黒犬伝 その15 (後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

おれとアクは、長岡天神の境内を目指していた。


おれは、手を負傷していたが手以外は何とも無いのでやや早めの速度で歩きアクは、おれと歩調を合わせていた。


八丈ヶ池の太鼓橋を渡った所でおれ達は、アクより一回り大きな犬とそれを連れた柄の悪そうな中年男に出くわした。


その犬は、初めて見る顔だったが如何にも気の荒そうな日本犬の血の濃い雑種犬だった。


両側は、ツツジの植え込みで入れないので引き返すのが一番安全だが、ここで敵に後ろを見せるのは、アクに申し訳無い気がしたので前進する事にした。


お互いリードを短く持てばすれ違える道幅だったが相手の犬は「ガオォーッ」と飼い主を引きずるように迫って来る。


おれは緊張した。今アクがその気になったら止める自信が無い。


「頼む 今日は我慢してくれ!」と言いつつアクを見たおれは、驚いた。


あいつは、背中の毛を逆立てて低く唸っていたが相手の犬と全く目を合わせていない。

前を向いてそのまますれ違おうとしている。


その時 雑種犬が身体を捻るようにしてアクの首に咬み付いて来た。


アクは、その攻撃を気配だけで察知し瞬時に自分の位置を僅かに横へ動いてかわした。

アクの首まで数cmの所で「ガチッ!」と相手の犬の牙が鳴った。


相手の飼い主は、そんな自分の犬を叱りもせず「やめといたれ」とニヤつきながら言った。


おれは「それは、こっちの台詞だ!」とアクの代わりに言ってその飼い主を睨んだ。


相手の犬の飼い主は、おれの視線を避けるようにして自分の犬と共に遠ざかって行った。


アクは、息が荒かった。

あいつは、心の中で闘っていたに違い無い。


おれはアクに「ごめんな悔しい思いをさせて」と言っておれの怪我を気遣って必死に耐えているアクの姿を思い出し涙が出そうになった。


そして「本当にお前は凄い奴だ」と呟いた。


おれは、この日 強さと優しさは一対なんだと実感した。



昔 悪い神が、熊に化けて人々を襲った。

それを見兼ねた良い神が怒り犬に化けて熊を倒した。

北海道の先住民アイヌの神話にそんな話がある。