校歌の広場 -24ページ目

校歌の広場

高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

今回から新シリーズとして、高校野球の優勝校を紹介していきたいと思います。
現在の夏の高校野球の原点となる「全国中等学校優勝野球大会」が初めて開催されたのは大正4年(1915年)、春の選抜高校野球の原点「選抜中等学校野球大会」は大正13年(1924年)開催です。
とはいえ昨年までの優勝校全部を紹介するのは時間がかかりすぎるため、まずは学制改革以前の夏の優勝校からにしましょうか。

今回は、京都府の鳥羽高校です。

栄ある第1回優勝は、京都府の京都第二中学校でした。この時は大阪の豊中球場で開催され、参加数も10校とまだ小規模なものでした。
平成27年の第97回大会で100周年となることに合わせ、この時の出場校の後継校が当時のユニフォームで入場行進したのを覚えている人も多いでしょうか。京都二中は「KSMS」でしたが、これは   Kyoto Second Middle School で京都第二中学校という意味ですね。

京都二中~鳥羽高校どちらも甲子園に出場しています。
京都二中時代は春1回・夏3回鳥羽高時代は春3回・夏2回の計9回で13勝を挙げています。大正7年は代表校となりながら大会中止で試合はできませんでした。
平成12年春に鳥羽高校が出場したとき初出場とするか53年ぶりの出場とするか大いに議論があったそうですが、「京都二中の後継校とする」と結論し53年ぶり2回目出場となりました。同年夏も出場したときは54年ぶり5回目となっています。

明治33年に京都府下で2番目の中学校として、京都市下京区西九条に京都府第二中学校として創立、大正7年に京都第二中学校と改称しました。
五重塔で有名な東寺の斜向かい?に位置し、京都一中(現・洛北高校)が学問重視の傾向だったのに対しどちらかと言えば文武両道、スポーツに力を入れていたようです。野球もそのひとつで旧制時代は京都の名門校でした。
校歌は作詞:大井広 作曲:菅原明朗で制定年は不明です。
京都二中 (全3番)
 千古かはらぬ 王城の
 松のひびきを 身にしめて
 鳥羽の健児の 節かたく
 英気は胸に あふれつつ

平安京から千年以上も内裏や御所のあった宮城や松が多く植樹されている京都御苑に近いことを松籟(松風の響き)が聞こえる様で表現し、中世の鳥羽郷、上鳥羽に近いことから二中の生徒を"鳥羽の健児"と呼んだものでしょうか。

京都府下での教育制度は、昭和23年の学制改革までは他府県と変わりませんでしたが、半年後の同年10月に大規模な教育改革ではGHQ主導による"高校三原則"の徹底断行が行わなれました。すなわち「小学区制・総合制・男女共学」です。このうち前2つは京都以外では早期に崩れたのに対し、京都では蜷川府知事の教育指導のもとその後も長らく続いたそうです。
京都二中は昭和23年の学制改革で洛南高校となり高校として新たなスタートを切ったのですが、上記の高校三原則に則った市内高校の再編成により、廃校となってしまいました。
推測ですが、この周辺の学区は京都市立洛陽高校(のち洛陽工業高校)に組み込まれため1高校1学区制の割りを食った形ではないかと思われます。歴史的には洛陽高校が明治19年開校で先だったことが影響したのでしょうか? 一時期、洛南と洛陽は校舎を共同使用していたそうですが洛陽高校に一本化とともに洛南は廃止、という流れのようです。
"京都二中"の跡地には新制中学として併設されていた市立洛南中学校がそのまま使用していました。

一方、昭和10年に京都二中校内に京都府立夜間中学が併設開校し、すぐ京都府立二中夜間中学となったあと昭和18年に上鳥羽中学校として新規開校しました。
昭和23年の学制改革で夜間定時制の鳥羽高校となりましたがこちらも廃校、総合制高校として"新設"された朱雀高校の定時制課程の分校という形で残りました。ちなみに旧京都二中の校地、校舎は全日制の洛南中と定時制の鳥羽分校で分担していたようです。
このように京都二中の系譜は傍流の定時制が分校となりながら細々と命脈を保っていたと言えますね。
鳥羽分校の校歌は作者、制定年とも不明です。
現在は鳥羽高校の定時制課程となり、おそらく校歌もこちらに受け継がれていると思うのですが確証はありません。
朱雀高校・鳥羽分校 (全3番)
 朝 比叡の茜雲 翠に清き加茂川や
 若さ溢るる勤労の 精神ぞ今日の我が力

