福井県立 大野高等学校 (三好達治の足跡 その5) | 校歌の広場

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高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

今回は、福井県の大野高校です。

https://www.daiko.ed.jp/

 

大野市は福井県の東南部、”奥越”と呼ばれる山間部の町です。日本でも有数の豪雪地帯でにあり、冬季はスキーヤーやボーダーが集まるスポーツのメッカです。

長らく大野藩の城下町として栄え、「越前の小京都」とも言われているようですが現在全国京都会議には加盟していません。

戦国時代頃に越前一向一揆に対する討伐で金森長近が大野亀山に城を築き、一揆を平定したあとは城下を整備して今の大野市の基盤となりました。福井藩主・結城秀康(徳川家康の次男)の三男・松平直政によって大野藩が立藩、その後に入封した土井家によって幕末まで続いています。

何度かの飢饉によって財政が逼迫する中、7代藩主土井利忠により藩政改革”更始の令”が断行されました。利忠は銅山開発、藩校創立、北前船の交易、地場物産取次店の大野屋経営、藩営病院の開設、西洋の学問を取り入れて立て直した稀代の名君とされています。校歌に取り入れられて良いような人物ですが…

越前大野城は亀山城とも言われ、近年は”天空の城”として和田山・竹田城と並び有名な観光スポットとなっています。大野盆地が雲海に包まれ城山が浮かぶ情景は美しいものです。

 

学校は通称「大高(だいこう)」、大野市域の旧制中学校、高等女学校、農学校の3校を前身としています。学制改革で総合制の大野高校となりましたが、他地域で見られた後年の分離独立は無く現在に至ります。

校歌は作詞:三好達治 作曲:清水脩で昭和31年制定です。

大野高校 (全3番)

 古志の奥 大野が原は

 風清ら 水清ら 山も清らに

 おのづから 通ひて子らが

 萌えいづる 心ごころに

 ふふむらむ 夢さへ清ら

 額高く 誇りかに さやけ 清ら

 

学校史には校歌作成についてあまり語られていないのですが、三国高校と同じく”第二の故郷”福井県の人々からの依頼として受け入れたのだと思います。

「ふふむ」は含むの古語、「らむ」が続くので、大意としては「古志の奥=奥越の大野盆地は、風も水も山も清らかな所よ、ここに住み学校に通う生徒ひとりひとりの心中に自然と湧き出てくる夢も清らかだろう。大野の子らよ、頭を上げて、誇らしく、さやかにあれ」かと。

3番は1,2番と違い少し短めです。福井大野藩が所有していた帆船・大野丸が取り入れられています。

二帆前」とは二本マストの帆前船の意味でしょうか。帆前船とは西洋型帆船、いわゆるスクーナーで大野藩はこの船を「大野丸」と命名、”北前船”として大坂から日本海や樺太にも航路を拡げ、各地との交易と大野屋という物産取次店を経営して利益をあげました。

戦前サハリンを南北に分けて北緯50度以南が日本領”南樺太”だったのは、大野藩の開拓がこのあたりまで及んでいたからだそうです。大野丸は後に根室近海で座礁沈没してしまいましたが、数々の新事業と樺太開拓など多大な功績に関わった栄光の船だったことを後世に伝えたい気持ちがあったのでしょうか。

大野丸、波のりゆきし…後の子もおくれじものを」は、こうした歴史の上に生きる学生たちも先人に続いてほしいと啓しているのでしょう。

大野丸→https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/zusetsu/C34/C341.htm

 

旧制大野中は明治14年に藩校・明倫館を受け継ぐ大野町立明倫中学校を前史としています。明治19年の中学校令(原則1府県1中学校)で一旦廃校となりましたが、明治34年に旧制福井中学校大野分校が開校、4年後に大野中学校となりました。

校歌は作詞:平泉澄 校閲:幸田露伴 作曲:水野康孝で昭和3年制定です。大野中開校から20年くらい校歌は無かったようです。

旧制・大野中 (全3番)

 山白峯と天そゝり 川九頭龍とたぎりゆく
 自然の霊気身に受けし 我等大野の健男児

 

2番「智は洋学に率先し、勇開拓に振ひたる、父祖の勇心身にぞしむ…」は幕末の大野藩政、上記の歴史を端的に表したものですね。

 

大野高女は明治44年創立の大野郡立実業女学校を創始とし、大野実科高等女学校大野高等女学校と変遷しました。

校歌は作詞:廣瀬吉弥 作曲:益山謙吾で明治44年制定です。

旧制・大野高女 (全4番)

 大野の郷に新しく 立てる学舎いやひろき
 恵の露にうるほひて 物学ぶ身は幸なりや

 

大野農学校は大正7年の下庄農業補習学校を創始とし、昭和17年に大野農学校となりました。

校歌は作詞:瀧波与六 校閲:相馬御風 作曲:弘田龍太郎で昭和17年制定です。

旧制・大野農 (全3番)

 高嶺のみ雪解けゆきて 九頭龍真名の水澄めば
 空に漲る陽の光り 地に栄光の生命みつ
 ああ秀麗のこの郷土 ああ明朗の学園に
 萌ゆる若草 吾等のつどひ

 

高校野球では、平成2年夏と翌春に連続出場しました。うち平成3年春に初戦突破して校歌が流れています。私が校歌に興味を持ち始めた頃で、福井県勢ではこの時の校歌が好きですね。

奥越の進学校として地元の福井大や金沢大などの国公立や私大への進学者が多い傾向です。部活動ではスキー部陸上部などがインターハイ出場もある強豪です。