朝焼けの空が好きだ。
願くば、雲ひとつない快晴ではなく、空に幾つか大きめの雲が浮かび、日の出の太陽がそれらを美しく彩ってもらいたい。
刻々と色を変え、明るさを変え、形を変えていく。
それはさながら、大好きだったあの人の心のよう。
「30分もあれば、私の気分が変わっちゃうには充分だよ? 知ってると思うけど」などと急かされて、慌てて家を出たなんてこともあった。
「女心と秋の空」なんて諺もあるが、朝焼けの空模様もまた、女心と同等のスピードで変わっていくのだ。
ゆっくりに見えて、少しずつに見えて、確実に。
気が付いたら、まるで違う空になっている。
目を逸らした隙に。油断した隙に。
いつの間にやら、遠い遠いところへ行ってしまっていて、手を伸ばしても、もう届かない。
夕焼けについても触れておこう。
夕焼けマニアの方には大変申し訳ないが、夕焼けは朝焼けと比べてワンランク劣る存在である。
「何をほざいてやがんだ、このイカレポンチ野郎は。死ねば?」などと思わずに、憤るあまりにバタフライナイフなどを懐から取り出した過激派夕焼けマニアの方は、ひとまず深呼吸のひとつでもして、ナイフをしまっていただきたい。
そもそも、某キムタクドラマの悪影響から、バタフライナイフは取り締まりの対象になっているのだ。
通報するよ。ほんばにぼー。
夕焼けが朝焼けよりも劣る理由は明確である。
「朝焼けの方がレアである」。
この一点だけだ。
ある日の朝焼けを見た人よりも、夕焼けを見た人の数の方が圧倒的に多いのだ。
我々日本人というのは、希少価値のあるものにヨワイ。
限定商品などというフレーズに狂喜乱舞し、涎と汗と鼻水を撒き散らしながら飛び付く国民性なのだ。
それ故、夕焼けよりも希少価値のある朝焼けの方が格が上、レベルも上、両者の間にはベギラマとベギラゴンくらいの差があるというわけだ。
ただ、夕焼けの空の、あの独特のオレンジ色を、僕は愛してやまない。
「黄昏る」なんて動詞もあるくらい、夕焼けは人をセンチメンタルにさせる。
僕はまた、夕焼け色に染まった空と、ふわふわと浮かんだ雲とを眺めては、何ともいえないため息を吐き、小さく苦笑いを浮かべる。
そして、そのまま特に何をするでもなく、「あぁ、あの人は元気かなぁ」なんてことを考えながら、ポリポリとふくらはぎでも掻いてみたりするのである。
♪今の気分的一曲
パラレル / 冨田ラボ feat. 秦基博