2番「残照はゆる校舎に…」や3番「鳥羽の夜更けて空高く、北斗の影を仰ぎつつ…」が定時制の色濃い部分ですね。

昭和58年に洛南中学校が現在地に移転と同時期に新設高校設置の動きがあり、朱雀高校鳥羽分校を廃止、校舎を改修したうえで昭和59年に全日制・定時制課程の鳥羽高校が開校しました。
厳密には『京都二中があった場所に新設された高校』が正しいのでしょうが、真偽不明ながら京都府も「京都二中の伝統を継承する学校として設置」と言及したとあります。
現在は学校の公式HPの沿革でも京都二中を正史としているようですし、京二中鳥羽高校同窓会もあるようですね…
学業面でも京大や阪大、関関同立など関西の名門大学をはじめ多くの生徒が進学するなどレベルが高い学校と言えますね。

校歌は作詞:小野茂 補作詞:竹内千代子 作曲:広瀬量平で昭和61年制定です。
鳥羽高校 (全3番)
 松のひびきに 千年の
 都のいぶき なほ新た
 つたふるいのち 胸にしめ
 五層のいらか 仰ぎみる
 先駆の誉れ うけつぎて
 栄ゆくわれら 栄ゆくわれら
 われら 鳥羽高校

松のひびき」が京都二中を彷彿とさせますね。
2番冒頭「あかき煉瓦の学び舎の…」と歌われる、鳥羽高校の象徴のひとつでもある赤レンガ造りの校舎は昭和6年に建設されたそうです。
平成29年に旧京都二中本館(現在は管理棟)が京都府暫定登録文化財に登録され、全体的にネオモダニズム様式が美しい建築物です。

今回は、宮城県の古川学園中学・高校です。

http://www.furukawa-gakuen.ac.jp/

 

大崎市は宮城県の北部に位置し、平成の大合併で古川市と3郡6町が合併して誕生した比較的新しい市です。

ほぼ東西方向に長い市域は西は山形県、北は秋田県に接するまで伸び、中心地の古川地区、温泉や渓谷が多い鳴子地区、伊達政宗の居城だった岩出山城址がある岩出山地区などに分かれています。

 

学校は、その大崎市の中心地・古川の玄関駅でもある古川駅西すぐの交通至便な場所にあります。陸羽東線南側にあるため正面口でなく中里口から行くのでしょうか。

昭和29年に古川商業専修学校として創立、古川高等商業学校を経て高等学校に改組、昭和31年に古川商業高校と改称しました。

教育制度上の高等商業学校(高商)とは旧制の専門学校のうち商業に関する高等教育機関を指しますが、戦後にも一部の学校が名乗っていたことがあり古川高商もそのひとつです。

古川商業高校時代は”男女併学”という少し珍しい制度でした。入試では男女とも募集するものの校内ではクラスや授業は男女別で、部活動や学校行事は合同というような感じだそうです。このような制度があるのは、他には神奈川・桐光学園や奈良・帝塚山中高などがありますね。

平成15年に古川学園高校と改称して現在に至りますが、現在でも”古商”で通じる傾向もあるそうです。平成20年に古川学園中学校を併設して中高一貫教育を開始し、現在は共学となっているようです。

校歌は作詞:樋渡卯左衛門 作曲:海鋒義美で制定年は不明です。

古川学園 (全3番)

 江合鳴瀬の 流れは清く

 稔り豊かな 大崎耕土

 光輝く はてなき夢に

 学び舎開く 古川学園

 

古川商時代は未調査で不明ですが、現在のものと大きくは変わっていないと思われます。

江合川(荒雄川)鳴瀬川は旧古川市の高校ではセットで歌われることが多く、古代からしばしば氾濫して次第に沖積平野を形成し、大崎平野となりました。この地にある”緒絶橋(おだえのはし)”は陸奥の歌枕で、氾濫した川の流路が切れてしまい水が絶えてしまったからとか白玉姫の悲恋に由来するともいわれ、緒絶川の藤棚とともに古川の名所となっています。

