忘れちゃうひととき -3ページ目

忘れちゃうひととき

青臭い駄目人間の、イカ臭い日常を、小便臭い文章で、つらつらつらと書き綴っていく予定です。それ以上でもそれ以下でもそれだけでもありません。

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朝焼けの空が好きだ。
願くば、雲ひとつない快晴ではなく、空に幾つか大きめの雲が浮かび、日の出の太陽がそれらを美しく彩ってもらいたい。
刻々と色を変え、明るさを変え、形を変えていく。

それはさながら、大好きだったあの人の心のよう。
「30分もあれば、私の気分が変わっちゃうには充分だよ? 知ってると思うけど」などと急かされて、慌てて家を出たなんてこともあった。

「女心と秋の空」なんて諺もあるが、朝焼けの空模様もまた、女心と同等のスピードで変わっていくのだ。
ゆっくりに見えて、少しずつに見えて、確実に。
気が付いたら、まるで違う空になっている。
目を逸らした隙に。油断した隙に。
いつの間にやら、遠い遠いところへ行ってしまっていて、手を伸ばしても、もう届かない。

夕焼けについても触れておこう。
夕焼けマニアの方には大変申し訳ないが、夕焼けは朝焼けと比べてワンランク劣る存在である。
「何をほざいてやがんだ、このイカレポンチ野郎は。死ねば?」などと思わずに、憤るあまりにバタフライナイフなどを懐から取り出した過激派夕焼けマニアの方は、ひとまず深呼吸のひとつでもして、ナイフをしまっていただきたい。
そもそも、某キムタクドラマの悪影響から、バタフライナイフは取り締まりの対象になっているのだ。
通報するよ。ほんばにぼー。

夕焼けが朝焼けよりも劣る理由は明確である。
「朝焼けの方がレアである」。
この一点だけだ。
ある日の朝焼けを見た人よりも、夕焼けを見た人の数の方が圧倒的に多いのだ。
我々日本人というのは、希少価値のあるものにヨワイ。
限定商品などというフレーズに狂喜乱舞し、涎と汗と鼻水を撒き散らしながら飛び付く国民性なのだ。
それ故、夕焼けよりも希少価値のある朝焼けの方が格が上、レベルも上、両者の間にはベギラマとベギラゴンくらいの差があるというわけだ。

ただ、夕焼けの空の、あの独特のオレンジ色を、僕は愛してやまない。
「黄昏る」なんて動詞もあるくらい、夕焼けは人をセンチメンタルにさせる。

僕はまた、夕焼け色に染まった空と、ふわふわと浮かんだ雲とを眺めては、何ともいえないため息を吐き、小さく苦笑いを浮かべる。
そして、そのまま特に何をするでもなく、「あぁ、あの人は元気かなぁ」なんてことを考えながら、ポリポリとふくらはぎでも掻いてみたりするのである。


♪今の気分的一曲
パラレル / 冨田ラボ feat. 秦基博

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浅野いにおの漫画が原作となっている映画『ソラニン』の試写会に行ってきた。
いつの間にか応募していた弟が当てたのだ。
場所は六本木。
油断していると、ヒップホップ系の格好をした黒人のポン引きが「オニイサン、おっぱいどう? おっぱいアルヨ」などと声を掛けてくる、東京屈指の暗黒魔界都市である。
僕みたいな小市民は、「俺にだっておっぱいくらいあるわ! それより、貴様はそんな不埒な言葉を吐く為に日本に来たのか! 海の向こうの母ちゃんに謝れ!」と言いたくなるのをグッと堪え、終始苦笑いを浮かべながらやり過ごさなければならない。
辛い街である。

そんな暗黒魔界都市に、高校2年生の弟を引き連れてホイホイと出掛けて行った。
六本木といえども、一歩路地裏に入れば、こんな風景が広がっていたりする。
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ちなみに、iPhoneのカメラアプリで加工してあるので、なんだか無駄にお洒落ぶった一枚に仕上がっているが、たまには僕だってお洒落ぶりたくなるのだ。
そこは大目に見て欲しい。
こういう森山大道的アラーキー的風景を見ると、僕は俄かに興奮する。
西新宿の高層ビル群であったり、オレンジ色に輝く東京タワーであったり、東京湾に浮かび上がるレインボーブリッジであったり、絵葉書的に「東京」を象徴する風景というのはいくらでもある。
でも、僕にとってはこういった路地裏の風景の方が、なんとなく「東京」を感じさせるのだ。

