足音の正体 | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

この2、3ヶ月 八光流柔術の練習日に弟子の参加が少ない。


奴らが道場に来れないのには、それぞれ確たる理由がある。

だからおれが、とやかく言う筋合いじゃない。


弟子が来ないと言う事は、広い道場におれ一人と言う事だ。


道場に一人で居るのは、退屈かと言うと実はそうでもない。


この道場には、時々目に見えない足音だけの訪問者がある。


1階の下駄箱で靴を脱ぐ音がしたり階段をゆっくり登って来る足音がする。


音だけじゃなく確かに人の気配を感じる。


しかし別におれに仇成す事も無さそうなので放置している。


とは言え最近その気配や足音が聞こえる事が頻繁になり過ぎてちょっと鬱陶しい。


いったいこの道場に何者が来ているのか?何をしに来るのか?


おれは、暇つぶしにこの怪奇現象について考えて見る事にした。


そこである事を思い出した。


以前この道場である猫の事を考えていて帰る時間になったので1階に降りたら玄関のガラス戸の前に見た事の無い猫が、こちらを向いて座っていた。


その事を思い出しておれは一つの仮説に至った。


この道場は、おれの思念が伝わり易いようだ。


最近頻繁に聞こえる足音や気配は、おれが自分で作り上げているのではないか?

おれが弟子の来るのを待っている思念が道場に伝わり足音や気配になってやって来るんじゃないか?


そう考えると何と無く納得出来るような気がする。


そしてこれも八光流の極意 心的作用の一種と言う事かも知れない。


ただし この心的作用を使えるのは、八光流の師範の中でおれだけだろう。