黒犬伝 その14 (後編) | 八光流 道場記

八光流 道場記

京都で約30年、師範をやっております。
つれづれなるままに書き綴ってまいります。

アクは、何度も爺さんの家に来ていたので京都の町屋の構造とおれ達人間の癖を熟知していた。


アクが狙っていたのは、婆さんの扉を閉め忘れる癖だった。


特に客が来て忙しくしているような時は、その癖が激しい。


アクは、鰻の寝床のような土間の途中にある台所の入口と出口そして裏庭の縁側沿いにある奥の間の引戸が全て開けっ放しになる瞬間を待っていた。


その年の正月は、訳あって奥の間にお節料理が置いてあった。


アクの嗅覚は、お節料理のある場所を爺さんの家に来た時から嗅ぎ当てていた。


やがて とうとう婆さんの悪い癖が出た。


お節料理のある奥の間に繋がる経路にある扉が全て開けっ放しになった。


アクは、嗅覚と聴覚と勘でそれを察知し即行動に出た。


おれがアクの餌を持って行くと奴は、土間に何食わぬ顔で座っていた。


アクの首から切れたロープが垂れ下がっているのを見て「いつの間に咬み切りやがった?」とアクに近付いたおれは、奴からお節の匂いがする事に気付いた。


「まさか!」おれが奥の間に行くと お節料理が一の重から三の重まで食い荒らされていた。


アクは、僅か10分位の間に太いロープを咬み切り誰にも気付かれないように土間から奥の間に侵入しお節料理を食い荒らし同じコースで本の居場所に戻っていた。


「何て奴だ」おれが、あまりにも見事な犯行に怒るのも忘れて感心していると爺さんも「やりよるのう 凄い奴だ」と感心して「絶対敵に廻したくない奴やのう」と言って笑った。


「まったくだ こんな奴を敵に廻したらおれと爺さん二人掛かりでも危ないぜ」と言っておれも笑った。


後ろから親父が「笑ってる場合か 晩飯食べる物が無いぞ」と悲観的な事を言った。


婆さんは「こんなアホな」とその場に空気が抜けたように座り込んでしまった。

結局この日我々は、雑煮を食べただけの元旦になった。


アクは、満足そうに土間に寝ていた。



昔 悪い神が熊に化けて人々を襲った。

それを見兼ねた良い神が怒り犬に化けて熊を倒した。

北海道の先住民アイヌの神話にそんな話がある。