校歌の広場 -25ページ目

校歌の広場

高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

前回の続きです。

当日の朝、名古屋まで出て名古屋駅から新幹線「のぞみ」で次の新横浜駅まで1時間強、JR横浜線に乗り換えて図書館最寄り駅の桜木町駅まで20分ほどとアクセスは悪くないです。東京方面からだと京浜東北線で直通1本で行けそうですね。
天気は曇時々雨だった記憶があります。桜木町駅から北方に歩いてすぐの交差点から直交する紅葉坂という通りを10分ほど登れば、目的の神奈川県立図書館です。
紅葉坂はその名の通り、明治初期にこの界隈に神奈川奉行所が開かれた頃にカエデが植樹されたそうです。私が訪れたときはまだ色付いてはいませんでしたが、けっこう急な坂に感じました…

さて、県立図書館に到着したのは開館7分前でした。郷土資料コーナーがあるのは本館のほうではなく新館3階なので新館の玄関前で待つわけですが、私の他に2,3人ほどが並んでいました。新館は元は昭和47年に開館した文化資料館だそうです。およそ50年ものの建物なのですね。
9時の開館と同時に入館、筆記用具やノート、タブレット、『球音』などを別の手提げカバンに入れて早速調査開始です。1日目は金曜日、平日なので9時~19時の10時間フルに利用できます。
神奈川県立図書館は学校史などは開架扱い、つまり書棚に所蔵されているので有り難いです。高校だけで目測200冊は並んでいたと思われます。
申請作業や待ち時間のロスが有るか無いかで効率が全然違ってくるものですからね…ただ、全てがあるわけではないので多少は書庫本閲覧申請はします。
先ほど知ったのですが、私が訪問したときと現在では教育分野の位置が変わっているようです。

休憩や軽食を挟みながら丹念に調べていく作業は非常に根気が要るのですが、それでもこの時間は個人的に楽しく充実していますね。
インターネットで地方に居ながらにして判るのもいいのですが、楽譜・作成のいきさつ・歌われていない校歌などは学校の出版物にしか無いことが多いので、そのあたりも見ています。
この日は…途中までのものの補完を含め100曲以上はコピーまたは書き留めたでしょうか。司書の方々の支援もあって非常に多くが判明できました。
関内駅近くのホテルまで戻り、ディナーを済ませて明日に備えます。調査完了と漏れの見直し、中央図書館で調査するものなどですね。

翌日は晴れ。図書館に行く前に紅葉坂の散策。

坂の途中からみなとみらい21方面を見ると、横浜ランドマークタワーや半月形の横浜グランドインターコンチネンタルホテルなどが一望できます。

2日目も先に県立図書館で調査し、昼過ぎ頃に終わりました。ここから市立中央図書館に向かうには、紅葉坂を登りきったところの五差路?の交差点を南に今度は下って行きます。ゆるいS字カーブで緑が多かったようですが、ここはそれほど記憶がありません…
約5分も下れば前方右に市立中央図書館が見えてきます。外観は茶色で雁木状に見えますが上からの俯瞰だと六角形を多く組み合わせたようなモダンな建物です。
平成初期に移転建設されたそうで、館内は割合きれいです。学校史などは3階のヨコハマ資料コーナーにあり、ここも書棚に50冊ほどはあったと思います。閉館の17時までに20校ほど収集して終了…

今回の神奈川遠征では目標をほぼ達成できたかなと思います。以前紹介したソニー厚木学園のようにかなり前(昭和以前)に閉校した学校は見つかりにくいものですが、探せばあるところにはある、という感じですね。

それぞれの図書館を総括しておきましょう。
神奈川県立図書館 (1回訪問)
アクセスのしやすさ… 桜木町駅から北西に10分ほどです。紅葉坂がある意味難所かも。
所蔵本の充実さ… 郷土資料や学校史は豊富です。意外と学校要覧が充実していました。
所蔵形態など…◎ 校史はほとんど開架されているので時間をかければその分集まるでしょう。コピー可。

