手打ち蕎麦 (後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

2、3ヶ月前に治療に来た爺さんは、珍しく身体の怠さと腰痛を訴えて来た。


おれの治療で腰痛は大分良くなったがまだ倦怠感は残っていた。


その後も一見元気そうに振る舞っているが、何処と無くこれまでとは違って言動に覇気が無く思えた。


やがて5月になりおれの坐骨神経痛も何とか快復したのでおれの整体を再開した事を各患者に電話で報告した。


おれは、坐骨神経痛がまだ完治していない不安があったのであの爺さんの明るく元気な声を聞いて不安感を払拭しようと思い一番最初に電話した。


だが、電話に出た爺さんはおれの期待に反して「仕事復帰出来て良かったですね でも今度はぼくが間質性肺炎で入院中で駄目です」と弱々しい声が帰って来た。


おれが「身体治ったらまた連絡して下さい待ってますから」と言うと爺さんは「必ず電話します」と言って電話を切った。


絶対に爺さんから連絡が来ると信じて待っている内に半年経っていた。


そんなある日 届いた喪中ハガキを見たおれは絶句した。


喪中ハガキは、あの爺さんの弟からで文面によると兄つまりあの爺さんが6月に亡くなったと言う事だった。


爺さんは、おれと5月に話したがそのたった1ヶ月後に亡くなっていた。

「信じられない...」おれは力無く呟いた。



あの人と初めて会ったのは20年位前だった。


毎回約1時間の治療中色んな話をした。

いつも何て事無い会話だったが今となっては懐かしい。


2月に手打ち蕎麦を持って来てくれた時の屈託の無い笑顔が忘れられない。


あの時 もっと美味しい手打ち蕎麦を持って来る約束だったのに...。



以前おれが、ある事情で意気消沈していた時には「元気出して下さい 先生が沈んでたら話になりませんがな」と励まされた事もあった。


しかし 今深い悲しみに沈んでいるおれの心を励ましてくれるべき爺さんは、今はもう何処にも居ない。