こうした水潤肥沃な大崎平野は古来から稲作が盛んで、米の有名ブランドササニシキ」「ひとめぼれを生み出した古川農業試験場もここにあります。

 

古川学園は部活動が盛んで、特に有名なのが女子バレーボール部です。

古川商時代から全国大会通算77回出場、全国制覇12回、平成11年には三冠(春高・インターハイ・国体すべて優勝)を達成するなど、県下のみならず東北随一の名門校でもあります。

他にも吹奏楽部、卓球部なども全国大会入賞を経験するなど輝かしい成績を修めています。

今回は、山形県の東根工業高校です。
現在は閉校しているのでリンクはありません。

東根市は山形県中東部に開ける村山盆地の北に位置し、最上川右岸にある町です。
山形市からさらに北に延伸した山形新幹線の停車駅がある一方、市の西部に山形空港が設置されている交通の要衝でもあり、交通の便が良いことから電子機器や精密機械などの集積地として工業化が進み、山形県内では人口は増加傾向にある地域です。

市域は東部の奥羽山脈から流下してくる数本の河川によって形成された扇状地にあり、山からの伏流水があちこちから地上に湧きだす名水の里として知られています。
日本名水百選にも選ばれた湧水の町は、さくらんぼ、桃、ブドウ、リンゴ、ラ・フランスなどの果樹園が広がる一大フルーツの産地です。
特にさくらんぼは「佐藤錦」発祥の地で、全国一の生産量を誇ります。そのため市の花、さくらんぼ東根駅、さくらんぼ狩り、日本一さくらんぼ祭りなど市を挙げてPRしていますね。

そうしたフルーツの町の学校は、昭和23年に市街地のやや南に東根高校として開校しました。現在の市役所やさくらんぼ東根駅がある周辺は元は農村でしたが、区画整理などで"東根都市圏"として生まれ変わったところです。
当初は普通・商業・家庭の3課程から成る定時制の高校でしたが、昭和32年から全日制工業課程を設置、機械科、電気通信科、自動車科が相次いで設置されています。昭和37年に普通科が廃止されて東根工業高校となりました。
その後、平成26年に村山農業高校と統合した新設の村山産業高校に生徒を転学、東根工業高校は閉校となりました。ちなみに跡地の一部は東桜学館高校が引き継いでいます。
校歌は作詞:高山政夫 作曲:井上定吉で昭和29年制定です。
東根工 (全3番)
 雪かおる 月山の嶺に
 咲きいづる とがくししょうま
 岩が根に 嵐に耐うる
 むらさきの 叡智をもちて
 われらは集う

とがくししょうま」とは日本の固有種"トガクシソウ(戸隠草)"で、戸隠山や月山など本州中北部日本海側の多雪地帯の林中に生育する植物、だそうです。
生育地や開花時期が極めて限られているため絶滅危惧種にも指定されている"幻の花"が、風雪に耐えて春に花開くさまを学生になぞらえたものでしょうか。
3番「きよらなる東根の里、輝やける木草みのりぬ…」は東根市の環境、もちろん種々の果樹園や水稲、豆類、ソバなどが栽培されていることですね。

部活動ではハンドボール部が県の強豪で、インターハイ出場も多かったそうです。

今回は、秋田県のノースアジア大学明桜高校です。

 
県都・秋田市の中心地、秋田駅から真東2kmほどの大平川に近い広大な敷地にノースアジア大学系列の幼稚園・高校・短大・大学が入る総合学園です。
どちらかといえば公立志向が高い秋田県にあって知名度は高いほうと思われ、系列のノースアジア大学や秋田看護福祉大学の他、秋田大学など国公立大学にも進学する生徒もいるようです。
 
昭和28年に秋田短期大学設置とともにその附属として秋田短期大学附属高校が開校しました。
2年後の昭和30年に秋田短大の学歌が制定され、付属高校もこれに準じて歌われていたようですが、この校歌は未調査により不明です
追記:秋田短大の校歌は作詞:西條八十 作曲:小松耕輔です。下記の校歌が制定されるまで歌われたそうですが、「大学」部分を「高校」にしていたのか?という疑問があったりします。
秋田短期大学(全3番)
 若き眸 希望にあふれ
 今日も仰ぐ 鳥海の雄姿
 雲と翔る 高き理想
 花と咲く 好学の情熱に
 燃え立ち あつまる我等
 大学 大学
 ああ 秋田短大の 俊英我等
 
