バレンタイン 4 (後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

指から発する生体磁場を人体の患部に流すには、直接患者の肌に接触しなければならない。


その事を彼女に説明し次回は背中の開けられる服装で来るように言うと「早くその治療を受けたいから今着てるブラウスを後ろ前に着るので今日やってもらえますか?」と言いながら彼女はブラウスを脱ぎ始めた。


おれは「ちょっと待った」と慌てて隣の部屋に入り「準備出来たら声掛けてくれ」と言ったら隣の治療室から「クスクス」小さな笑い声が聞こえた。


斯くして おれは、その日の内に彼女の背部痛をエネルギー指向で

治療しその日から数回エネルギー指向を加えた治療で彼女の背部痛は完治した。


その後も彼女は、背部痛の再発防止とヘルスケアの為治療室に通っていた。


彼女を治療するようになって3年経ったある日「はいこれ」と突然彼女は、赤い紙でラッピングされた小箱を手渡した。

「おっバレンタインか ありがとう」とおれは素直に礼を言った。


彼女は、微笑みを浮かべていたが何故か悲しげな目をしていた。


その日の治療が終わり彼女は、帰る直前になって「来週から来れなくなりました 今まで本当に...」とそこから先は、よく聞き取れなかった。


おれは「元気で」と一言だけ言って去って行く彼女を見送った。


1カ月後おれは、彼女に紹介されたと言う患者を治療する事になった。


腰痛の治療だったが気の良さそうな話し好きな中年女性だった。


その患者は、治療中に例の彼女の話を始めた。


彼女は、ある会社の社長の娘で父親の会社の為に政略結婚の道具にされそうになっていたが父親の仕組んだ縁談を断り続けていた。


ところが、バレンタインチョコを買ったのが父親に発覚し誰に渡すのか執拗に問い詰めおれの事を知った父親は、おれの治療を受ける事を禁止した。

「どうしても治療に行くなら若い連中を引き連れて怒鳴り込むとまで言ったそうですよ」とその女性患者は眉を潜めた。


「面白い事を言うクソ親父だ」とおれは、話を聞いている内に怒りが込み上げて来た。


彼女の父親の存在が、彼女のストレスの原因でおれの治療を受けられなくなった理由でもあった。


「バレンタインチョコが裏目に出たって事か」とおれは、彼女がおれにチョコレートを手渡した時の顔を思い出しながら独り言を呟いた。



彼女は、結局最後まで自分のストレスの原因については一言も話さず突然おれの前から姿を消した。


彼女が、おれに本当に求めたのは何だったのか?あの悲しげな目は何を語り掛けていたのか?今となっては、全て分からないままになってしまった。


彼女が去って随分時は流れたが、西洋には「薔薇は枯れてもその馥郁たる香りは永遠に消える事は無い」と言う言葉があると聞いた事がある。

その言葉通りおれの胸の奥から彼女の面影が消える事は無いだろう。


そう言えば 彼女は、真っ赤な薔薇の好きな女だった。