CarLife -30ページ目

三位一体?

1962年。カイザー社より発売された「ジープ・グランドワゴニア」は、ピックアップトラックをベースに作られた。当時のジープといえば、まさしく軍用車であり、悪路での操作性など抜群に優れていたのは有名な話しである。
しかし、この「グランドワゴニア」は、軍用車をコンセプトに開発された訳ではなく、操作性・豪華さを兼ね備えた『ファミリー層』に向けての開発から入った。

1965年にはV8エンジンが搭載され、68年には最大出力270psを発生するまでに至った。当時のパワー重視の時代背景の影響である。

しかし、それから2年後の1970年……ワゴニアの生産元のカイザー社が吸収合併される事になる。相手はAMC(アメリカン・モーター・カンパニー)。これ以後、グランドワゴニアにはクアドラトラック4WDシステムが搭載されるようになる。同時に、車名がAMCスーパーワゴニアに改名される。84年にエンジンが直列6気筒・V型8気筒の2種類のラインナップが揃う。

更に17年後の1987年、AMCはクライスラーの傘下に入る事となる。ワゴニアは、この3社が製造に関わり、その度に成長を遂げていった。この時、グランドワゴニアはスポーツワゴンの最上級グレードに位置し、パワーステアリング・パワーブレーキ・オートクルーズ・リアデフ・キャリア・パワーウインドウ・集中ドアロック……と、当時では異例の豪華な標準装備がなされた。

しかし、3つの企業が製造・販売を28年に渡って行われたにも関わらず、その基本コンセプトは全く変わらず、エクステリア等も殆ど変更が加えられなかった事は、そのワゴニアという車の完成度(あくまでもファンから見て)の高さが推測できる。'62年から'91年の生産終了までの28年間で、たった5回のマイナーチェンジしかしなかったのである。

今でも人気車として中古店に出回っている所を見ると、そのコンセプトの確かさが分かる。

40年、変わらぬ事も魅力

1959年。40数年間という長い期間、殆ど変化しなかった車があった。それは母国イギリスから世界に派生し、ここ日本でも爆発的な人気を誇った小型車があった。最高出力は62ps、FFの超小型車で4人乗り。サイズは軽自動車以下という極小の車。何でこんな車が人気車になったのか……

この車は名エンジニア、アレックス・イシゴニスの手によって誕生した。その当時から生産終了まで、そのコンセプトは変わる事が無く、エンジンラ インナップやインパネデザインなどが現代風にアレンジされたのみで基本は何ら変更を受けずに作られ続けた。
初代ミニは、大人4人が乗れるミニマムサイズの実用車という点においては、その後に登場したどのクルマにも負けなかった。ただ、時代が流れて行くウチに、一般的な乗用車が主流となって行くにつれ、その人気も私大に下火になって行った。
モデル末期にもなると、世界で爆発的売れ行きを誇ったミニは忘れ去られ、時代の影に追いやられていた。そんな中、ただ一国だけはその車を熱狂的に愛し続けていた。我々の国・日本である。驚くべき事に、BMWの傘下となった時でも、その殆どを日本市場に向けた車を生産し、輸出をしていた。
「求まられる限り。求めてくれる人がいる限り、作り続けたい。嬉しいじゃないか…遙か地球の反対側で我々の作る車を、未だに愛してくれているなんて。最後の一台を見送る時まで精一杯作り続けるよ」
この車を作る職人の言葉だ。生産中止がほぼ決まった時、彼等は何を感じていたのだろう。
この車が生産中止となる段階でミニを愛したのは、何とほとんどが日本人。その殆ど全てという程の台数が日本へ輸出されたという。

人気の秘密は、その愛らしいスタイルにあった。決して現在の風潮に合っているような車では無いにも関わらず、今現在でもその根強いファンが居る。

ミニクーパー(ローバーミニ)。今ではモデルチェンジした新型も世界中で愛されているが、頑固に守り通した先代ミニも、変わらず日本で疾走している。

スリックタイヤ

今朝、雨がシトシトと降っていた。こんな日に外に出るのは嫌だな~などと子供のような感受性で車に近付き、見てはいけない物を見てしまう。
以前ブログでも書いた通り、私の車のタイヤ、溝がなくなりつつある。
それを更に衝撃に変える光景だった……

スリックタイヤぢゃん!

