今回は、大阪府の梅花中学・高校です。
特定の学校の「校歌」として作られ制定されたものとしては、ここの初代校歌が日本最古に当たると思われます。
豊中市の中央やや北、阪急宝塚本線豊中駅から東に1kmほどの場所にある学校です。
周辺はほぼ住宅地であり、その中に幼稚園・中学・高校が同居している様相です。
創立者の澤山保羅と他数名の協力者によって、明治11年に大阪市西区土佐堀町付近に開校した梅花女学校を創始としています。キリスト教主義の学校ですが、いわゆるミッション・スクールではなく日本人が運営する「自給学校」とされています。
校名の由来は梅花学園HPによればキリスト教の梅本町教会と浪花教会が設立に関わっていたことから付けられたそうですが、大阪府の花でもあり古くは難波津の歌にも出てくる梅の馥郁たる薫りが伝わってきそうな名前ですね。
大正2年に梅花高等女学校を併設し校地も土佐堀から北野に、更に豊中に移転しています。なお、後年中学・高校となるのは梅花高女のほうで、梅花女学校はのちに梅花女子専門学校となり、戦後は梅花短期大学→梅花女子大学となりました。
初代校歌は作詞:大川真澄 作曲:山田源一郎で明治25年制定です。
梅花女学校 初代校歌
浪速の里に 生ひしげる
梅の若木の まなびやは
降る霜雪に たゆみなく
まもる操の 春かけて
かをらん花の 時を待て
この花の にほへるごとく
つとめいそしめ をとめ子ら
この1番と2番冒頭に「今を春べとこの花の、かをりにかをる…」とあることから、有名な”難波津の歌「難波津に、咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと、咲くやこの花」”を下地に取り入れた感があります。和歌など古典では花=桜のイメージがありますが、この歌では梅を指しているそうです。
開校から14年目、まだ歴史も浅い頃の作とあって「梅の若木のまなびや」と謙遜しつつ、やがては「かをらん花の時を待て」と学業成就・努力が実ることを梅の花が春に咲く様になぞらえて、そのために努めよ励めよと歌っています。まだ”校歌”という概念が芽生え始めた頃の作にしてはその後作られたものに劣らない出来ですね。
二代目の校歌は「園の梅」という副題があったようですが歌詞、作者、制定時期などは詳細不明です。
三代目校歌は作詞:清水千代 作曲:岡野貞一で昭和3年制定です。創立50周年記念、また豊中移転を機に変更したようです。
梅花高女、梅花中・高 (全2番)
箕面山脈 匂ひつつ
麦生にうるむ 春の色
前途の希望 輝けと
神こそいませ わが梅の園
1番「箕面山脈」、2番「豊中の原」の麦や芒といった原野的な風景にあっても、神の御加護が満ち渡る学校であるよという意味が込められていると思います。
梅花高女は学制改革で中学校と高校が相次いで設置され、現在では併設型中高一貫校としての梅花中学・高校となっています。
中学・高校の校歌は現在でも「箕面山脈」のようですが、これとは別に創立100周年を記念して”学園歌”が制定されました。文字通り中学・高校・大学共通で歌われる歌です。
学園歌は作詞:阪田寛夫 作曲:大中恩で昭和52年制定です。
梅花 学園歌(全3番)
むかし 浪華の甍のかげに
梅の園生を 夢見た保羅
風は立ち 時流れても
香りはさやに 新しく
いのちの朝の いまここに
光に歩む 梅花学園
梅花学園と阪田寛夫氏の関係は、氏がキリスト教徒だったことと未確認ですが父親が梅花の関係者だった縁で作られたようです。久居高校の項でも触れたように従弟・大中恩氏とのコンビで三重県内で多くの校歌を作られています。”林一夫の歌より”の注釈があることから林一夫なる人物の歌集か詩集からヒントを得て作詞したと推測でき、三重県の校歌と若干作風が異なっている感じがするのはベースがあったからかと思います。
現在は豊中市所在の学校にあって、開校当時を偲ぶ情景から始まります。創立者の澤山保羅(さわやま・ぽうろ)氏は山口県出身のキリスト教徒で洗礼を受け、使徒パウロにあやかってこの名前に改名したそうですが、校歌では「ぼうろ」と歌っているようです。
2番に「初花白く、いま香れ」とあることから白梅の花のことかと思いますが、白い花の紅梅というのもあるそうです。紅梅・白梅の区別は花の色ではなく枝の断面の色だそうで、1本の枝から紅白の花が咲く”源平咲き”なんていうものも見かけるようです。
3番はキリスト教の学校らしく「神の光に伸びゆく若木…小暗い夜の明け星と、かがやくことを いま祈る…」と新約聖書の教えを端的に表した詩で締めくくられます。全体的に女子校らしく詩とメロディーの調和が素晴らしいと感じ、個人的にも気に入っています。
また、初代校歌は定義によっては日本最古のひとつですので、是非”復活”させてもらいたいかなと思っています。
部活動ではチアリーディング部が関西の強豪で、中学・高校ともチアリーディング日本選手権大会で何度も優勝しています。ダンス部や競技かるた部も全国大会出場経験があります。
今回は、北海道の北星学園系列の3校です。
古い校歌は北星学園女子中学・高校のものを紹介します。
北星学園大学附属高校 http://www.hokusei-s-h.ed.jp/
北星学園女子中学・高校 http://www.hokusei-ghs-jh.ed.jp/
北星学園余市高校 http://www.hokusei-y-h.ed.jp/
北星学園は大学と札幌市と余市町に3校の高校を経営する総合学園です。
新約聖書の”Shine like stars in a dark world (暗き世に輝く星のように)”を由来とし、北海の星という意味合いで付けたものでしょうか。
北星学園大附高校は札幌市に昭和37年に北星学園男子高校として開校しました。校名に”女子高校”は数多あれど”男子高校”と付ける例はここ以外にはあったのでしょうか?