横浜市立中央図書館 (1回訪問)
アクセスのしやすさ… こちらは桜木町駅から南西に10分程度。野毛山?丘陵の途中にありちょっとした上り坂です。
所蔵本の充実さ… さすがに県立に比べれば少ないですが、横浜周辺は充実しているようです。
所蔵形態など…◎ 多くは開架です。コピー可。

全容不明は旧制を含め20校ほど、一部不明が10校ほど、制定自体不明な学校も残っています。
今一度行くことができれば、制定年などの再調査なんかもしておきたいですね。横浜市立中央図書館には『日本全国女学校校章校歌集』というのがあるようで、一度目を通してみたいものです。
これまでは東海4県、私にとっては近隣県でしたので日帰りで調査できる範囲でした。
実際この辺りまでは、少なくとも4回以上足を運んで旧制含めほぼ全校近くは収集できたと思います。三重と静岡はあと1回くらいは…と思っているところですが。

それより東、関東地方となると移動距離が長くなり、交通費もかさむので何度でもというわけにはいかなくなります。また学校数も格段に増えるため時間的な制約も大きくなってきます。
なので遠征したのは東京と神奈川だけで、その他となるといつになるか…といった現状ですね。

今回は神奈川県です。
神奈川県の調査を敢行したのは2018年秋でした。
遠征はたいてい観光旅行を兼ねての調査なのですが、今回は観光抜きの1泊2日の調査とし早速宿を手配して事前調査に取りかかります。
神奈川県でこれまでに存在している・していた学校の合計は最大で300校以上くらいでしょうか。首都圏だけあって横浜市や川崎市、他にも比較的人口の多い市を擁するに比例して学校の数もかなり多いですね。
これだけの数ともなると調査も2,3回だけでは済まなさそうですが、そこは現代の利器たるインターネットと『神奈川県高野連80年誌・球音』である程度は絞り込めます。
公立高校の統合が進められたのは2000年代初頭からで、10年後には実に60校近くが閉校、新たに30校ほど開校しています。『球音』はそうした過渡期の直前の1998年発行なので、最大数であろう時代の大半の学校、うち女子校や硬式野球部の無い学校は掲載されていませんが、200校もの校歌(2番まで)を載せている点で貴重ですね。

不明校をリスト化(Excelがあれば…)し、どこで調査するかを選定します。
まず決めたのは神奈川県立図書館。神奈川県最多の蔵書数、郷土資料が豊富な点、事前調査でも目的の学校はほぼ網羅していそうな点で外せないところです。
当初はここだけに集中するつもりでしたが、せっかく2日もかけるならもう少し効率の良い手段がないものかと考え直し、他の図書館を調べていくと…横浜市立中央図書館
横浜市立の図書館でも中核的な位置付けとあればこちらも資料は少なくはなさそう、加えて県立図書館から南の徒歩圏内にある…ならば時間があればこちらも訪問することにしました。
どうやら県立に無くても市立に所蔵しているものもあるようで、あとは時間との闘い。

次回、横浜遠征の思い出に続きます。

今回は、青森県の板柳高校です。

http://www.itayanagi-h.asn.ed.jp/

 

板柳町は青森県の中西部、弘前市の北隣の町です。

津軽平野のほぼ中央に位置し、西には青森県内で最高峰の岩木山を仰ぐことができます。岩木山は「津軽富士」とも呼ばれるように富士山と同じ”独立峰”で、その秀麗さから太宰治氏も「(本家)富士山よりも女らしく、十二単を銀杏を逆さにしたように左右均斉で、静かに青空に浮かんでゐる。透き通るくらいに嬋娟たる美女である」と讃えています。

板柳町は津軽特産のリンゴの産地のひとつですが、その歴史は明治時代に初めて青森県に米国産の林檎の苗木が配布されたところから始まります。当時の北津軽郡の果樹農家でも苗木が試植され、津軽の寒暖差の大きい気候と岩木川の堆積土がリンゴに合っていたことや栽培技術や研究が進められたこと、町を通っていた鉄道ですぐ出荷できたことで周辺のリンゴ園は拡大、日本のリンゴ生産の3/5を占める青森県でも上位に入っています。