そこには、縦の溝しか確認できないタイヤがフロントに二本くっついていた。
「誰がこれでレースに出るんだ…」現実逃避に入る事数分。仕事に行かないといけない脅迫感と財布の事情から、すのまま見ない事にしてイグニッションを回す。しかし、現実逃避はこれ以上発展し、あらぬ方向へ暴走。
「スリックタイヤなら、速度を上げればグリップするんじゃ……」待て私。素材も値段も心意気も違うぞ。現実に早く戻って来なさい。

細道を抜け、広い道路に出た。信号に捕まり一旦グリッド……もとい、停止線へ。
シグナルが変わった瞬間、スタートダッシュ! すでに私はシューマッハ……いや、明らかにダッシュのスピードが遅い。やはりレガシィの車重、初速は遅い。ならばここから上げて行きコーナーを攻めればグリップが……。しかし日本の公道、しかも一般車両で、60km/h以上で走れる訳もなく、当然ただのヘタリタイヤがそんな奇跡的なグリップを見せる訳でもなく、普通にアンダーが出て慌てる偽シューマッハ。しかも路面はかなりウエット。ただの右折のつもりが派手に反転して停車。後ろの車のドライバーと目が合う。とりあえず照れ笑い……交差点のど真ん中で堂々とハーフスピンしたレガシィが一台。とうとう交差点1個の時間を止めてしまった…

普通に走れば、来年の車検まで持つか思案中の毎日です。

“悲劇”が似合う車

悲劇のグループB、スタリオン4WDラリー。美談的に語られる事の多いこの車。三菱がWRC参戦の為に開発したが、発表した時には既にグループBという規格が撤廃されたあとであり、レースに出ることなく生産を終了する事になる……という事だが、実のところは開発コストに振り回され、完成する直後にはラリー界では既に時代遅れになっていたようだ。悲劇といえば悲劇。

しかし、このスタリオンをベースにしたレース用車両が、輝かしい結果を残していた記録も残っている。
スタリオン・グループA仕様車がそれである。このグループAレースとは、FIA(国際自動車連盟)のレースカテゴリーに含まれる、ツーリングカーレースの1部門。4座席の車両で、連続する12ヶ月間に5,000台以上生産された車両をベースに、極めて少ない改造範囲で競われるもだった。つまり、改造範囲が極端に狭く、市販車とほぼ同じである。このカテゴリーは1985年、日本で開催されると同時に、各自動車メーカーが競って参加を表明した。当然三菱自動車もその中にいた。
このレースに三菱が出してきた車が、スタリオン・グループA。85年当初は、排気量に勝るボルボ240ターボ2台、ハルトゲBMW635に続き、デビュー戦ながら日本車勢ではトップの決勝4位と入賞を果たす。また、一時は予選トップタイムをマークするなどそのポテンシャルの高さを存分に発揮した。そして翌86年には第三戦に総合優勝、87年には第一戦・第二戦の連続優勝を果たす。正に国産車最速の位置に着いていた。
しかし、この後に出て来るライバル車は、高出力の車ばかりであり、グループA参戦を目的としたエボリューションモデルばかりとなった。その中には、国産モデルである「GT-R」「スープラ」の姿もあった。
同じ年のモーターショウで、スタリオン2600(北欧仕様車ベース)グループA車両が参考出品されるが、既にその車両の出力では到底及ばないライバル車が軒を連ねるグループAでは出番がない。
スタリオン2600は、本当の意味での参考出品で終わってしまい、同時に「グループA」からも姿を消す事になった。

だが、このまま引き下がる三菱自動車ではない。生産中止となった「スタリオン」で培った技術は、現在の三菱車の基礎を担い、その後継車種(?)として世に出てきたのが「ランサー」「GTO」である。それらは紛れもなく“レースで勝つ為の車”であり、その最たる車種こそが、ランサーエボリューションシリーズである。

先日借りた「キャノンボール」で、ジャッキー・チェンが操る『有り得ない』ハイテクカーこそ、今回のスタリオンである。

ある休日の出来事

今日、久々にレンタルビデオ屋(レンタルDVD屋?)に行ってきました。そこで、凄く懐かしい物を発見!シリーズ物なのに、全く手つかずで全てが残っていたその「隠れた名作」を、すぐさまレジに持ち込みダッシュで帰宅。スイッチオン!
♪チャンチャカチャカチャカ……懐かしくも軽いオープニングに乗って走って来る黒い車……トランザム!思わず「キットぉ~」と心でガッツポーズ。
相変わらずハチャメチャな性能に、お約束のヒーロー物。車が喋ったり、空を飛んだり、ロケット弾すら効かない特殊装甲と塗料。おまけにジェット機のようなステアリングホイールに、中は暗室のように真っ暗。そして同じような性能を持つライバル「カール」。
「大丈夫ですか?マイケル」「あぁ~大丈夫だ」
このセリフが耳に残って離れません。

