手打ち蕎麦 (前編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

今年の2月 その日は整体の仕事が定休日だったので朝からダラダラと過ごしているとおれの携帯電話が鳴った。


電話の相手は、今年85歳の男性患者だった。


「先生 今日の昼2時頃家に居ますか?」と聞くのでおれは「居ますが今日は定休日ですよ」と答えた。


「いや 治療じゃなくてこの前お話した僕が打った蕎麦を持って行きます」と爺さんは、上機嫌で言った。


「それは有り難い楽しみに待ってます」とおれは電話を切った。


この爺さんは、85歳と思えない程エネルギッシュで趣味も蕎麦打ちだけじゃなくコーラスやドライブや旅行 その他興味を持った事には直ぐに首を突っ込む元気者だった。


それ程元気な爺さんが、おれの治療を定期的に受けている訳は、健康維持の為とおれの心意気が気に入っているからだ。


やがて予定通りの時刻に現れた爺さんは手打ち蕎麦をおれに手渡し「次の治療の時に感想聞かせて下さい」と言い残して忙しそうに帰って行った。


約1週間後の治療日 爺さんは治療室に入るなり「で 蕎麦はどうでしたか?」と聞いて来た。


「美味しかったですが10割だから少しボソボソしてました」とおれが言うと「さすがに分かってますね 次回はもっと細く仕上げるか二八蕎麦にして見ます」と張り切っていた。


おれも何だか嬉しくなって「そいつぁ益々楽しみだ」と調子を合わせておいた。


ところが、その数日後おれが坐骨神経痛になって暫く仕事を休む事になり例の爺さんに電話でその事を連絡した。


爺さんは「それは偉い事ですね先生の快復待ってます」と残念そうに言った。


おれは、その時の爺さんの声がいつもより少し元気が無ように聞こえた。


実は、おれは2、3ヶ月前からこの爺さんの体調に一抹の不安を感じていた。



後編に続く