 

そうした「りんごの里」にある唯一の学校は、昭和13年に板柳町立実科高等女学校として開校しました。昭和19年に板柳高等女学校となり、戦後の学制改革で板柳高校となって現在に至ります。

しかし今後は近隣の3校と統合した上で新校設立の流れで令和4年度に閉校する予定となっていて、80年以上の歴史が終わろうとしています…

校歌は作詞:鈴木文雄 作曲:長谷川良夫で昭和27年制定です。

板柳 (全3番)

 若草もゆる津軽野や

 心を映す瑠璃のいろ
 清瀬を永久の道として

 学びの舎の明け暮れを
 至誠の訓 かしこみつ

 いのちの炎 かきたてん

 

地理的に1番は津軽平野と清流・岩木川沿いの学校を、2番に岩木山が歌われています。

3番「歴史に偲ぶみちのくの、巨き偉徳のかげふみて…」は、近くにある海童神社とそれを創建したとされる初代津軽藩主・津軽為信を指すのでしょうか。海童神社は戦国時代の豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、海上安全と国土繁栄を祈願する神社として建立されたと伝わっています。

 

なお、旧制板柳高女の校歌は昭和17年に制定された以外は未調査により不明です。

もうひとつ、古関裕而氏関連の学校を紹介します。
しばらく北海道・東北地方強化期間とでもしましょうか。
今回は、福島県の福島商業高校です。

福島市中心部の北に聳える信夫山の更に北、丸子地区にある120年以上の歴史がある学校です。近くには阿武隈川が流れ、風光明媚な場所といえるでしょう。
明治30年創立の福島商業補習学校を創始とし、明治40年に福島商業学校と改称して戦後まで続きました。戦前は旧制福島中(現・福島高校)と並び優秀な生徒が多く入学していたそうです。古関氏はその一人というわけです。
旧制時代の校歌は作者は不明ですが明治41年に制定されたようです。
旧制・福島商 (全4番)
 吾妻颪を しのぶなる
 福陽城下の 我校に
 集へる 二百の健男子
 未来は 平和の戦士なり

創立から10年ほどは現在の市立福島第一小学校に併設の形で校地があったようなので、「福陽城」=福島城のことだとすると城下という表現は間違っていないようです。しかし、校歌制定と同年に東方の大字腰浜に新校舎完成とともに移転しているのが気になりますが…
3行目「二百の健男子」部分は後年生徒増につれ「数百の健男子?」に変わったようです。

学制改革で福島商業高校となり校名は不変で現在に至りますが、昭和38年から平成7年の間は男子校でした。また昭和45年に霞町から現在地に移転しています。
校歌は作詞:野村俊夫 作曲:古関裕而で昭和32年制定です。その前は旧制時代の校歌が引き続き歌われていたようです。
福島商 (全3番)
 雲白き 吾妻の峰よりなお高く
 理想に燃ゆる 若きこころ
 師の教え 守りて
 いざ励まむ たゆみなく
 ああ!光あり 福島商業高校!

"!"(感嘆符)が付く校歌は他にはあまり見かけないですね。

この他、古関裕而氏が作曲家を志して上京する前に母校のために作曲したという歌が"福商青春歌"です。
昭和5年に作詞:坂内萬 作曲:古関裕而で作られました。
福商青春歌 (全2番)
 春の光の うららかに
 溶けて流るる 阿武隈の
 岸の桜の 下蔭に
 吹く草笛の 音ものどか

この歌、平成12年春に甲子園出場したときにどこかの展望号雑誌の校歌欄に記載されていた記憶があります。

高校野球では春3回・夏8回の計11回の甲子園出場があり、6勝を挙げました。春に強く昭和46年と平成12年はベスト8入りしています。
特徴的なFcマークのユニフォームとともにまた復活してほしいですね。

