「月影」はいつ制定された?【上宮高等学校の後記】 | 校歌の広場

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高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

令和4年、明けましておめでとうございます。

今年は少なくとも4県ほどは校歌調査遠征したいですね…

 

2年以上前、短い校歌のひとつとして紹介した大阪の上宮・上宮太子中高の校歌。

https://ameblo.jp/hakutsuru45/entry-12527634149.html

 月影の いたらぬ里は なけれども

 ながむる人の こころにぞ すむ

 

由来は浄土宗の”宗歌”である「月影」です。

浄土宗の開祖・法然上人が詠まれた和歌の中でも代表的な歌で、それに曲をつけたものですが、その原曲は不明とされています。

 

なぜ今頃これについて改めて言及するのかと言いますと、最近上宮学園の学校史を閲覧する機会があり、新たな事柄が判明したからですね。

 

これを見るまでは、旧制上宮中学校時代から「月影」を校歌にしていたのではないかと思っていました。旧制時代は宗歌を校歌代わりにしていた学校がいくつかあり、上宮中もそのひとつでは?という感じです。

しかし上宮中時代は独自の校歌が2つ、””と””として制定されていたということです。

ただ上宮学園は校歌制定に関する記録が残されていないのか、2曲とも大正期にはあったということしかわかりません。

甲は作詞:星川清成 作曲:大橋純二郎、乙は作詞:星川清成 作曲:吉田吉太郎です。

旧制上宮中・甲 (全3番)

 法の教へを敷島の 日本に興しましましき

 太子の功績に因縁ある 処占めたる上の宮

 

旧制上宮中・乙 (全4番)

 血汐ぞ燃ゆる青少の 胸に抱けるその理想

 生充実のその力 何妨ぐるものあらん

 

更に新制上宮高校になってからは代用の”愛校歌”なるものが使用されています。この頃は「月影」は校内の浄土宗儀式の御忌式(ぎょきしき)で歌われるくらいだったとされます。御忌式とは浄土宗でいう御忌会、法然上人の命日法要行事だということです。

愛校歌は作詞:岡田貞夫 作曲:堀内匡好で昭和25年頃制定です。少なくともこの後10年ほどは学園歌として高校野球で応援や勝利したとき歌われたとあります。

上宮学園 愛校歌(全3番)

 白雲たなびく 生駒の峰を

 東に望みて そびゆる母校

 若人集へり 希望の丘に

 秀でし眉あげ 血汐はもゆる

 ああ 自由の天地 上宮

 

しかし”愛校歌”はあくまで代用であって正式な校歌ではないとの声があり、ここに至ってようやく校歌制定に向けて動きだしたようです。

通常ならここで制定委員会設置や作者選定といった流れになるのでしょうが、宗歌が校歌に選ばれた経緯や時期について学園史は「詳らかではないが、おそらく昭和30年代のことと思われる」という曖昧な表現です。また、昭和45年に大阪高野連と朝日新聞社大阪本社社会部で参加校の校章・校歌・校旗を登録する際、上宮では「月影」を正式なる校歌として登録したとあります。

 

「月影」も上宮高校も長い歴史を持ちながら、甲子園ではお馴染みとなって久しいこの「月影」は校歌としては意外と新しいものだったのですね。