昭和62年に共学化と共に北星学園新札幌高校、北星学園大学との高大連携教育の一環として平成14年に北星学園大学附属高校と改称しました。
校歌は作詞:西森茂夫 補佐:加藤愛夫 作曲:二俣松四郎で昭和39年制定です。
序、1番、2番、結という構成から成る校歌もほとんど見かけないものですね。ここでは序と1番のみ紹介します。
北星学園大附 (全2番)
陽の光 水の面にわたらず
厚き雲 低くたれわたり
いくさ わざわい いまだ断たれず
さかまく嵐に あかつきを呼ぶは たがうたぞ
ああわが学友よ 青春の潮
北星の学園に たぎらして
歩みゆく日々は 解放の人 イエスの御跡ぞ
われらつねに 地の塩となりて
わが学園を 自由あふるる庭となさん
キリスト教の学校らしく、”世の光、地の塩”や”一粒の麦”が歌いこまれていますね。
北星学園男子高校として開校した当初の数年は賛美歌が歌われていたようです。賛美歌312番「いつくしみ深き、友なるイエスは…」で始まるものです。
北星学園女子高校は北星学園の源流ともされ、アメリカのキリスト教宣教師サラ・クララ・スミス女史によって明治20年に設立されたスミス女学校を創始としています。
明治27年に札幌農学校の新渡戸稲造の助言などによって北星女学校と改称、北海道の女性教育に貢献しました。昭和18年に北星高等女学校、戦後の学制改革で北星学園中学・高校となった後、昭和37年に大学と男子高校開校とともに北星学園女子中学・高校と改称して現在に至ります。
作詞:第一~三回生有志 監修:永田方正 原曲:スコットランド民謡で明治27年制定です。
北星学園女子 (全2番)
北の空なる 大星は
いづこの隈をも 照らすらん
文の水上 むすぶての
しずくごとにぞ 影は見えける
「北の空なる大星」とは北極星を指し、文字通り天の北極にあって位置を変えないことから北の象徴や人生の指針、目印などとして多くの学校の校歌にも歌われていますね。2番「千代へてすまん、影ぞゆかしき」と永遠を歌い、北星女学校もそこで学ぶ生徒もそのような心でありたいとさとしているようです。
最後は北星学園余市高校です。一般的にはドラマ「ヤンキー母校に帰る」のモデル校として有名でしょう。
昭和40年に小樽市・余市町の生徒の受け皿として誘致され余市町に開校しました。その後、周辺の生徒減少を受けて廃校の危機に直面した際に日本で初めて全国の高校中退者や不登校者などを受け入れる制度を実施、生徒数も持ち直して現在に至ります。
しかし、ここ数年は通信教育校やフリースクールが増えてきているため再び生徒数減少が続き、経営難から廃校ギリギリまで追い込まれている状況だそうです。
校歌は作詞:北垣俊一 作曲:川越守で昭和47年制定です。
北星学園余市 (全3番)
うるわしき海 はるかなシリパ
われらのまなびや ここにあり
真理きわめん 若人のいぶき
ああかぎりなく 地にみちん
まなべ 青春の意気たからかに
シリパとは余市町の北にある岬で、海に向かってだんだん高くなり海岸部で急に断崖絶壁となって海に落ち込んでいます。その姿がハワイのダイヤモンドヘッドに似ているのと、夕日が映える美しい景勝から”サンセットダイヤモンドヘッド”と呼ばれているそうで、北星余市の校舎からも海を隔ててシリパ岬が遠望できます。
部活動も盛んで、北星学園大附はフットサル、女子高校は新体操部とバスケ部などが全国大会に出場しています。
