて”白鷺城”の名声を高めています。
学校は、旧制ではそれほど多くなかった市立の鷺城中学校として昭和14年に開校しました。
校名のとおり当初は姫路城内の三の丸(現在の桜門近くの千姫ぼたん園のあたり)に校地があったそうです。しかし、昭和20年の太平洋戦争末期の姫路大空襲で校舎は大半消失してしまいました。
この際、姫路城の連立式天守群や二の丸は奇跡的に米軍のレーダーには水面と映り(城の水濠?)攻撃目標から外れたために爆撃から免れ、唯一着弾した焼夷弾も爆発せず不発弾となったため炎上しなかったという奇跡が起こり、ほぼ無傷のまま現在でも優美な姿が残されています。
姫路市街の3/4が焼け野原になってしまったあとも空襲前と変わりなく建つ姫路城は市民の心の拠り所となり、その後の復興を見守ってきました。
学制改革で姫路市立高校に、昭和25年に現校名に改称して現在に至ります。
校歌は作詞:三木露風 作曲:平井康三郎で昭和27年制定です。旧制鷺城中学校時代は校歌といえるものがなく、戦後に正式なものが制定されて現在まで歌われていることになります。
市立姫路 (全4番)
我が姫高は むつみあひ
自由と自治を 重んじて
文化国家の 建設に
斉しく 心を傾くる
1番は学校のあり方や心構えのようなことを歌い、2番になって「天下に響く白鷺城、広峰 増位の深緑、海の景よき播磨灘…」と姫路城や環境が歌われています。
最近、作詞者の三木露風氏が市立姫路高校に宛てた手紙が発見されたことで原稿料や推敲過程が判明したそうです。私はこの原作や推敲にも興味があるので、どこがどう変わったのか知りたいところですね。
https://www.sankei.com/west/news/191025/wst1910250009-n1.html
この校歌が制定される前の数年間は校歌に準ずる”宣揚歌”というものが歌われていました。同校の説明によると、本格的な校歌としてではなくやや気軽に口ずさめるような歌だったようです。
作詞:茶谷敏 作曲:鈴木史朗で昭和24年作成で、どことなく逍遥歌のような体裁です。
市立姫路・宣揚歌 (全3番)
東の空 明け染めて
昇る朝日の 影させば
播磨の野路に 霧はれて
秀麗比なし 白鷺城
清き眺めの その姿
清きは誰が 心ぞや
なお公式HPでは「…播磨の野路の露はれて…清きは誰ぞ心ぞや」となっていますが、校史では「…播磨の野路に霧はれて…清きは誰が心ぞや」と記録されています。
平成元年には、姫路市制100周年及び市立姫路高校創立50周年記念として学校の敷地内に”パルナソスホール”と呼ばれる音楽ホールが開館しました。
今回は、富山県の富山西高校です。
http://www.toyamanishi-h.tym.ed.jp/
県都・富山市の南西部、市街地からは神通川を隔てた旧・婦中町にある学校です。
婦中とは、この周辺が婦負(ねい)郡のほぼ中央にあったことに由来しています。”婦負”とは古来から神通川左岸の大部分を占めていた地域を指し、古代の墳墓や万葉集にも歌われたゆかりある地名です。
その一方、日本四大公害病のひとつ”イタイイタイ病”が多く発生したという不幸な土地でもあります。
イタイイタイ病は、神通川上流の神岡鉱山から未処理のまま排出されたカドミウムが混じった川水が下流域の平野部で栽培されていた穀米や野菜などに蓄積し、それを食べてカドミウム中毒になったと考えられている公害病です。
古くは鉱山が開発された江戸時代から鉱毒被害が発生していたらしき記録がありますが、表面化し始めたのは大正時代、全国に知られるようになったのは公害問題が全国的な注目の的になった昭和30年代頃からです。公害病認定から50年経った現在もこの負のイメージを払拭するための努力が続けられ、再生が進んでいます。
https://www.projectdesign.jp/201406/pn-toyama/001425.php
学校は、大正13年開校の婦負農学校を前身としています。その名のとおり婦負郡の農業に寄与する学校で、校地もJR高山本線の速星駅の近くにあります。
学制改革で婦負高→富山西部高→婦負農業高と変遷した後、昭和45年に婦負高校、昭和51年に富山西高校と改称して現在に至ります。
校歌は作詞:相馬御風 作曲:片山頴太郎で昭和5年制定です。
富山西 (全3番)
みのり豊けき 富山野の
広きが中に 屯して
額にかざす 三ツ柏
勤労自治の 二筋の
目標清き われらこそ
まことの国の 宝なれ
富山西部高校時代に校歌があったかどうかは不明です。
部活動としてはフェンシング部が強豪で全国大会出場の経験があります。