高校野球で外せない事項としては、夏の高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」も古関裕而氏が作曲されています。
残念ながらコロナ禍のために春に続き夏の大会も中止が決定し、2020年は甲子園での開催が無くなりました。
来年には無事開催できることを祈っています…
今回は、福島県の福島成蹊高校です。
成蹊中学校との中高一貫コースと普通の高校がある併設型のようです。
福島成蹊中学・高校 http://www.f-seikei.ed.jp/jhs/
福島成蹊高校 http://www.f-seikei.ed.jp/hs/

古い校歌シリーズが終わり、通常の校歌紹介に戻ろうと思っていたのですが、どこにしようか悩んでいました。
現在(5月)、NHKでは通称"朝ドラ"で「エール」というタイトルのドラマを放送しています。内容は福島県出身の作曲家・古関裕而夫妻をモデルとした人生物語です。先のコロナ禍で亡くなった志村けんさんが出演中ということでも話題になりましたね。
古関裕而氏が初めて手掛けた校歌が、この福島成蹊とされています。

福島市は福島県の"中通り"の北部、福島盆地の中に位置する県都です。
福島藩・板倉氏の城下町として栄え、古くは織物や蚕糸業が、現在はなどの果樹栽培が盛んで特に梨は全国一の生産数を誇ります。

学校は大正2年に私立福島成蹊女学校として創立しました。当時は福島駅東の宮町にありましたが、昭和34年に阿武隈川畔に近い現在地に移転しています。
"成蹊"の校名は他には成蹊大学などがあり、いずれも『史記』の"桃李不言下自成蹊"から採られています。その意味するところは簡便に言えば「桃李はひっそりと咲いていても、その花や実を愛でに人が集まってくる。すると自然に小さな通り道ができる。徳望ある人のもとにも人が自然と集まるものだ」

校歌は作詞:坂内萬 作曲:古関裕而で、昭和14年頃の制定です。
校史によれば、初代校長先生が校歌の作曲を地元の福島商卒で既に有名な作曲家となっていた古関氏に依頼したそうです。
現在放送している早稲田大学の応援歌「紺碧の空」、また阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」も昭和初期の作で、校歌としてはここが第一号です。
旧制・福島成蹊女 (全5番)
 みたみぞ吾我 朝夕に
 君のみいつを 信夫山
 吾妻の山の いや高き
 みかげを ここに仰ぐかな

5番までありますが普段は1,3,5番を歌っていたようで、「みいつ」は漢字では"御稜威"となり天皇の御霊や御威光を表す言葉です。

学制改革で福島成蹊女子高校となり、引き続き女子校として長らく福島市の女生徒の進学先のひとつでしたが、平成16年に男女共学に移行しました。
その2年後に中学校を新設して中高一貫教育を開始、福島成蹊中学・高校となり現在に至ります。
校歌は戦前のものを引き継いだ形ですが、戦後30年ほどは3番のみを歌っていたそうです。これが下の歌詞のものです。
福島成蹊 (全2番)
 わが学び舎の 名もゆかし
 桃李の花の 匂へれば
 ものいはねども 慕ひくる
 かげや こみちとなりぬべき

昭和52年に旧2番が追加され現在の校歌になりました。「金剛石の みさとしに…」は、これも昭憲皇太后の『金剛石』を指していると思われます。

こうした古風な校歌に新しい風を吹き込もうとしたのでしょうか、平成元年に愛唱歌が制定されました。
作詞・作曲:小椋佳で「いつか小蹊が」というタイトルが付けられています。
 新しい風渡る 阿武隈川の
 清らな流れ 胸にたたえ

 人が好き 夢が好き 優しさが好き
 真心こめた 愛が好き
 ……(中略)

 いつか小蹊が生まれ 小蹊に愛が生まれ
 幸せが笑顔で通う

この歌、以前は公式HPでも視聴できてなかなか良い歌と思っていたのですが…今も歌われているのでしょうか。