当時は「トランザム」という車名で記憶し、それ自体疑いもしなかった物の、年を重ねて分かる事実…トランザムって、車名じゃ無いんぢゃん。

正式名称は「ポンティアック・ファイヤーバード、グレード『トランザム』」。
フロントの「ナイトフラッシャー(赤い電飾)」が、当時爆発的に売れたらしく、ファイヤーバード・トランザム(以下トランザム)でも無い、ただの黒い国産車に「偽キット」が出没していたのを覚えています。
「いずれあんな偽物ではなく、本物のトランザムに乗ってやる!」と、強く誓った子供時代を思い出しました。まぁ…現実は厳しく、自分の車に乗れる頃には、手堅く国産車のMR2に憧れていましたが……(因みに余談ですが、ナイトライダー1stシーズン終了直後、超音速ジェットヘリ・エアーウルフという番組が放送され、子供の憧れは「いつか音速ヘリに…」と変わって行きました)

しかし、男はいつの時代でも子供。DVDを観た後に沸き上がる衝動……

トランザムが欲しいぃ!
生産終了、そして修復用パーツ不足。燃費最悪。現実的には無理か……そう思う私の傍らには、一緒に借りた「キャノンボール2」。さぁ、スイッチオン!(以下続く?)

栄光と悲劇のランチア

1974年~76年。WRC(世界ラリー選手権)で3年連続グループ4を席巻した車が存在する。先に出たスーパーカーブームの一役を担った「ランチア・ストラトス」がそれである。
デビューは1972年そ市販車が第一号。プロトタイプは70年にトリノ・ショウで公開されている。
まるで宇宙船のようなデザインは、当時のブームも手伝い、カウンタックと二分する程子供達に絶大な人気を誇っていた。
V型6気筒のエンジンを搭載し、188ps(ラリー用では277ps)を発揮する車で、車重はわずか980kg(同880kg)の軽量。トルクは23kgm/4000rpmと、現在では少し低い数値ではあるが、この車重でこの数値は、現在でも痛烈に遊び心を刺激できる物である。

74年にストラトスがWRCにデビューし、いきなり優勝というスタートの後、フィアットがWRCに本格参戦する76年までの3年という短い間ではあるが、ランチアの黄金時代を築き上げた車である。
なぜたった3年の黄金時代で終わらしたのか……それは、ランチアがフィアットの傘下にいるメーカーだった為だと思われる。
その後、ランチアは1982年までWRCに姿を見せなかった。

その1982年。ストラトスに似せたコンセプトの「037」というコードネームを持つミッドシップカーで参戦。翌年、辛うじて優勝するも、時代は既に流れていた。今までのMR車よりも、よりラリーに向いている4WDの時代に移り変わって来つつあったのだ。その上、μ(摩擦係数)の低い悪路で、車自体の馬力が400馬力を越えて行こうという時代。4WDと比較すれば、明らかに分の悪い勝負となって来た。
そこでランチアが開発・投入してきた4WD車。スーパーチャージャーとターボチャージャーを積み、馬力は430ps(市販車は247ps)の「DELTA S4」。しかし、WRCの時代の流れに乗る為に作った車のデザインは、「急造」のイメージを匂わせる物だった。
試行錯誤しながらマシンを円熟させようとするランチア陣営。それ以上に、経験と実績を積んだ他メーカーは一歩先を進んでいる。苦悩するランチア……。
そんな中、事件は起こってしまう。

1986年。シーズン中に相次ぐ事故。当時ランチアが参戦していた『グループB』というクラスでの存続に黄色信号が灯り出す。そして、とうとう「DELTA S4」は、ドライバー亡くしてしまう大事故を起こしてしまう。この事が切っ掛けとなり、遂に『グループB』は廃止が決定。無冠のままWRCから姿を消す事になる。

この車が有名なのは、この繰り返された悲劇のレースが原因なのだ。

栄光の車『ストラトス』
悲劇の車『DELTA S4』
共に今でも、熱狂的な信者が存在する「名車」として認知されている。

スーパーチューン!