昭和39年に秋田経済大学を設置し、昭和58年に秋田経済法科大学と変遷、その都度附属高校も校名を改称しています。秋田短大が秋田経大になったのではなく併置の形でしたが、平成9年に秋田経法大の短大部として吸収されました。
昭和48年、創立20周年を期に高校独自の校歌を制定したようです。
これが現在の校歌の基になっていて、作詞:弾正洸之介 作曲:飯田三郎です。
秋田経大附、秋田経法大附(全3番)
 朝の風の さわやかに
 太平の峰 輝ける
 ああ向学の 意気高く
 集う若人 眉涼し
 われら 経大附属高
 真理求めて たゆまざる
 
その後、平成19年に学校法人をノースアジア大学に改称とともに秋田経済法科大学をノースアジア大学に、附属高校は明桜高校と改称しました。「ノースアジア」とは『日本の北(秋田)からアジアに目を向けてほしい』という意味が込められているそうです。
令和2年に更にノースアジア大学明桜高校となって現在に至ります。校歌は校名部分以外は基本的には変わっていません。
明桜 (全3番)
 朝の風の さわやかに
 太平の峰 輝ける
 ああ向学の 意気高く
 集う若人 眉涼し
 われら 明桜高校
 真理求めて たゆまざる
 
高校野球では、秋田県の私立で唯一の甲子園出場校かつ常連校ともいえます。
昭和後期から台頭し、これまでに春5回・夏9回甲子園に出場しています。経大附時代に4勝、経法大附時代も平成元年夏にベスト4など4勝を挙げていますが、明桜時代は未勝利です。
昭和56年夏の初出場・初勝利時に誤って秋田経大の校歌が流れて選手や生徒たちは歌えなかったのですが、次戦も勝利して歌えたというエピソードがあるそうです。
他にはサッカー部や女子バスケットボール部が県の強豪として全国大会に何度も出場しています。

今回は、岩手県の軽米高校です。

http://www2.iwate-ed.jp/kar-h/

 

軽米(かるまい)町は岩手県の最北部、北辺を青森県と接する九戸郡の町です。

鉄道は無いものの高速道路(東北縦貫自動車道八戸線)が町内を通っており、交通の便は悪くはないようです。高校はその軽米I.Cの近くに位置しています。

北上山地の北端にあたり、牧場や森林公園といったレジャー施設やヒエ・ソバ・キビなど”雑穀”の生産・普及活動が盛んです。特に”雪谷川フォレストパーク”はダム湖や15万本のチューリップなどで有名だそうです(コロナ禍で閉園していましたが、現在は開園しています)。

かるまい雑穀王国 http://www.town.karumai.iwate.jp/karumai-cereal.html

 

学校は学制改革期の昭和23年に開校し、70年以上の伝統があります。

岩手県では初めて、町内の全中学校と連携型中高一貫教育を開始した学校で、その効果からか東京大学に現役合格者を出した年もあります。また、ある人気バレーボール漫画のモデル校として描かれているようですね。

校歌は作詞:小田島憲 作曲:千葉了道で昭和33年制定です。

軽米 (全3番)

 畳なる山脈 真下におさえ

 仰げば折爪 青雲匂う

 励まむこの丘 われらの砦

 雪谷の清流 心に染みて

 清純香ぐはし 若さに満てり

 

開校後しばらくして校歌作成の機運はあったものの制定に至らずといった状態でしたが、この年に就任した伊藤一男校長の強い要望で急速に作詞作曲が進められたそうです。

9月に行われた創立10周年記念式典で初めて歌われたのですが、病床にあった伊藤校長にとってはこの校歌を聞くのはこれが最初で最後だったそうで翌月に逝去されました。3番「とどろく足調 こだまを呼びて、躍進 軽米、気魄に満てり」は、軽米生の若さ、逞しさ、希望を取り入れたいという意見を体現したものでしょう。

 

軽米町はひなびた山里といった雰囲気ですが、観光と活力のあるこの町も訪れてみたいですね。