『ソラニン』は、とても良かった。
ラストのライブシーン。
宮﨑あおいの熱唱が胸に響きまくって、僕は涙をこらえるのに必死だった。
彼女の役者魂の真髄を見た気がする。
そして、ビリー役の桐谷健太。
原作漫画でも、彼が最も愛すべきキャラであり、僕にとっても所謂「泣きどころ」を担っていたのだが、ベタな演技ながらも彼は完璧にビリーだった。
格好良すぎた。

脚本は、ほぼ原作に忠実。
監督のオナニー的演出もなく、映画の世界を壊さず、抑えどころはきちんと抑え、ぶっ飛びところはきちんとぶっ飛んでいて、イチ原作ファンとしては満足の出来だった。
多摩川沿いの風景のロケーションも作品の重要なファクターだったので、あの漫画の光景が象徴的に映されていたのは、なんだか感動的な映像だった。
あの多摩川の風景は、この作品の裏主人公とも云うべきだと思う。
観て良かった。

おまけ。
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テレ朝前でポージングをする弟。
うん。


♪今の気分的一曲
ムスタング / ASIAN KUNG-FU GENERATION



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本日は晴天なり。
東京に吹く風は暖かく、さながら春の陽気である。

さて、突然だが、数週間前から僕は、「可愛い女の子と一緒に生クリームが乗っかったケーキを食べて、苦い珈琲を飲んで、煙草をプカリプカリと吸って、楽しくお喋りを交わして、『幸せだなァ。僕は君といる時が一番幸せなんだ』と加山雄三のように呟いてみたい症候群』の発作に見舞われている。
病名が著しく長いので、以下、便宜上「加山雄三症候群」と表記する。
加山雄三氏の関係者各位は、このブログをどうか見ないでいただきたい。

「現代社会に巣食う闇が生んだ奇病」ともいえるこのビョーキが、既に国から難病指定を受けているのは周知の事実であり、患者数は若い男性を中心に数千~数万人ともいわれている。
僕以外にもこのビョーキに苦しんでいる人が、日本にはたくさんいるのだ。
治療方法の早急な確立が待たれるところである。

重い発作の症状に苦しんでいた僕は、今日こそお出掛けをしようと、某女性に宛ててメールを一通綴った。
「仕事が終わったら副都心線でそのまま渋谷まで来て、一緒にケーキでも食べませんか(はぁと)」
送信。
ほどなくして、返事が来た。
時間を見るに、煙草を吸いがてら小休憩でも取ったのだろう。
「面倒臭い」
おお、ジーザス!
センテンスの終わりには句点を添えるという、日本語の基本文法すら無視した、シンプル極まりないメールである。
悲しみに打ちひしがれた僕は、即座に
「御意。」
とだけ返した。
日本語の基本文法を遵守するあたりに僕の気質が表れた、美しくも悲しい一文である。

こうなったら一人でも行ってやろう。
一人で行くのでは、前述した「加山雄三症候群」の発作を完全に鎮静化させるには至らないが、贅沢を言っていられる状況ではない。
このままでは、いつ『ドグラマグラ』の主人公・呉一郎のように発狂して「…………ブウウーンンンーンンンン…………。」的世界に没入してしまうか分からないのだ。
僕は拳を固く握り締めた。
よし、一人で行こう。

…………ブウウーンンンーンンンン…………。

結論から書こう。
僕は出掛けられなかった。
支度を始めた頃に、仕事のメールが届き、急遽対応しなければいけなくなった。
そして何よりも、クレジットカードの支払いを忘れていた為、渋谷に行っても買い物が出来ないことに気付いたのだ。
東京事変『スポーツ』と川本真琴『音楽の世界へようこそ』を購入したかったのである。
出来ればレミオロメン『花鳥風月』とcapcule『PLAYER』も買っちゃったりしたかったのである。
(上記のアルバムを買われた方、感想を教えてくれたもう)
一人で赴く以上、「CDを買いに行くついでにカフェに立ち寄り、珈琲のついでにケーキも食べてみた」という名目は必須となる。
こればっかりは絶対に譲ることの出来ない。
綿矢りさがこれを知ったら「男が一人でケーキ? スイーツ(笑)? ハッ。っていうこのスタンス。」などと背中を蹴られてしまいそうだが、こればっかりはどうしようもないのである。

そんなこんなで、僕は今日も僕の街から出ることが出来なかった。
ささやかなる抵抗として、駅前のフレッシュネスバーガーに来て、アイス珈琲をストローでちうちうと飲んでいるのだが、胸に去来するこの言い知れぬ虚しさは何だろう。
何だろう、嗚呼、何だろう。


♪今の気分的一曲
言いたいことはいつも / スネオヘアー