今日、外回りのついでにカー用品の店に寄ってみた。
買い物ではなく、一体今どのような商品が売れてるのかをスパイ勉強する為と、新商品のチェックの為。しかし、そこで懐かしい友人に出会った。それは、レジの横のワゴンに鎮座していた。
特価処分品と名札を下げたワゴンの中には「スーパーマグチューン!」と書かれたパッケージに、なにやらベルトらしき商品が入っている。確かこれは、ガソリンホースの周りにぐるっと巻き付けるだけで、燃費もパワーも向上するという優れもの。
確か……10年程前、当時乗っていた愛車「シビック」をいじる事に集中していた私は、少しでも良いと聞いた物はとにかく試してた。当然、V-TECコントローラーも装着し、あわよくばターボも……などと馬鹿な事を考えていた時期に、偶然出会ったチューニングパーツ。わずか1,000円程度で驚くべき効果を発揮するらしいそのパーツは、いかにも怪しい部品であった。
当時、車に詳しいと自負していた仲間に聞いた所、「ああ、あれは凄いぞ!」と絶賛していた為、後日その店で購入。更に、その店の駐車場で装着……わずか数分で作業が終了した私は、ある感情を押し殺していた。
「しまった……騙されたかも」

実際に走ってみた。すると、驚く事に……何ら変化が見られない!燃費はおろか、パワー自体も体感できる程では無く(というか全く効果が無い感じ)、これはかなり派手に凹みました。

後日になり知った情報……スーパーマグチューンを絶賛していた友人は「知ったか君」で、私はすっかり騙されていた事。そして、数ヶ月後に知り合った、同じシビックオーナー(こちらは私以上の気合いの入り方をしていた)に、エンジンルームを見せた所、エンジンホースの周りに付いた異物を指さして高らかに笑いました。そして、「やっちゃったか?やっちゃったな!」と、同情の笑みを………

スーパーマグチューンよ、安らかに眠りなさい………


個人的感想であり、本当に効果があるのであれば、私が鈍いだけですので、鼻で笑って下さい^^;

憎き硬化ゴム片の退治!

今日から12月になりました。今年も残すのは今月だけですね。
そして12月と言えば年末、年末といえば大掃除!! 車の隅々まで掃除をして、一年の溜まった埃を(そこまで溜めてる人も居ないと思いますが)取ってあげましょう!

そこで、今回は車掃除の豆知識……何と、カッターナイフです!
これでボディーをシャコシャコと……すれば、板金屋さんが大儲け!いやいや……カッターナイフはボディーには使わないで下さい。
実はこのカッターナイフ、驚くべき執念で、あの頑固なヨゴレを落とすのです!
皆さんも一度は経験しているでしょう。運転席・助手席・後部座席横のガラス上部にこびり付いたゴムの跡。溶けて、付着して、硬化したゴムは、ちょっとやそっとの力では落ちません。必死で洗車しているオーナーを嘲笑うかの如く平然と付着してくれていますよね。
そんな憎き硬化ゴムを、カッターナイフが一刀両断に切り裂いてくれます!!

まず、カッターの刃を長めに出し、ガラスに水平に当てます。
そして、硬化ゴムをそぎ落とすようにガラスを撫でて行くと……意外に綺麗に取れます!
この時、カッターの刃が短いと、柄の部分でガラスを傷付けます。また、カッターの刃の角度が立ちすぎていると、ガラスを削って傷が付きます。

くれぐれも慎重に削ってやって下さい。

てんとう虫のサンバ!

タイトルで分かる方も恐らく多いだろう。
話しはイキナリ50年近く前に遡る事になるが、その頃の車は大袈裟ではなく家一軒買うのと同等の超高級品だった。「ねぇ、3DKにする? 4LDKにする? それとも車にする?」などという会話がまかり通るのは金持ちの家庭のみ。今で言うならば、全車種がF40並の金額(以上かも?)なのだ。
一家に一台どころじゃなく、一家が一台という話しに、当時の通産省が提示した乗用車の普及促進政策。自家用車をもっと普及させよう!という分かりやすい政策だが、当時は無理難題だった。

