東京都私立 学習院高等科、学習院女子高等科 (古い校歌シリーズ その14) | 校歌の広場

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高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

ここから最後の2校は、皇族から直接下賜された御歌を"校歌"にした形です。
初めは学習院女子の旧校歌ともされるものです。
学習院女子高等科 https://www.gakushuin.ac.jp/girl/

幼稚園から大学まで学生の全期間を網羅する総合学園で、中等科と高等科は男女別学です。
学習院中高と大学は豊島区目白、女子部は新宿区戸山にあり、どちらも中高一貫教育を行っていて高いレベルを保持しています。

学習院」とは、幕末頃に朝廷や公家の教育機関として京都御所に設立された学問所に、当時の天皇から"学習院"の額が下賜されて命名されました。
明治維新を経て東京の旧・江戸城を皇城として奠都された際、学習院も京都から東京に移転して明治10年に皇族・華族のための教育学校として改めて開校しました。私立学校の中でも華族が共同出資で設置し皇族も学ぶ機関として特別視され、のち宮内庁の管轄下に置かれ准官立学校扱いになっていたようです。
官立という名称は現代でいう国立に当たるものですが、意義としては明治初期の文部省直轄の学校といえるものではないかと思います。
ともあれ、当初の神田錦町から四谷へ、更に明治29年に現在の豊島区目白に移転して校地が定まりました。この頃に教科書や文房具などを入れる"背のう"、いわゆるランドセルが現在のものに近い学習院型に統一されています。
大正15年には"皇族就学令"、いわゆる皇族の学習の場が学習院・女子学習院と定められたため、その縛りが無くなった現在でも天皇陛下や愛子内親王殿下が通われました。
学習院ではスポーツや文芸活動が盛んで、『白樺派』を産み出した雑誌「白樺」も発行されるほどでした。

学習院女子は、明治18年に華族の子女のための官立華族女学校として四谷区(現在の新宿区四谷)に創立しました。明治39年に学習院と合併して学習院女学部となり、大正7年には港区青山に移転して女子学習院と改称しました。

これらの明治~学制改革を通じて、学習院では校歌に相当する歌は制定されなかったようです。
その代わり学習院では「習学修行の歌」、女子学習院では「金剛石」と「水は器」の2つの歌、「花すみれ」「月の桂」が時の天皇陛下や皇太后から下賜されて、奉賀式という式典で歌われていたようです。
このうち「金剛石」「水は器」はいくつかの文献では実質的な"校歌"とされているようなので、この2曲のみ紹介します。。
どちらも詩:昭憲皇太后御歌 作曲:奥好義で、華族女学校時代の明治20年に下賜され、現在でも中等科・高等科の入学式で歌われているそうです。
金剛石 (前半)
 金剛石も 磨かずば
 珠の光は そはざらん
 人も学びて のちにこそ
 まことの徳は あらはるれ

水は器 (前半)
 水はうつはに したがひて
 そのさまざまに なりぬなり
 ひとはまじはる 友により
 よきにあしきに うつるなり

この2つの歌は唱歌にもなり、また各地の女学校や高等女学校の校歌にも採用されました。昭憲皇太后は明治天皇の皇后です。その業績は次回で紹介しましょう。
大意は中国の古書・礼記の"玉磨かざれば光なし"、ことわざ"朱に交われば赤くなる"をモチーフにしたと思われます。

大平洋戦争終結後、大日本帝国憲法を始め戦前の様々な法令や制度の撤廃が断行されました。華族制度もそのひとつで、優遇措置や資産などが廃されて一般人と同じとなりました。
そうした時流の中で華族学校の学習院も廃止の危機にあり、生き残るために宮内省管轄から離れ、GHQと折衝の末に私立学校として存続が決定して現在に至ります。その初期には充分な財源が確保できず、学校経営のための金策は相当苦労していたようです。

戦前は校歌が無かった学習院ですが、戦後に就任した安倍能成院長によりようやく学習院全体の歌として院歌が作られました。
院歌は作詞:安倍能成 作曲:信時潔で昭和26年制定です。
学習院 (全4番)
 もゆる火の 火中に死にて
 また生るる 不死鳥のごと
 破れさびし 廃墟の上に
 たちあがれ 新学習院

この歌詞は、2回の東京空襲で学習院・女子学習院とも校舎が全焼し周囲も焼け野原となり、また上記の財政窮乏に見舞われながらも、私立学校としてようやく立ち直りかけていた時代を象徴しています。戦後はいわゆる新・学習院として不死鳥のごとく再出発しようという固い決意をこの歌に託したのでしょう。
2番は皇族華族の華やかな気風あふれる学校だった時代を花に喩え、その特長を失った戦後当時はただ厳しい現実を逞しく生きなければと、3番に人生も同じで懐古にひたる間もなくこの先様々な試練があっても希望を持って、4番で学習院の生徒一人ひとりが生命をこめて真理と平和のために世に尽くそうと諭す内容ですね。

こうして戦災から甦った学習院は、現在も皇族の学ぶ名門私立御三家の一角として存在感を出しています。
200年近くの伝統と、知徳体の調和と豊かな人間性を育成を誇る日本有数の学校です。