しかし、逆境に抜きん出る会社は必ずある。かつて、戦闘機を作っていた技術集団が、その技術を注ぎ込み乗用車を作ってしまった。富士重工業株式会社…スバルである。
低価格で高性能、しかも小型の車は当時の技術力では非常に困難で、敬遠するメーカーも多い中、その誇りと技術力で挑戦。他メーカーに先駆けて、低コストの自家用車を発表した。

スバル360。その車体は丸く、イメージとしては昔のフォルクスワーゲン・ビートル。駆動形式もRR(リアエンジン・後輪駆動)で、居住性を向上。大人4人が乗れ、運転席も脚を伸ばしてペダルを踏める程のスペースを確保できた。
■排気量……356cc・強制空冷2サイクル2気筒エンジン
■駆動方式…RR
■車両重量…385kg
■乗 員……4人
■最高速度…83km/h(4人乗車時)
乗り心地・操作性・安定性は、当時の小型車と比べ劣っている事は無く、報道関係者は「世界水準をいくミニカー」と絶賛した。

発売後12年もの間、スバル360は広く愛され、その丸い愛らしい姿から「てんとう虫」の愛称で呼ばれた。巨大なレア物のアメ車も良いが、狭い日本、スバル360でコロコロと走り回るのもアコースティックな雰囲気に包まれて良いかも知れない。

最も獰猛な車

1960年代、世界を相手に戦いを挑んだ車がある。4Lの大排気量と大トルクを武器としたコブラだ。
この「コブラ」という車は、3者が協力し開発した伝説の車であり、正式名称は「シェルビーACコブラ」という。

まず、コブラを生み出す原動力となったのは、車名にも付いている「シェルビー」という人物。彼は大富豪でもあり、レーシングドライバーとしてアストン・マーティンの黄金時代を支えるなどヨーロッパでのレース経験が豊富な「キャロル・シェルビー」。彼は、アメリカ車でのル・マン制覇を夢見ていた。
ACとは、エースコブラのシャーシを担当したAC。ACは、自社中心モデルの「エース・ロードスター」に載せるエンジンを模索していた。
そこに現れたシェルビーは、ライトウェイトで評価の高かったフォード・フェアレーン用の4リットルV8エンジンをACエースに持ち込み、「コブラ」制作の依頼をした。タイミングとしては文句なしだった。
そのエンジンの提供は「フォード」。彼等も新製品「マスタング」を開発中であり、シェルビーの持つ「若い年代層」の支持が欲しかった。
こうして、3者の利害関係が一致した瞬間に、「コブラ」誕生の第一歩が踏み出されたのだ。
つまり、ACの開発したシャーシを強化した車に、フォードのV8エンジンを積んだ高性能バージョンとして作成した車が、初代コブラ「289」だったのだ。

そして二年後の1962年、それまで上品さが特徴だったACは、「コブラ」の名の通りスネークダッシュが特徴の「走る爆弾」を発表し、大きな反響を呼ぶ。やがてエンジンは4.7リットルに換装され、5万台以上を売り切る空前のヒット商品となったのである。
加減を知らない彼等は、1965年に7リットルもの大排気量フォードV8エンジンをボンネットの下に押し込み、伝説の「427」が登場。加減を知らない加速は、遂にアメリカン・スポーツカーのトップに君臨した。

「コブラ427」は、400psを軽く超える強力なパワーを受け止めるため、それまでのモデルから鋼管フレーム大径化や足回りをダブルウィッシュボーンに変更た。しかし1t程度の軽量なボディでは、そのパワーを路面に伝えるグリップ力が弱いために、停止時からの全開加速ではテールを左右に振りながら豪快に加速していく姿を披露する。「スネークダッシュ」と呼ばれるように、まるで蛇が地を這うような軌跡を残すのだ。
ドライバーはスネークダッシュの洗礼を受けた後、驚異的なスピードを体感する。その「蛇」は、スタンディングスタート0~400m:12秒台を叩きだすという怪物だ。

シェルビーが夢に見た、アメリカ車でのレース参加。この夢は、常に優勝候補の一角として認知される程成長し、アメリカ・イギリスで猛威を振るった。

「427」のラインナップは、コンペティション・セミコンペティション(S/C)・ストリートの3種類があり、名前にちなんで427台が生産された。そして、この427台を最後に「コブラ」は生産を停止した。


この後継種といわれる車が出るのは。それから実に27年が過ぎる事になる。コブラの後継は「まむし」。ヴァイパーとしてスネークダッシュを披露する。